第28話 悪意の巣窟

 オルグイユ王国、王都グラン。

 マチアス・ジャックミノー卿の屋敷には、彼を代表とするジャックミノー派の貴族が集結し、会合を行っていた。


 マチアス・ジャックミノーは現在五十五歳。オルグイユ王国建国以来、三百年の歴史を誇るジャックミノー家の現当主で、現在は内務卿の地位についている。先代国王の急逝によって、現国王が経験不足のまま即位したことに付け込み、最側近としての地位を確立。国王に助言を与えるという体で自身を含む貴族優位の政策を次々と成立させている。かねてより対立が続いていたブラントーム家の当主、レイモン・ブラントームを王の威光によって中央政治から追い出してからはさらに勢いつき、権威は拡大し続けている。地位を望む多くの貴族がマチアスの顔色を伺い、今や影の支配者とでも呼ぶべき存在であった。


 しかし、その体制を脅かしかねない異変が現在、王国内で発生している。


「諸君らに集まってもらったのは他でもない。此度の議題は、ヴェリテ王子が設立なされた調査室と仮称される特務調査機関についてである。犯罪行為等の調査、監視は我ら内務局の管轄だが、王子はその権限によって、どの組織にも属さない独立した捜査機関として調査室を設立なされた。これは由々しき事態だ」


 自然とマチアスの語気が強まり、会合に参加した貴族たちの緊張感も高まる。

 ヴェリテ王子は内務卿であるマチアスを介さずに、国内の不正を監視、調査する組織の設立に至った。それはマチアスに対する不信感の表れであり、必要であれば内務局やマチアス本人に捜査のメスを入れることも厭わぬ覚悟の表れである。実際、権威によってもみ消してきた不祥事は数えきれない。決定的な証拠こそ残してはいないが、王国法違反のオンパレードだ。


「しかし、独立機関ということは、ある意味で何の後ろ盾もないということ。いかに第一王子といえども、まだ十代の若造。現国王の体制が盤石である以上、影響力を持つことは難しいのでは? 青臭い理想論だったと、直ぐに現実を突きつけられることになる」


 ジャックミノー派の第三席。ジェラルド・ラカンが意見を述べる。黒髪を後ろで結んだガッシリとした体つきの男性で、癖になってしまっているのか常に眉間に皺が寄っている。


「確かに、ヴェリテ王子が青臭い正義感で独立した捜査機関を立ち上げただけならば大きな問題はない。問題なのは王子よりもその布陣だ。ラザールが掴んだ情報によると、ヴェリテ王子はトマ・バルバストルに室長に任命し、相談役としてレイモン・ブラントームを最高顧問として迎え入れるつもりであるそうだ」


 その名前がマチアスの口から飛び出した瞬間、場がにわかに騒がしくなった。事前にこのことを知っていたのは主催のマチアスと、彼の腹心であり、実際にこの情報を掴んできたラザール・ルメルシエだけだった。


 王国建国以来、最も格式高い家柄であり、先代国王の側近。これまでも多くの貴族の不正を追及してきたレイモン・ブラントームの存在は、ジャックミノー派の貴族たちにとって長年目の上のたんこぶだった。現国王の体制に移行し、マチアスの影響力が高まったことで、エクトルを中央政治から追われて七年。すでに過去の人物だと思われていたが、まさか今になってその名前を聞くことになろうとは。


「トマ・バルバストルと言えば諜報活動のプロフェッショナルだ。奴の手には国内外のあらゆる情報が集まる。その名を聞かなくなって久しいが、ヴェリテ王子もとんでもない男を表舞台に引きずりだしてくれたものだ」


 カイザル髭が印象的な小太りの男性、セドリック・カバネルが目を細めて髭を擦る。動揺を隠しきれていない。


 トマ・バルバストルはレイモンと同じく正義感で動くタイプの人間だ。審美眼、人材育成においても高い評価を得ており、彼の教育を受けた調査官たちは、一切の妥協を許さずに不正を追及する剃刀のような集団となることは想像に難くない。青臭い王子の戯言だとばかり思っていた調査室という組織が、一気に末恐ろしいものに感じられた。


「諜報という仕事柄、表立った活動が無かったトマ・バルバストル自身に求心力は存在しないが、相談役としてレイモン・ブラントームまでもが名を連ねるというのなら、話は大きく変わってくる。中央を追われても、レイモン・ブラントーム家は未だに国民からの人気が高く、貴族の中にも支持者が多い。その影響力は計り知れない。おまけにトマとレイモンは友人同士でもある。連携も上等だろう」


 右目にモノクルをつけた鷲鼻の男性、ディディエ・カルパンティエがハンカチで冷や汗を拭う。すでに死に体と侮りながらも、レイモン・ブラントームの存在を忘れた日は一日たりともなかった。中央を追われたとはいえ、きっかけ一つで舞い戻れるだけの影響力と存在感は未だに健在だ。油断はならない。


「トマ・バルバストルが率いる調査室は間違いなく成果を上げる。実績が積み重なることでヴェリテ王子の影響力は高まり、そこに再燃したレイモン・ブラントームに対する支持も重なれば、それが大きなうねりとなることは想像に難くない。早急に対策を講じなければ危険だ」


 代表として平静を装ってはいるが、エクトルは内心では焦りを感じていた。高潔な貴族の間では未だにレイモン・ブラントームの支持は根強い。これまでは状況を静観していた者たちも次々と声を上げ、現体制を揺るがしかねない。


 ヴェリテ王子だけでも、トマ・バルバストルだけでも、そしてレイモン・ブラントームだけでもこうはならなかっただろう。とある島国には三本の矢という例え話が存在するそうだが、一本では脆い矢も、三本束ねれば折れることはなくなる。三人もまさにそうだった。加えて三人は己の信念を貫こうとする人間だ。矢を束ねて強度を上げるだけではない。その次は確実に、標的に向かって連続で矢を放つことは想像に難くない。そうなれば真っ先に弓を引かれるのは、マチアスらジャックミノー派の貴族だ。


「その件ついて、私に一つ提案がございます」


 誰もが神妙な面持ちで今後の展開を憂う中、唯一、ラザール・ルメルシエだけでは不敵な笑みを浮かべて挙手した。黒髪をオールバックにした端正な顔立ちの中年男性だが、その眼光は猛禽類のように鋭い。内務卿補佐として実務の責任者を担うマチアスの最側近にして、ジャックミノー派の次席。調査室の動きを事前に察知し、最も状況を俯瞰してみている人物でもある。


「申してみよ、ラザール」


 マチアスが続きを促す。ラザールの能力を信頼しており、妙案があるのなら作戦の全権を彼に任せる腹づもりでいた。


「調査室の権威拡大は危険だ。黎明期である今の内に叩いておく必要がある。三本の矢が脅威であるのなら、その内の一本を叩き折ってやればいい。残る二本程度ならば、我らジャックミノー派の権力でいかようにも抑え込める」

「た、叩き折る一本というのは?」


 緊張した様子で伺いを立てたのは、ジャックミノー派の末席に名を連ねるマルク・ドゥラランドであった。他の貴族に比べると家柄、役職共に力不足な感は否めない

が、マチアスに心酔しており、その忠誠心を買われて会合にも参加を許されていた。


「無論、レイモン・ブラントームだ。若き王子や政治的には無名の諜報員よりも、あの男の影響力が何よりも恐ろしい。裏を返せば今は彼奴を屠る他でもない機会と言える。あの男が再び頭角を現した時に備え、以前から計画だけは用意していたのだ。息子にもちょうど、贈り物をしてやりたいと思っていたところだしな」


 不意に登場した息子という響きに一瞬、奇妙な空気が流れた。策謀家としてラザールは間違いなく優秀であるが、子煩悩で息子に甘いという欠点を抱えている。エクトルの腹心故に誰も口出しはしないが、その点だけは低評価であった。


「計画というのは?」

「お前にも存分と働いてもらうぞ。マルク・ドゥラランド」


 口角を釣り上げると、ラザールは恐るべき計画の全容を語り始めた。

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