第27話 その絆は鋼の如く強固で
七年前の冬。地方領主として日々の公務に追われていたレイモンの元へ、王立学院時代からの親友であるトマ・バルバストルが尋ねて来た。レイモンが王政の中枢を追われてからも二人の友情に変わりはなく、家族ぐるみの付き合いを続けていた。
レイモンの娘のネリーとトマの息子のギーがお互いを思い会っていることは周知の事実であり、本人たちが望むなら、婚姻を結ぶことに異論はないという姿勢で、二人の父親の意見は一致していた。
「レイモン。お前に大切な話がある」
トマが神妙な面持ちでそう切り出した。バルバストル家は決して表舞台に立つことはなく、国のために代々影から諜報活動に尽力してきた特殊な家柄だ。
長きに渡り大陸情勢は安定を続けており、オルグイユ王国と近隣諸国との関係は良好。だからといってそれが諜報を怠る理由足り得はしないのだが、国王は自身を取り巻く貴族たちの意見を鵜呑みにし、諜報活動の縮小を決定。結果、代々諜報活動に尽力してきたバルバストル家は冷遇を受ける羽目となってしまった。
ここにもまた貴族間の策謀が働いており、諜報能力に優れた一族が、自分達の弱みを握ろうとするのではという不安がそうさせていた。トマにそのような考えはなく、貴族たちの過度の被害妄想であったが、国王が自ら思考しない以上、貴族たちの意見がまかり通ってしまうのがオルグイユ王国の現状だった。レイモン・ブラントームの時と同じだ。探られて困る腹を持つ者たちは、正義感に厚い人間をひたすらに恐れたのである。
しかし、冷遇を受けていたバルバストル家にはこの時期、一つの明るい話題が舞い込んでいた。
「近々、ヴェリテ王子が王国内の不正を監視、捜査する独自の特務機関を設立する運びとなり、私にそこの室長を任せたいとの打診があった。王子は相談役として、お前にも特務機関に参加してほしいとお考えだ」
現在の特務機関ロワ・シュバリエの原型となった調査機関が誕生したのもこの時期のことであった。当時はロワ・シュバリエという呼称はまだ存在せず、組織名は「調査室」と仮称されていた。
当時、ヴェリテ王子は二十一歳。偉大な国王であった祖父の背中に憧れ、周りの貴族たちの意見に流されるだけの父王を反面教師として育ったヴェリテ王子は、聡明で高潔な青年へと成長していた。そんな王子が腐敗した貴族による不正の一掃を掲げ、独自に調査機関を設立を宣言した。
青臭い正義感に駆られた若き王子の絵空事と嘲笑する声も多かったが、諜報のプロフェッショナルであるトマ・バルバストルや、高潔が故に国王や取り巻きの貴族の反感を買い、表舞台から姿を消したレイモン・ブラントームを組織に迎えようするところに王子の本気が窺い知れた。
「ヴェリテ様が私に?」
「無論、領主としての職務で多忙であることはヴェリテ様も承知しているが、未熟な自分を支える参謀として、時々に相談に乗ってくれないかと申されている。お前が上の立場の者にも臆せず信念を持って立ち向かっていく様が、幼心に鮮烈に焼き付いていると王子は仰っていた。成長し教養を経て、お前が国の中枢を追われた経緯を知ったことで、腐敗した貴族の言い分が罷り通る現在の態勢に、強い憤りを感じたそうだ。それが調査室の設置に繋がった」
「ヴェリテ様は立派に成長なされたな。この国の未来は明るい」
ヴェリテ王子の在り方は、偉大だった先王を彷彿とさせるものだ。同時に都落ちした自分のような人間にそのような言葉をかけてくれたことに、レイモンは深く感動していた。家訓であり己の信念でもある言葉は未だに揺るぎない。若き王子の助けになることこそが、その道を示すことに繋がるとレイモンは確信した。
「私でよければ喜んで王子の願いにお応えしよう。時期を見て私の口からも直接お気持ちを伝える」
「お前ならそう言ってくれると信じていたよ。共に働けることを嬉しく思う」
レイモンとトマは固い握手を交わした。お互いにもう四十を過ぎた年の頃だが、その眼差しには、大望を抱く若人のような闘志が漲っていた。
※※※
「アラン、久しぶりだね」
レイモンの執務室を後にしたトマは、屋敷の中庭で木剣を振るっていたアラン・ブラントームへと声をかけた。傍らでは、稽古役の女性騎士が穏やかな表情でアランの訓練を見守っている。
「ご無沙汰しております、トマおじさん」
アランは木剣を振るう手を止め、女性騎士から手渡されたタオルで汗を拭ってからトマの下へと駆け寄った。勉強家で探求心旺盛なアランは昔から、博識なトマと話すのが大好きでとても懐いていた。ブラントーム家が王都を離れて以降、以前と比べて顔を合わせる機会が減っていたので喜びもひとしおだ。
「また大きくなったな。やはりこの時期の若者は成長が早い。背丈はもうギーとほとんど変わらない」
幼い頃からよく知るアランも立派な青年へと成長している。親心に近い感慨をトマは抱いていた。レイモンの息子であるアランと、三つ年上である息子のギーが手を取り合い、王国の未来のために尽力する姿が目に浮かぶ。
「ギーを見なかったかい?」
「今は姉さんと一緒にお茶を楽しんでいますよ。お邪魔しては申し訳ないので、サロメに鍛錬に付き合ってもらっていた次第です」
「ははっ、そういう気も遣えるようになったか。紳士としても成長しているようだ。若い二人を邪魔するのは野暮というものだな。少し話し相手になってもらえるかな?」
「もちろんです」
中庭に備え付けられているテーブルからサロメが椅子を引き、アランとトマは向かうあう形で着席した。
「サロメ。君も休んでくれ。俺だけ座ったままでは申し訳ない」
「よろしいのでしょうか?」
「よろしいのです。さあ、座って」
「きょ、恐縮です」
アランがサロメの分の椅子を運んできたので、サロメは落ち着かない様子でアランの後ろに控える形で着席した。当時十八歳だったサロメはまだ騎士になりたてであり、生真面目な印象が強い性格だった。
あえて言葉には出さなかったが、臣下であるサロメに対しても自然体で気遣いが出来るアランの姿をトマは心強く思っていた。こういった感覚は後々人々の上に立つ上でも大切だ。
「今日は父上にどういった御用だったのですか? 機密であるなら好奇心は控えますが」
「詳細は父であるレイモンの口から告げられるべきだろう。今は、オルグイユ王国をよりよくするための活動を開始する予定だ、とだけ言っておこう」
「オルグイユ王国をよりよくする、ですか?」
「正しき者が虐げられるような体制であってはならない。意見を言える者がいなくなれば、国はいつか方向性を見誤るかもしれない。直ぐには難しいだろうが、アランやギーの時代には、少しでも貴族社会の風通しがよくなっていたら良いなと、希望を抱いている」
貴族社会の抱える問題は根深い。一朝一夕で解決する問題ではないが、小さな積み重ねが意識改革に繋がっていけば、次世代やその次の世代には、今とはまた違った景色が広がっているはずだ。ヴェリテ王子や息子たちの世代のために、粉骨砕身活動する覚悟をトマは決めていた。
「アラン、影から王国を見守って来た者として君に一つアドバイスを送ろう。正しくあることはもちろん大切だ。そして正しく有り続けるためには、真っ直ぐぶつかるだけではなく、交渉術や演技力を磨いていく必要もある。本心を悟られぬように立ち回ったり、逆に強い言葉で揺さぶりをかけたり。不器用だったレイモンは口癖のように言っていたよ。生き方に後悔はないが、もう少しうまく立ち回れていたら違う戦い方もあったのかもしれないとね」
「俺に身に付くでしょうか?」
「これは才能ではなく技術の話だ。剣技と同じで意識的に続けていくことで必ず身についていく。それはきっと、貴族社会を生きていく上での心強い武器となることだろう」
「分かりました。努力します」
素直に力強く頷いたアランの姿をトマは微笑ましく思った。
この時点で素養を見抜いていたわけではないが、交渉術、演技力という点において後にアランは凄まじい成長を遂げることになる。それは必ずしもトマが望んだ形ではなかったのだが、運命とは皮肉なものだ。
「父さん、レイモンおじさんとのお話しはもう済んだのかい?」
お茶を終えて館内を移動してきたのだろう。トマの息子のギーと、アランの姉のネリーが中庭近くの廊下を通りがかった。ギーはトマに似た精悍な顔つきをした青年だが、表情は豊で親しみ深い。シャツとベストをカッチリと着こなし、ネリーの手を取りしっかりとエスコートしている。
ネリーは母譲り類稀なる美貌と父譲りの高潔な精神を持った女性で、意思の強い瞳と幼子のようなあどけない表情とのギャップが印象的だ。
美男美女。ギーとネリーの組み合わせはとても画になっている。
「用件は早々に済んだのでな。お前たち二人の時間を邪魔してはいけないと思い、アランと二人で話し込んでいた」
「もっとゆっくりしてきても良かったんですよ、姉さん、ギーさん」
「もう、トマおじ様もアランもやめてくださいよ」
恥ずかしそうに頬を赤らめたネリーが照れ隠しで勢いよくギーの背中を叩き、ギーは思わずつんのめった。
「ごめんなさいギー、私ったらつい」
「毎度毎度、君の感情表現は過激だな」
慌ててギーに手を差し伸べたネリーの腕をギーが苦笑顔で掴んだ。同い年で幼馴染でもある二人は昔から仲睦まじく、何気ないやり取りに見ている弟のアランの方が恥ずかしくなってしまう時もある。
アランは姉のことが大好きだ。姉を絶対に幸せにしてくれる相手だと信頼出来るギーのことも大好きだ。近い将来、ギーを兄と呼ぶ覚悟はすでに出来ている。
「仲がよくて何よりだ」
「まったくですね」
二人のやり取りを微笑ましく思っていたトマとおどけた様子で肩を竦めてみせたアラン。そんな二人のリアクションを見て同席していたサロメも思わず相好を崩していた。
平和な時間がこれからも続いていくものだと誰も疑っていなかった。しかし、運命の歯車は確実に狂い始めていた。
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