第33話 アンリ・ラブラシュリ

『アランがアラン・ブラントームである限り、彼を取り巻く環境は苛烈を極めるだろう。愚かな選択をした僕だけど、せめてこの死が、義弟を救うことになると祈っている』


 ネリーとギーは、残されたアランの今後をうれいていた。ブラントーム家は貴族の位を取り上げられたが、無実の罪で父を投獄され、命まで奪われたアランの中には強い怨恨が残る。


 ジャックミノー派の貴族たちは、ブラントームの血筋の高潔なあり方を恐れている。それは貴族でなくなったからと解消されるものではない。レイモンの暗殺まで謀ったジャックミノー派のこと。遺恨を絶つために今度はアランの命を狙いかねない。アランがアラン・ブラントームである限り、身の安全など保障は出来ないのだ。


 ネリーとの心中を決意したギーは、遺書をしたためる最後の段階で、背格好の似た自分の遺体をアランと誤認させる計画を思い立った。尊敬する父トマならば、この状況は上手く活用してくれるだろうと、父への絶対の信頼と共に思いを託した。


「ギーはネリーの死にショックを受けて失踪したことにする。あの火災で亡くなったのはネリーと君だ。情報工作は私の得意分野でもある。アラン・ブラントームは死んだのと完璧に欺いてみせるさ」


 アランとサロメはトマの用意した別宅へと身を寄せていた。トマはすでに情報操作を始め、将来を悲観したネリーとアランの姉弟が心中し、屋敷に火を放ったという方向に真実を誘導している。


 最後まで悩んだが、この一件はヴェリテ王子にも伏せ、あくまでもトマの独断専行とした。人格者のヴェリテ王子のこと、真実を知れば快く協力してくれるだろうが、このような工作に加担した事実が後々弱みにならにとも限らない。


 国を正しき方向に導くためには、将来的にヴェリテ王子が王位を継ぐことは絶対条件だ。その足枷あしかせにはなりたくない。知らぬことには関与できぬ。王子を巻き込まぬことがきっと、国の未来へと繋がる。


「……臣下や従者たちはどうなるんですか?」


「彼らの今後については私が責任を持って新たな居場所を見つける。申し訳ないがアランが生存している事実は彼らにも伏せておくつもりだ。忠義者の彼らがそうそう口を割るとは思っていないが、情報漏洩を防ぐ観点から、秘密を知る者は極限られた方が望ましい。今後ジャックミノー派がどう動くか分からぬ以上、何も知らせぬことが、彼らが陰謀に巻き込まれることを防ぐことにも繋がる」


「……分かりました。彼らのことをよろしくお願いします」


 アランとて謀略によってこれ以上犠牲者を出したくはない。忠義者たちに真実を告げられぬことは心苦しいが、彼らを思えばこそ距離を置かなくてはいけない。


「サロメくん。君はこれからどうする?」


 成り行きでここまで巻き込んでしまったが、ブラントーム家が消滅した以上、サロメも騎士としての任も解かれたことになる。サロメの戦闘能力はずば抜けており、どこへ行っても通用するだけの実力を持っている。望めば王国騎士団でだって活躍できる逸材だ。


「私はこれからもアラン様のお傍におります」


 一瞬たりとも迷わず、サロメは覚悟の据わった表情で即答した。


「サロメ、貴族としての俺は死んだ。今の俺は名前すら持たぬ小さな存在だ。これ以上忠義を尽くす必要なんてないんだよ?」


 気持ちはとても嬉しいが、アランはこれ以上サロメを巻き込みたくなかった。サロメは才能あふれる騎士だ。望めば彼女にはたくさんの未来が開かれている。自分の事情にこれ以上巻き込み、サロメの可能性を閉ざしたくはない。


「そのような悲しいことを仰らないでください。私は家名や立場に仕えていたのではありません、あなた様という人格に仕えているのです。私はいつまでもあなた様と共にあります」


 サロメの覚悟は本物だった。騎士として主に尽くす。それは職務や使命ではなく、彼女自身が決断した生き方なのだ。


「悲劇を忘れ、平穏な人生を送りたいというのなら私が全力でその生活を守りましょう。復讐に生きるというのなら、私はあなた様のために喜んでこの命を懸けましょう。あなた様が何を望もうとも、私はあなた様と共にあります」


 そう言って、サロメは震えるアランの手を優しく握った。

 サロメの温もりを感じた瞬間、アランの頬を涙が伝う。一人この世界に取り残されてしまった絶望を感じていた。だけど自分にはまだ、サロメやトマのように寄り添ってくれる人がいる。自分は一人ぼっちなんかではない。


「アラン・ブラントームは死んだ。新たな名前と経歴はすでに用意してある。その後、どのように生きるかは君の自由だ。サロメと同じく、私も君の生き方を尊重し手助けをする」


 心に渦巻くのは、やはり自分から大切なものを奪った、腐敗した貴族たちに対する復讐心だ。殺すなど生温い。欲望に塗れた者達に対する罰が、ほんの一瞬の苦しみであっていいはずがない。地位も名誉も財産も幸せも、全てを奪い取る。築き上げてきたものを壊し、失墜させ、地を這いつくばらせ、満たされた人生を失う恐怖を骨の髄まで叩き込む。そうして貴族でも何でもないただの弱者となった時、それでもなお殺す価値があったなら命までも頂く。


「企みに加担した全ての貴族に犯した罪を購わせる。地位に固執した腐った貴族どもに築き上げて来た者達に、失うことの恐怖を叩き込んでやる。正攻法での告発が意味をなさぬのなら、悪を持って悪を征するまでのこと。高潔な精神を持ったアラン・ブラントームは死んだ。何年かかろうとも、どんな手段を使ってでも、俺は復讐を果たしてみせる」


 アラン・ブラントームの名を捨てることで、純粋で真っすぐだった過去の自分と彼は決別した。それでも根底にある正義感と優しさを捨てきれていないことは、後の彼の活躍を見れば明らかだ。復讐心に取りつかれながらも、彼の根底にあるのは悪を一掃するという使命感だ。


「私も君と同じ気持ちだ。息子と親友家族の命を奪われた。私も奴らが憎い。特務機関による正攻法の告発ではもう限界だ。君の言う通り、巨悪に対抗するには自分達もまた悪になるしかない。私は一線を退き、再び影へと戻る。共に考えよう。どのように彼奴等を追い詰めていくのかを」


「私の気持ちは先程お話しした通りです。私はどこまでもあなた様と共に参ります。戦うことしか能のない私ですが、全力であなた様を支えます」


 後に貴族社会を恐怖に陥れる詐欺師グループが誕生したのは、これから少し後の話だ。彼らは着実に技術を磨き、活動資金を調え、入念な下準備の下に活動を開始していく。仇以外の標的に対する詐欺は当初は資金稼ぎの側面が強かったが、様々な悪行を目の当たりにしたことで、悪を許さぬ姿勢はより明確なものとなり、彼らは仇以外の悪に対しても攻撃を仕掛けていくこととなる。


「トマさん。俺に用意された新しい名前を教えてください。今日から俺は生まれ変わる」

「アンリ・ラブラシュリ。今日から君の名前はアンリ・ラブラシュリだ」


 ※※※


「お帰りなさいませ」

「サロメ、さっきはありがとう」


 マルク・デュラランドの別荘を後にしたアンリは、近くの宿の一室で待機していたサロメとトマに合流した。サロメはテーブルの上に、顔を隠すために身に着けていた仮面を置いている。


 姦計に関与した貴族を破滅させるための作戦はいつも、アンリがアランだった頃からの関係であるこの三人だけで行っている。後にチームに加入したアデライドやオーブリーはアンリたちの経歴を知らない。三人が密かに通常の詐欺とは別の動きを見せていることには薄々感づいているが、暗黙の了解に従い、そのことを追及するような真似はしてこなかった。


 そもそも仲間の過去に干渉しないという暗黙の了解は、自分達の事情にアデライドらを巻き込まないために、アンリが自然と導入していたものだ。


「マルク・デュラランドに引導を渡してきました。過去の亡霊を前に恐怖で震え上がっていましたよ」

「じきにロワ・シュバリエの調査が奴にも及ぶ。今回指揮を執っているロベール・ヴァンランシは優秀な捜査官だ。これでマルク・デュラランドも終わりだな」


 ロベール・ヴァンランシは、トマがロワ・シュバリエの前身である調査室時代に、最後に指導していた元部下だ。才能豊かな少年も、今や立派な捜査官へと成長した。元部下の成長を喜ぶ一方で、王国の仕事を引退し詐欺師となった今では、敵に回したくない相手でもある。今はまだ遅れを取りはしないが、近い将来ロベールは、全盛期の自分をも上回る逸材へと成長するとトマは評価している。


「デュラランドは仕留めた。まだまだ先は長いな」


 七年前、レイモン・ブラントームを陥れることに加担したマチアス派の貴族はまだまだ残されている。過去に病で亡くなった一人を除き、アンリが破滅に追い込んだのはマルク・デュラランドで三人目。マルクは当時、レイモンが国家反逆を目論んでいた証拠の一つとされた、領内で見つかった武器の調達を担っていたことが、トマの調査によって明らかになっている。


 七年かけて果たせた復讐はまだ三人だが、これまでは下調べやアンリ自身の詐欺師としての成長、大規模な作戦を成功させるための土台づくりに多くの時間を割いていた面が大きい。


 実質的に復讐を開始したのはここ二年の話であり、順調なペースで事は推移している。残る貴族たちはその大半が、現在でも王政の中枢を担っているが、国王が病に伏し、ヴェリテ王子の権威が拡大してきている今、全盛期程の力は残されていない。現状はアンリたちにとっての好機であった。


「いつまでもアントロジに滞在していたらロワ・シュバリエと鉢合わせしてしまう。アデルたちを待たせてしまいますし、そろそろ引き上げましょう」



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