第30話 高潔な姉弟

「……どうしてこんなことになってしまったの」

「大丈夫だよ、姉さん。父さんは潔白だ。トマおじさんだって動いてくれているはず。正しい者が罰せられてよいはずがない。真実はきっと明らかになる」


 軟禁状態にある自宅で不安気に体を震わせるネリーの手を、アランは力強く握った。言葉とは裏腹にアランの表情も不安を隠せないでいる。情報の少ない軟禁状態にあっても、今回の疑惑が作為的に動いていることには察しがつく。先行きは見通せないが、それでも正しくあろうとする高潔な精神だけは失わないでいようとアランは決意していた。当主である父レイモンが身動きがとれない状況である以上、長男である自分が留守をしっかりと預からなくてはいけない。


「失礼いたします。お客様がお見えです」


 軟禁中の二人監視すべく、屋敷周辺に待機していた王国兵が二人の下を訪れた。背後には赤毛をセンター分けにした一人の若い貴族の姿があった。その顔を見た瞬間、ネリーの表情が曇る。


「やあ、ネリー。この度はお父上のせいで大変な目にあったね」


 高圧的な笑みを浮かべた貴族の名はエンゾ・ルメルシエ。マチアス派の次席であるラザール・ルメルシエ卿の嫡男だ。父の寵愛を受けて甘やかされて育った影響からか、貴族らしからぬ粗暴な振る舞いが多く、好色家としても悪名高い。これまでに多くのトラブルを起こして来た問題児だが、悪行の数々は父ラザールの権威によって不問に帰されてきた。


 類稀たぐいまれなる美貌の持ち主であるネリーに、エンゾは数年前から好意を寄せており、ずっと求愛を続けて来た。ネリーにはギーという想い人がおり、女性関係を中心にエンゾの悪名は周知の事実。高潔なネリーが寵愛を受け入れるはずもなく、都度断りを入れてきたがエンゾの執念は凄まじく、一行に諦める気配を見せていない。


「父上は潔白です。そのようなご発言はお止めください」

「おっと失礼。だが、時間の問題だ。状況はすでにレイモン氏の有罪に動いている」

「そんなことが罷り通っていいはずがありません」

「僕に言われても困るな。全ては王国の決定なのだから」

「姉さん、落ち着いて。ルメルシエ様、本日はどのようなご用件でしょうか?」


 悔しさをにじませ食って掛かろうとするネリーをアランが諫めた。父を侮辱するような発言が腹立たしいのはアランも同じだが、ここで挑発に乗ったところで得はない。以前にトマが言っていた。感情を押し殺す演技も時には重要だ。


「ネリーに大事な話があるんだ。済まないが君は席を外してもらえるかな?」

「申し訳ありませんがそれは出来ません。父が不在である以上、私には長男としてブラントーム家の留守を預かる義務がございます。ネリーに用件があるというのなら、先ずは私を通してください」


 感情を殺しながらもアランは自らの立場と意思をはっきりと伝え、ネリーを庇うように前へ出た。


「子供が生意気な口を利く。身の程を弁えろ、僕はエンゾ・ルメルシエだぞ」


 高潔なアランの在り方がエンゾのしゃくに障った。エンゾ・ルメルシエという男は実年齢でアランよりも八歳も年上ながら、精神性では大きく劣る。ただ感情的に、気に入らない相手は全力で目の前から遠ざけようとする。


「お前たち、このガキを部屋の外へつまみ出せ」

「離してください。いったい何の権限があってこんな」


 エンゾが連れて来た屈強な兵士がアランを拘束し、無理やり部屋から摘まみだそうとした。アランが必死に抵抗するも、屈強な兵士たちはビクともしない。


「そのお方を離せ」

「がっ!」


 音もなく現れた騎士のサロメが、アランを拘束した兵士の腕を一瞬で捩じ上げ、アランを解放させた。ブラントーム家の臣下や使用人も屋敷内で待機を命じられていたが、騎士であるサロメが抵抗できぬよう、屋敷内から武器になりそうな物は全て取り除かれている。それでも、ずばぬけた戦闘能力を持つサロメにかかれば、武器を持たずとも屈強な兵士を組み伏せることは造作ない。


「ご無事ですか、エンゾ様」


 騒ぎを聞きつけ、エンゾが連れて来た護衛が武器を手に、次々と屋敷へ雪崩れ込んで来た。主君を守るためなばら武器が無くてもここにいる全員と刺し違える覚悟をサロメを持っている。一触即発の緊張がその場を支配した。


「お止めなさい、サロメ」


 均衡を破ったのはネリーだった。ここで余計な騒ぎを起こせば、取り調べを受けているレイモンの立場が悪くなる可能性がある。一度はエンゾを前に感情的になったネリーだったが、ブラントーム家の人間として正しくあろうとする弟や、その弟を守ろうとした臣下の活躍を見て、冷静さを取り戻しつつあった。


 強い口調ながらも悲し気なネリーの目を見てサロメはその心境を察し、両手を上げて無抵抗の意思を示した。


「エンゾ様、臣下が騒ぎを起こしてしまったことを心からお詫び申し上げます。ですが、ブラントーム家次期当主であるアランが手荒い扱いを受けたことに対し、騎士であるサロメが激昂するのは当然のことです。お互いに非があったということで、どうかこの件は不問にとして頂きますようお願い申し上げます。もちろん、エンゾ様のご用件も私一人で対応いたしますので何卒」


「君はやはり聡明だな。そういうところにも惚れ込んでいる。先程の対応は私も確かに大人げなかった。君の顔に免じて水に流すとしよう。私は寛大な男だからね」


 普段は拒絶の意志を示してくるネリーが迎合したことで気を良くしたのだろう。エンゾは大仰に両手を上げた。


「聞いての通りよ、アラン、サロメ、あなた達は席を外しなさい」

「しかし姉さん」

「お黙りなさい。サロメ、アランを連れ出して、これは命令よ」

「……かしこまりました。行きましょう、アラン様」


 足の動かぬアランを、半ば強引にサロメは部屋から連れ出した。姉を思うアランの気持ちも弟を思うネリーの気持ちも痛いほど分かる。分かるから苦しい。だけど今は、ネリーの指示に従うことしか出来ない。


「無粋だぞ。お前たちもさっさと退け」


 アランとサロメに続き、エンゾの護衛達もその場から締め出さ、部屋にはエンゾとネリーの二人だけとなった。

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