第25話 マルク・デュラランド卿

 オルグイユ王国南東部の町アントロジは、豊かな自然と温暖な気候に恵まれ、別荘地として人気が高い。町の至るところに、各地の高名な貴族たちの別荘が立ち並んでいた。


 バンジャマンの運営する裏カジノに出入りしていた貴族の名前が王都で出回った頃から、メサージュを所管する貴族、マルク・デュララランド卿は、地元を離れてアントロジの別荘へと身を寄せていた。


「不味い。非常に不味い状況だ。バンジャマンの身柄が抑えられたとなれば、私にもロワ・シュバリエの捜査が及ぶことは時間の問題だぞ」


 時々刻々と変化する状況に気が気でなく、マルクは豪奢な別荘で頭を抱えるばかりであった。少しでも時間を稼ごうと屋敷を離れてアントロジの別荘へ移ったが、ロワ・シュバリエが徹底的な捜査を行うことは有名な話。貴族だからと捜査の手を緩めることはなく、厳しい追及は免れない。


「マルク様、お客様がお見えです」


 リビングのソファーに腰掛けるマルクへ、側近である長身の男、シメオン・ダヴーが報告した。


「まさか、もうロワ・シュバリエの捜査の手が?」

「いいえ、捜査官ではないようですが、だからといって無視できる相手ではなさそうです。来訪者は若い男が一人、モーリス・ダルシアスと名乗っております」

「モーリス・ダルシアスだと?」


 面識はないが、バンジャマンからその名前は何度か聞いていた。目をかけていたその男に裏切られ、大金を騙し取られたことも把握している。一連の騒動にはモーリス・ダルシアスが大きく関与している。正体が何者であれ、シメオンの言うように無視できる相手ではない。


「通せ。話だけでも聞く」


 了解を得て、シメオンは直ぐに正門前で待たせていた来客を連れて戻って来た。


「お目通り叶い光栄ですよ。マルク・デュラランド卿」


 三つ揃えのツイードスーツを着こなした金髪青眼の青年、アンリ・ラブラシュリは、今回の詐欺に用いたモーリス・ダルシアスの名で、マルクの前へと姿を現した。


「とりあえず、掛けたまえ」

「それではお言葉に甘えて」


 マルクに促され、アンリはマルクと向かい合う形でソファーに腰を下ろした。

 捜査の手に怯えていた様子から一転、マルクはどこか威圧的な目つきでアンリを見据えている。詐欺師の若造如きに気後れすることは、貴族としての矜持が許さないのだろう。


「バンジャマンから大金を騙し取った詐欺師が私にいったい何の用だ? 強欲にも私からも財産をむしり取ろうという腹づもりか?」

「高慢だな。破滅を待つだけの小悪党が、未だに優位に立っているつもりか?」

「わ、私に対して小悪党などと無礼だぞ」

「事実を言って何が悪い。見苦しいから喚くな」


 訪ねて来た時の紳士的な態度が一変、アンリは普段は滅多に使わない強い侮辱の言葉をマルクへとぶつけた。その言葉に相手を逆上させるための演出やの意図は一切なく、ただたた本心だけで悪態をついている。ただならぬ迫力を漂わせたアンリに臆し、マルクは微かに身震いした。


「何も知らぬまま破滅するのは流石に可哀想だ。餞別せんべつに種明かしくらいはしてやるから安心しろ」


 高圧的に笑って見せると、アンリは余裕を見せつけるように足を組んだ。


「今お前が置かれている状況はバンジャマンを騙した副産物ではない。俺の標的は最初からお前だ、マルク・デュラランド。悪行を見かねて、バンジャマンにも相応の報いは受けてもらったがな」

「……何だと?」


 バンジャマンを標的とした詐欺の煽りを受けたことで嫌疑が及んだというのが、マルクの認識だった。最初から自分が標的だったというのなら、話が根本的に変わって来る。


「メサージュを所管する領主でもあるお前は、バンジャマンと交流のあった貴族連中の中で最も蜜月な関係にあった。お前は領主としての立場を悪用し、税率を引き上げることで意図して領民の生活に打撃を与え、バンジャマンの貸金業に優位な状況を作り上げていたな? その身返りとしてお前は、定期的にバンジャマンから多額の現金を受け取っていた。そこにいるお前の側近が、バンジャマンから裏カジノを任されていたデジレ・ジャガールと接触していたことも確認済みだ」


 デジレの動向を探っていたトマが目撃した、デジレと謎の男との密会現場。そこにいたのは今し方、アンリをマルクの下まで案内した側近のシメオン・ダヴーだった。尾行の末にシメオンが入っていった屋敷が、メサージュにあるデュラランド家の邸宅であることも確認済みだ。


「流出したバンジャマンの裏カジノの上級会員リストと、恩赦を条件に、お前とバンジャマンの癒着の内情を暴露をすることを決意したデジレ・ジャガールの証言。これらが揃えば、貴族の不正撲滅を掲げるヴェリテ王子の名の下に、ロワ・シュバリエが動き出すことは必然だ。そうなればもう、お前に逃げ道など存在しない」


「……名簿の流出もバンジャマンの部下の証言も、全て貴様の差し金だったのか?」


 見る見る表情が青ざめていくマルクに、アンリは嘲笑を向けた。


「これまで築き上げて来た地位と名誉が、一瞬にして失われる恐怖にせいぜい震えるのだな。お前のせいで多くの罪なき民が苦しめられてきたんだ。貴族とは民の心に寄り添う存在であるべきだ。にも関わらずお前はバンジャマンと結託し、領民のことなどお構いなしに私腹を肥やし続けた。恥を知れ、暗愚あんぐな小悪党めが」


「詐欺師ふぜいが、不敬が過ぎるぞ! 構わんシメオン、こいつを痛めつけろ」


 貴族の側近たるシメオンは、優秀な秘書であると同時に腕利きの護衛でもある。暴力をご消耗の主君の命に応じ、シメオンは懐から短剣を取り出した。


「そのお方に指先一つでも触れたら、私は容赦なく剣を抜くぞ」


 突然現れた仮面姿の女が音もなくシメオンの背後を取り、警告の意味を込めて剣の柄頭つかがしらでシメオンの背中に触れた。一体どこから現れたのか? そんな疑問を挟む余地もなく、シメオンは短剣を手放し降伏した。すでに短剣を抜いている自分よりも、まだ剣を鞘に納めている女の剣の方が早いとシメオンは直感的に悟った。戦いの心得があるからこそ理解出来る、圧倒的な格の違いが両者の間には存在している。


「安心しろ、俺はお前たちと違って手荒な真似をするつもりはない。彼女は護衛だ。俺に手出ししない限り彼女は何もしないよ」


 一瞬のやり取りで、アンリは戦力的にも自身が上回っていることを証明した。こうなればマルクとて、主導権がアンリにあることを否応なしに認めざる負えなかった。目線で合図し、マルクはシメオンを下がらせた。


「君も下がっていい」

「何かございましたら、すぐさま駆けつけます」


 仮面の女もアンリの指示に従い身を引いた。去り際の言葉はアンリに対してというよりも、マルクに対する警告の色の方が濃い。


「……貴様、さてはどこかの勢力に雇われた工作員だな?」


 平和な時代だからこそ、貴族間では派閥争いの色が年々濃くなってきている。バンジャマンから大金を騙し取ったとはいえ、本来の標的だったマルクには金銭的な被害は及んでいない。今回の作戦は間違いなく権威の失墜を狙ったものだ。アンリの目的についてマルクは真っ先に貴族間の謀略を疑った。


「呆れたな。お前が見据えているのは現在と未来だけ。過去に犯した過ちを省みようとしない。刺客とはいつだって標的を背後から一突きにするものだぞ」

「過去だと?」


 派閥争いを否定された上に過去が絡んでいるとなると、政治的な話ではなく、もっと個人的な復讐という線が濃くなる。しかし、目の前の詐欺師が何者なのか、マルクにはまるで心当たりがなかった。


「貴族たる者、臣民を愛し、愛される、誇り高き守護騎士であれ」

「……貴様、なぜその言葉を」

「別に。何となく頭に浮かんだだけだよ」


 その言葉を聞いた瞬間、マルクの表情が強張った。アンリが発したのは、今は亡き高名な貴族だったブラントーム家に代々伝わっていた家訓であり、最後の当主であった故レイモン・ブラントーム卿の口癖でもあった。思えば目の前の金髪青眼の男には、若かりし頃のレイモン・ブラントームの面影を感じる。加えてレイモンには、ブラントーム家の次期当主となる嫡男がいた。年の頃も目の前の男と合致するが、それは絶対にあり得ない。


「貴様まさか、アラン・ブラントームか? いや、そんなことは絶対あり得ない。ブラントーム家の血脈は完全に途絶えた。あの日の火災でアランも死んだはず。死体だって確認されている」


 マルクにとって目の前の男は、過去から蘇りし亡霊だった。恐ろしいものを見るように、声は震え表情は引き攣る。

 それとは対照的に、向かい合うアンリは冷笑を一切崩さない。その様は亡霊というよりも悪魔めいて見える。


「お前の言う通りだ。あの日、アラン・ブラントームは死んだ。死んだ人間は蘇らない。魔導研究が進んだ現代となってもその摂理は揺るぎない。今お前の前にいるのは己も犯罪者のくせに、悪党商人や腐敗した貴族が許せない、青臭い正義感をもった酔狂な詐欺師だよ」


「ふざけたことを。貴様、あの事件に関わった者全員に復讐していくつもりか?」

「言っているだろう。俺は正義に酔っているだけの酔狂な詐欺師だよ。だがもしも、アラン・ブラントームが生きていたとしたらこう言うだろうね」


 そう言って、アンリは身を乗り出してマルクの胸ぐらを掴み上げた。


「俺はお前たちとは違う。お前たち全員を殺すことは容易いが、それでは決して復讐足り得ない。貴族の地位に固執し、誇りも使命を忘れ、私腹を肥やし続ける愚かな豚に対する最大の復讐とは、必死になって作り上げて来た地位を崩壊させてやることだ。死んだほうがマシだと思えるような屈辱の沼へ仇敵を突き落とし、醜く泣き喚く様を堪能してやる。地位に固執した者の末路にはそれこそが相応しい」


 言葉とは裏腹にアンリの言葉には殺気が乗っていた。迫力に気圧されたマルクは恐ろしい物でも見たかのように硬直し、成されるがままソファへと押し戻された。


「直にここへもロワ・シュバリエの捜査官がやってくるだろう。アラン・ブラントームの名前を出すのは勝手だが、彼はもう死んでいる。名前を出したところでお前が正気を疑われるだけだろう」


「ま、待て! あの日のことなら詫びる。君がブラントーム家の再興と名誉回復を望むなら全力で力になろう。だから頼む、今回の件をどうか穏便に」


さいは投げられている。いまさら俺には止められない。お前の地位の失墜は免れないだろう。逃げたところで無駄だ。ロワ・シュバリエは貴様をどこまでも追い詰める。せいぜい、最後の晩餐ばんさんでも噛みしめることだな」


 最大限の侮蔑の言葉を残して、アンリはその場に崩れ落ちたマルク・デュラランドを後目に別荘を後にした。

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