第22話 美女は刺客へと路銀を手渡す

「……くそっ。何だって私がこんな目に遭わなければいけないのだ」


 バンジャマンの運営する裏カジノに近いバーのカウンターで、かつてバンジャマンの側近だったデジレは感情的に酒をあおっていた。


 側近として長年バンジャマンを近くで支えて来た。それをたったの一回イカサマ師を取り逃がしただけで雑用係へ降格だ。


 そもそもバンジャマンのやり口は非合法かつ強引で、まとまな商売として機能していない。それをずっと支えてきたのは自分だというのに、この扱いはあんまりだ。酒でも飲まねばやってられない。


「随分と荒れているわね。デジレさん」

「……あなたは、ダルシアス婦人」


 デジレの席の隣にアデライド扮するキトリ・ダルシアスが座り、バーテンダーへとカクテルを注文した。


「旦那さんはどうされたんですか?」

「商談で町を離れておられますわ。私は一人寂しくお留守番ですの」


 アデライドを一瞥したデジレは美貌を直視できず、直ぐに視線をカウンターへと戻した。


「……私に何か用ですか? お言葉ですが、私は降格させられ今はただの雑用係です。私に取り入ったところで利益は生まれませんよ」


 優雅な社長夫人が一人で訪れるタイプのバーではない。夫とバンジャマンとの交渉を有利にするために動いているのではとデジレは勘繰った。


「私と主人が抱いているのは利益以前の危機感です。主人は怪しまれないようにバンジャマンとの関係を続けてはいますが、最終的には距離を置くことを決断しています。私が今日こうしてデジレ様にお会いしたのも主人の指示によるものですよ」


「いまいち話が見えてこないのですが? 今となっては蚊帳の外だが、私の知る限り、ご主人とバンジャマン様との関係は良好なものでは?」

「厄介ごとには巻き込まれたくないということです。実は今、王都ではこのような文章が飛び交っているそうでして」


 アデライドから手渡された文章に目を通しデジレは絶句した。そこにはバンジャマンの経営する裏カジノに出入りしていた貴族の名前が記されており、上客である彼らの庇護の下に、バンジャマンの様々な悪行が放置されてきた旨を記す告発文であった。


「……そんな、どうしてこの方々のお名前が」


 貴族たちの名前の名簿は裏カジノで管理していたものだ。情報が漏洩があったとすれば、それは支配人を務めていたデジレの責任問題だ。イカサマ師を取り逃がしたことで降格処分を受けた直後だ。これほどの問題となれば命を取られるだけでは済まないかもしれない。


「国王陛下が病に伏し、現在の王政は不正撲滅の正義感に燃えるヴェリテ王子が影響力を強めております。このような告発文が出回れば、特務機関による捜査は免れないでしょう。主人は王都の動きを察し、少しでも自身の傷が浅くなるように努めています。降格させられたと聞き、デジレ様にもこのことを伝えた方が良いと主人は申しておりました」


「私が?」


「残念ながら、バンジャマンの悪行が表沙汰となれば、側近であったデジレ様も非難は免れないでしょう。ですが積極的に特務機関の調査に協力したとなれば、恩赦が与えられる可能性もあるのではないでしょうか?」


「……しかし、そう直ぐ決断しろと言われても」


 すっかり血の気が引きデジレは頭を抱える。捜査に協力することは自身の罪を認めることになる。そう簡単に決断出来る問題ではない。


「情報はまだ王都に留まっております。決断するなら騒ぎがバンジャマンの耳に届いていない今をおいて他にありませんよ?」


 考える時間を与えてはいけない。アデライドは強い口調で念押しした。酔いで思考能力が低下していることもあり、デジレが折れるまでに時間はかからなかった。


「……そうですね。バンジャマンがこのことを知れば私は確実に殺される。どうせ過ちを咎められるのなら、少しでも罪が軽くなるように動いた方が得策だ。これは正当な復讐だ。私を散々コケにしてきたあの男を、私の手で追い詰めてやる」


 バンジャマンに対して募らせてきた長年の不満が最後の一押しとなった。覚悟を決めたデジレは、手元の酒を一気に飲み干した。


「ご入用でしょう。主人から預かって参りました王都まで路銀です。お役立てください」


 アデライドはデジレの手に硬貨が詰まった袋を手渡した。交通費よりも少し大目に入れておいた。デジレには確実に王都に辿り着いてもらわなくては困る。


 王都までは片道五日ほどはかかる。ブリズ村からメサージュへ戻るバンジャマンと入れ違いでデジレがメサージュを発つことで、取引にデジレが介入することは出来なくなり、同時にバンジャマンの悪行を証言する人間を王都へ送り込むことが出来る。これでバンジャマンを破滅させる用意は整った。


 デジレの到着よりも早く、王都の特務機関が捜査に乗り出す心配もない。アデライドがジョアキムに見せた文章はまだ公表前のもので、実際にはまだ王都にも出回っていない。適性なタイミングで王都に出回るように、トマが上手い具合に調整してくれている。盤面はこれで整った。後はアンリがバンジャマンから現金を受け取ればそれで作戦は完遂される。

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