第17話 欺きし演者
――あった、これだ。
メロディは机の二段目の引き出しに、名簿らしき書類を三枚発見した。完全会員制で出入り口には常に屈強なガードマンを配置している都合上、内部の防犯意識はそこまで高くないようだ。そもそも、バンジャマンが経営する裏カジノまで乗り込んでくる命知らずはいないと、高を括っていたのかもしれない。
名簿は最新のもののようで、昨日、上級会員として認められたばかりのモーリス・ダルシアスの名前もしっかりと記載されている。
メロディは懐から白紙の紙とオーブリーから渡されたインク状の魔道具・ジェミニの入った小瓶を取り出した。
『こいつの使い方は至って簡単。印刷したい文章の上に白紙の紙を重ね、その上からジェミニのインクを垂らせばまったく同じ文面が白紙に印字される。液体状だが紙を浸すことはないので形跡も残らない』
事前にオーブリーから受けた説明をメロディは思い返す。帳簿などが置かれた机の上では別の文字まで印刷してしまう可能性があったので、メロディは機転を利かせ、来ていたマントを脱いで床に敷き、その上で作業を開始した。
一枚目の名簿の上に白紙を重ねてジェミニのインクを垂らすと、元から同じ内容の文章が重なっていたかのように、白紙に下の名簿と同じ内容が印字されていく。非常に便利な魔道具で作業時間も短いが、それでも三枚全てを印字し終えるまでには五分程度はかかる見込みだ。印刷の分野では革新的な速さであるが、人目を憚る作業をしている状況ではその五分が非常に長い。焦ってどうなるものでもないので、メロディは静かに進展を見守る他なかった。
※※※
「その男は後でみっちり締め上げてやる。裏の倉庫に放り込んでおけ」
一方その頃。カジノではイカサマをしていた初老の男が、屈強なガードマンに御用となり、裏へと連行されていった。男のコートから零れ落ちたカードを拾い上げ、デジレはディーラーの顔面目掛けて叩きつけた。
「袖に忍ばせたカードで手札を操るか。何とも古典的な手口だ。貴様らは何も気づかなかったのか?」
「申し訳ございません。イカサマには常に気を配っていますが、この者の手際は相当なもので、完全に見落としておりました」
「この馬鹿者が! 換金前だから良かったものを」
ディーラーをデジレが物凄い剣幕で怒鳴りつけた。場が静まり返ったことに気付き、コホンと咳払いをしてから館内の客にお詫びした。
「お騒がせてしまい申し訳ございませんでした。この件はこちらで処理しますので、皆様はどうぞゲームにお戻りください」
デジレにそう促され、客たちは各々それまでゲームをしていたテーブルへと戻っていった。イカサマ師のカモにされていた客たちには一人一人に従業員が対応し、賭け金の払い戻しなどの対応に当たっている。
「ダルシアス様、この度は不正を見破ってくださり本当にありがとうございました。あのような輩をのさばらせておけば、我々の信用にも関わります問題故に」
普段はむしろ運営側がディーラーにイカサマをさせて顧客から金を巻き上げ、上客向けには逆に接待で気持ちの良い勝ち方を提供。イカサマそのものは日常的に行われているのだ。それ故に顧客側の不正には、カジノ側は常に神経を尖らせている。
「お役に立てて何よりです。あのような手合いは私も許せませんでしたので」
心にもない嘘を、アンリは平然とした様子で吐く。どこまでも寛容なアンリにデジレは心底感謝し、何度も何度も頭を下げた。
「ああいうことはよくあるんですか?」
「恥ずかしながら時々。常に警戒はしていますから、大抵は未遂に終わりますがね。今回の男はなかなかのやり手のようでした」
「デジレさんも大変ですわね。気苦労をお察しいたします」
「い、いえ。気苦労だなんて。弱音を吐いてしまってお恥ずかしい限りです」
アデライドからかけられた言葉にデジレは赤面して俯く。彼の気苦労を労うことで、騒ぎが収まってからも彼をこの場に繋ぎ止めることに成功した。これでまた少し時間が稼げる。
※※※
――もう少し、もう少しだ。
メロディの作業も佳境に入っていた。名簿のうち二枚はすでに印字を終えて残るはあと一枚。それさえ済めば、入って来た時と同じ要領で裏カジノを離れればいい。
しかし、タイミングはかなりギリギリだ。
※※※
「それでは、私はまだ仕事が残っていますのでこれで失礼いたします。お騒がせしてしまいましたが、この後もどうぞお楽しみくださいませ」
一通りの対応を終えたデジレが事務所へ戻る素振りを見せた。簡単な作業とはいえメロディには慣れないことをさせている。出来ればもう少し時間を稼ぎたいところだったが、これ以上繋ぎ留めるのは不自然になりかねない。
「すみません、最後に一つよろしいかしら?」
「何でしょうか奥様」
「お手洗いの場所を教えて頂いてもよろしいかしら?」
「ああ、それでしたら。右の突き当りですよ」
「どうもありがとう」
ほんの数秒のやり取りだったが何もしないよりはマシだろう。アデライドとのやり取りを最後に、デジレは事務所へと戻っていった。
――よし、全部終わった。
メロディは全ての名簿の内容の印字を終え、懐へとしまった。後は名簿を元の場所に戻してこの場を立ち去るだけだ。
「まったく、イカサマ師が出るとはついていない夜だ」
廊下からデジレの声が聞こえ、メロディはビクリと体を震わせた。名簿は机の中に戻したが、今扉を開ければ確実にデジレに怪しまれる。最後の手段として、あえて部屋に留まり存在感を消してやり過ごすという手もあるが、姿を消しているわけではないので耐えるのにも限界はある。
スリや気づかれずに潜入する場合は一瞬だからこそ成立するが、デジレが日常的に利用している部屋に長時間留まれば、どこで綻びが生じるか分からない
事務室の扉のノブが回り、扉が半分ほど開いた。メロディは咄嗟にフスクスで存在感を消し、入口からは死角となる場所へと背中をピタリと張り付けた。
「大変ですデジレ様。捕らえたイカサマ師の男が逃走しました」
「何をやっているのだ! ええい、私も行く」
部下からの報告を受け、デジレは慌てて部下と共に店の裏口へと走っていった。今からでも逃げた男を追跡するつもりなのだろう。
事務室の前からデジレが去った好機を見逃さず、メロディは気配を消したまま、焦らずにカジノの方へと抜けた。そのままタイミングを見計らい、大損して足取り重くカジノを後にしていく男性に便乗し、正面の扉から外へと出た。
「貴様らは大通りの方を探せ」
建物の裏手の方からは、部下に指示を飛ばすデジレの声が聞こえて来た。直前まで誰かが事務室にいたことには気づいていないし、気づく余裕もなさそうだ。
――私、やりましたよアンリさん。
あくまでも油断はせず、存在感は消し続けたままメロディは帰路へついた。
※※※
「たかがイカサマ師と侮るからこういうことになる」
追手を完全に撒いたイカサマ師は劇場近くのアパートの一室へと駆け込み、変装に使った
全てはアンリの計画通り。メロディが情報を掴む時間を稼ぐために、裏カジノという環境を利用して一芝居を打ったのだ。
ディーラーの目さえも盗んでイカサマ行為が出来る器用さを持った人間は、アンリを除けばトマしかおらず、必然的にその役を担うことになった。入場に必要な会員証は、目星をつけた標的からメロディが予め盗んでおいたものを利用した。一度屈強な男達に連行されたが、脱出術や武術の心得もあるトマならば逃走し、追手を完全に振り切ることは難しくない。アンリと予め決めておいた時間を頭の中で計算し、メロディの助けになればと、逃走で騒ぎを起こすタイミングも計算ずくだった。
「いよいよ大詰めだ。もう少しでこの仕事も終わりだな」
夜空に一人呟き、トマはアパートの一室を後にした。道中、裏カジノから逃げたイカサマ師を追う一団とすれ違った、気品あふれる紳士が先程の粗暴なイカサマ師と同一人物だとは夢にも思わず、追手たちはそのまま素通りしていった。
※※※
「裏カジノでの収穫は完璧といっていい。イカサマを見抜いたことでモーリス・ダルシアスに対する信頼もさらに強まっている。光竜鉱石の流通時期も近づいてきたし、いよいよ最大の作戦を仕掛けようと思う」
カジノでの一仕事を追えて酒場へ戻ったアンリ達は地下室で打ち合わせを行っていた。大役を果たして疲れ切っていたメロディはすでに上の部屋で休んでおり、冒険者としての仕事が入ったサロメも入れ違う形でメサージュを発ったため、この場には不在だ。
仲間として情報の共有は行うが、名簿の入手とバルバ水晶の入手という大役を終えた二人の今回の作戦での役割はほぼ終了。残る大仕事は主にアンリとオーブリーとに分担される。
「火竜鉱石採掘権の取引は大きな金が動く。流石のバンジャマンも現地視察ぐらいは行うだろう。オーブリー、予定通り現地でバンジャマンを歓迎出来る状況を整えておいてくれ」
「いよいよ俺も表立って活動ってわけだ。腕が鳴るぜ」
今回の取引に利用する採掘権は元々商人であるオーブリーが所有していたものだ。現在は架空の存在であるモーリス・ダルシアスに権利を譲渡しながらも、いつでも取引に利用出来るよう、維持管理はしっかりと続けてある。閉鎖前提の佇まいでは騙せるものも騙せなくなる。詐欺に必要なのはハッタリと説得力だ。
「トマさんには裏カジノの顧客名簿の取り扱いをお願いします」
「任せておきなさい。すでに情報を流すルートは確保してある」
火竜鉱石の採掘権を売りつけたバンジャマンから大金を騙し取る。痛手には違いないが、バンジャマンの権威に致命傷を与えるには至らない。だが、裏カジノの会員名簿はバンジャマン倒す切り札となりえる。この情報を一番上手く扱えるのは、幅広い人脈を持つトマをおいて他にいない。
「作戦はいよいよ大詰めだ。絶対に成功させましょう」
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