第16話 ポーカー

「レイズ」


 アンリは怪しまれないよう、その場に居合わせた男性客たちとポーカーに興じていた。今のところはイカサマなどが行われている様子はなく、純粋な心理戦と運の絡んだ勝負が展開されていた。下手に周囲の注目を集めぬよう、程々の勝率でアンリは状況を調整していた。


「やだー。また負けちゃった」


 対照的に、別のテーブルではアデライドが派手に大損していた。セオリーを弁えているアンリと違い、アデライドはギャンブルに関してまったくの素人だが、その方がリアリティがあると考え、アンリはあえて事前に定石を仕込むような真似はしていなかった。そのルックスもあって敗北には惨めさではなく、圧倒的に愛嬌の方が勝っている。一緒に勝負している男性陣もどこか微笑まし気に見守っている始末だ。


「お兄さん。奥さん、また負けちゃったみたいだね」

「妻が楽しそうで何よりですよ。彼女が負けた分は僕が頑張って取り返します」


 同じテーブルを囲む紳士にアンリは笑顔でそう答えた。


 ――さて、そろそろ頃合いかな。


 アンリのテーブルのゲームが終了したタイミングで、会場内がにわかに騒がしくなってきた。先程からずっとポーカーで連勝を続けている男性がおり、さらに記録を伸ばしたことで周囲が騒めいたのだ。アデライドに見とれていた者たちも、勝負師としての血が騒ぐのか、自然とそちらへ意識が向く。


「あの男、また勝ちやがったのか」


 一緒にテーブルを囲んでいた男性客が見物に立ち上がったのに便乗し、アンリも勝ち続けている男のテーブルへと近づいた。


「また俺の勝ちだ。今日はついているな」


 長髪を括った初老の男が、満面の笑みでテーブルのチップを両腕で引き寄せた。比例して同じテーブルについている男性客たちからは、諦めにも似た苦い表情を浮かべている。すでにかなりの額をすってしまっているに違いない。


「……私はもう下りる。自信のある者がいれば代わりに入ってくれ」


 財布の限界が近かったのだろう。白髪の老紳士が根を上げ席を立った。連勝を続ける男に挑んでみたい気持ちがある一方で、自分達も同じ末路を辿るだけだと容易に想像がつく。観戦していた者達は興味を示しながらも、参加そのものには及び腰だ。


「面白そうだ。私が入りましょう」


 アンリが堂々と名乗りを上げ、周囲が騒めき立った。新顔の若者に対する感心と、勇み足を心配する声が半々ずつといった様子だ。


「おうおう兄ちゃん、今日の俺に挑んでくるとは命知らずだな」

「命知らずかどうかは分かりませんよ。勝負運は天のみぞ知るですから」


 大口を叩く若造に、初老の男性は機嫌を損ねた様子だ。周りに聞こえるようあからさまに舌打ちをした。


「ご婦人、あちらのテーブルが面白いことになっていますよ。あなたの旦那さんが本日負けなしの男に挑むようだ」

「まあまあ、モーリス様が。それは応援しなくては」


 ゲームを終えた直後のアデライドが席を立ち、アンリの応援に駆け付けた。賭け事そのものよりも、美しいアデライドと一緒にゲームを楽しむことの方に熱中していた男性陣は物足りないといった様子。結局テーブルを囲んでいた男性たちも、まるで取り巻きのようにアデライドに続いて観戦に向かった。


「モーリス様! 頑張ってくださいましー」

「キトリ、恥ずかしいから止めてくれないか」


 人目を憚らず愛する旦那を応援する妻と、それを恥じらい目を伏せる旦那。二人のやり取りを見て周囲から笑いがこみ上げる。人目を引くアデライドが観戦に加わったことで人だかりはさらに増え、それまで興味を示してなかった他の客も何事かとアンリのテーブルを注視するようになった。それは裏カジノの従業員も同様だ。次第にアンリの参加するゲームは会場中の注目の的となっていた。


 ――凄い、アンリさんとアデルさんの周りにたくさんの人が集まってる。


 徐々にメロディの動きやすい状況が整いつつあった。これで客の意識は完全にゲームに向いたが、バックヤードの従業員を惹き付けるまでにはまだ至らない。メロディは焦らずにその瞬間を待ち続ける。


「さあ、ゲームを始めましょう」


 アンリに促されディーラーがカードを配り始めた。アンリは自分の手札と他のプレイヤーの顔色を伺いながらチップを積んで賭け金を釣り上げていく。今回も自信満々のようで、初老の男性も勝負に乗り、賭け金をどんどん釣り上げていった。


「……私は下りる」

「私もだ。これ以上は流石に恐ろしい」


 強気に賭け金を釣り上げていく二人に付き合いきれず、一人、また一人とプレイヤーがゲームを下りていく。


「止めだ止めだ!」


 粘っていた壮年の紳士もついに諦め、ゲームはいよいよアンリと初老の男性との一騎打ちとなった。アンリの手札にはすでにフルハウスの役が揃っている。


「粘るね、兄ちゃん。よっぽど手札に自信があるのか、それともハッタリか」


 初老の男が不敵に笑った瞬間、コートの袖で何かが動くのをアンリは見逃さなかった。


「前者ですよ。披露するまでも無かったようですが」

「何を!」


 咄嗟にアンリは初老の男の右手首を掴みとった。男が動揺した瞬間、コートの袖から配られた枚数以上のトランプが零れ落ち、床へと散らばった。強い役を生み出せる組み合わせが複数枚見受けられる。決定的な瞬間を目撃し、観客は唖然、賑わっていた店内を静寂が包み込んだ。


「連戦連勝の絡繰りはイカサマでしたか。まったく、胸躍る勝負を期待していたのに、拍子抜けですよ」

「ち、違う、俺はイカサマなんて……」

「見苦しい。袖から零れ落ちたトランプが動かぬ証拠だ。恥知らずのイカサマ師め!」


 狼狽する初老の男と激しく非難するアンリ。男に苦渋を飲まされてきたこれまでの対戦者からも罵詈雑言が飛び交った。


「何事ですか?」


 騒ぎを聞きつけ、裏カジノを預かるデジレや、バックヤードで作業をしていた従業員らも集まり出し、場内は騒然とする。


 ――今しかないよね。


 騒ぎに乗じて、メロディはデジレが出て来たバックヤードを目指した。裏ではまだ数名の従業員が作業をしているが、幸いにも目当ての事務所には人の気配はないようだ。存在感を消していても音は聞こえる。メロディはそっと事務所の扉を少しだけ開け、細い体をねじ込むようにして侵入した。今までは責任者のデジレが事務仕事をしていたのだろう。執務机の上には帳簿とペンが出しっぱなしになっている。


 アンリが時間を稼いでくれてるとはいえ、いつデジレが戻って来るか分からない。メロディは急いで、目当ての会員名簿の探索に入った。


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