第15話 裏カジノ

 翌日の夕刻。アンリとアデライドはバンジャマンの経営する裏カジノへと足を運んでいた。表向きは合法的な遊技場として運営されているが、店内は一転、大陸法で定められた限度額を遥かに超える、規格外の金額が行き交う違法賭博だ。違法な施設であることはすでに周知の事実だが、顧客には有力貴族などの地元の名士が顔を連ねており、彼らの偉功によってバンジャマンの商売は守られている。


 賭博場から通りを挟んだ反対側、かつてはメロディの父親経営する宿があった一角には、泊りがけで賭博を楽しむ上客向けに建設した宿泊施設が建っている。明りの灯った部屋が多数あり、今日も多くの客が滞在しているようだ。


「会員証はお持ちでしょうか?」


 賭博場の入り口を守る二人のガードマンがアンリとアデライドの行く手を遮った。アンリは先日バンジャマンから贈呈された上級会員を示す、三つ首の竜が刻印された銀時計をガードマンへと提示する。


「上級会員様でしたか、これは大変失礼いたしました。さあ、どうぞお入りください」

「ありがとう」


 無事に入店をパスし、アンリとアデライドは腕を組む仲睦まじい夫婦として裏カジノへと足を踏み入れた。この日のアンリは黒い三つ揃えのスーツでシックにまとめ、アデライドは対照的に背中や肩が大きく開いたセクシーな赤いドレスを着用している。以前、バンジャマンと交渉に向かう際に二択で悩んだ中の一着だ。前回はバルバ水晶を目立たせるために暗い色味を選択したが、今回は何かと目立った方が得だと考え、華やかさを優先してコーディネートした。


 始めて訪れた場所に興味を抱いている振りをして、アンリは広い店内全体をざっと見渡していく。店内には身なりの良い客が数十名おり、ポーカーやブラックジャックなどの賭け事に興じている。


 店内の角にほんの一瞬だけ、メロディらしき人影を確認出来た。始めからいると分かっていてこの程度の認識なのだから、他の客や店の従業員らが、裏カジノに不釣り合いな可憐な少女の存在に気付くことはまずないだろう。今回の作戦にはメロディの力が必要なため、予め潜入しておくように指示を出しておいた。フスクス(希薄存在)で存在感を消すことが出来るメロディなら、他の客の入店のタイミングに合わせて潜り込むことは難しくない。


「ダルシアス様。本日はご来店頂きまして誠にありがとうございます」


 ダルシアス夫妻の姿を見かけ、裏カジノの運営を任されているデジレが笑顔で近づいてきた。上級会員証を渡されたこともそうだし、モーリス・ダルシアスに目をかけるようバンジャマンから言い遣っているようだ。


「バンジャマン様のご厚意に甘え、早速来店させて頂きました。僕以上に妻はこの手の遊びに目が無くてね」

「もう、止めてくださいよ、あなた」


 せっかくなので、昨日アデライドが使ったアドリブの設定をここでも続けておく。頬を赤らめ旦那の肩に触れる仕草に、以前からアデライドの美貌に見惚れていたデジレの目が釘付けとなっている。


「軍資金として五十万パンタシア用意して参りました。チップと交換頂けますか?」

「こちらへどうぞ。昨日は詳しい説明をする機会が無かったかと存じますが、上級会員の方には特別に無利子で軍資金をお貸ししておりますので、ご入用の際にはお申し付けくださいませ」

「だそうだよ、キトリ。今は大事な時期なのだからあまり使い過ぎないようにね」

「分かっていますわよ」


 アデライドは少女のように頬を膨らませてみせた。美麗な容姿と子供じみた反応のギャップは破壊力抜群のようで、いつの間にかマグナ以外にも彼女に対する視線の数が増えている。賭け事に募った紳士たちは若き美貌の乙女に夢中のようだ。


 ――凄いなアデルさん。到着したばかりなのに店中の男の人の視線を集めちゃった。


 今はまだ動きようがないので、メロディは静かに息を潜めて成り行きを見守っていた。目立つ容姿と行動でアデライドが注目を集め、後々メロディが動きやすいような状況を整えておく。全ては計画通りだ。


『メロディには店内のどこかに保管してあると思われる、会員名簿を見つけ出してもらいたい』


 それがアンリがメロディに指示した重要な役割だった。もちろん会員名簿を直接持ちだしたりはしない。新規の上級会員であるダルシアス夫妻が裏カジノを訪れたその日に名簿が紛失すれば、当然関与が疑われてしまう。原本は持ち出さず、情報だけを複製する術はちゃんと用意してある。


 商人であるオーブリーが用意してくれた、ものの数秒で別の紙にも同じ内容を印字してくれるジェミニと呼ばれる特殊な魔道具。これがあれば白紙の紙に短時間で情報を複製することが出来る。扱いが簡単なので素人のメロディにも十分使用可能だ。


 ある魔導士がジェミニの精製に成功し、大量生産の方法を確立したことで印刷技術が格段向上したことが、昨今の書籍や新聞の大量発行に繋がっている。


 ――今はまだ駄目だ。好機はきっとやってくる。


 事前に下調べをして、名簿がバックヤードの事務所の引き出しにしまわれていることは確認済みだが、事務所の周辺は絶えず関係者が行き来しており、情報を持ち去ることは難しい。フスクスの能力で侵入までは余裕だが、収納場所を物色し、ジェミニを使って別の紙に情報を印字するという作業までこなすのは難易度が高い。


 メロディが消せるのは己の存在感のみ、誰もいないはずの場所で勝手に引き出しなどが空けば、そこから矛盾が生じてメロディの存在まで認識される可能性が高い。


 やるなら数分間誰も事務所に立ち入らない状況を作る他ない。その状況を作る役目を担っているのは他ならぬアンリとアデライドだ。好機は必ず二人が作ってくれる。メロディに求められるのは、その瞬間に即座に対応することだ。


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