第13話 諜報員・トマ・バルバストル

 正午前。バンジャマンの運営する裏カジノを望むカフェで新聞を読みながら、トマはバンジャマンの側近であるデジレ・ジャガールがカジノから出てくるのを待っていた。ジョアキムはバンジャマンは裏カジノの運営を任されている重要人物であり、その動向を探るよう早々にアンリから指示されていた。


 程なくしてカジノの裏手から大通りにデジレが姿を現す。デジレはスーツを着た小柄な中年男性で、胸にはパンパンに膨らんだ革製の鞄を大事そうに抱えている。


 トマはゆっくりと会計を済ませ、距離を取ってデジレの尾行を開始した。往来の人混みも利用し、存在を悟られることなく後をつけていく。それでいて自身は往来の中でも決してジョアキムの姿を見逃さない。トマはメロディのようにデュナミスを有してはいないが、長年培ってきた技術により、決して標的に悟られることなく尾行を続けることが可能だ。


 やがて、デジレは人目を気にしながら大通りを外れ、人気のない廃工場地帯へ足を踏み入れる。そこでジョアキムは背の高い男性と落ち合った。


 ロングコートにハットをかぶり、コートの下には武器を隠し持っているのも確認出来た。落ち着き払った様子のコートの男とは異なり、デジレは緊張で顔に脂汗を浮かべている。力関係ではコートの男の方が上のようだ。


「今月分です。お納めください」

「確かに受け取った」


 コートの男が鞄の中身を確認すると、そこには大量の金貨が詰め込まれていた。有に数百万パンタシアは越える大金だ。今月分と言っていた以上、定期的に金銭のやり取りをしていることが伺える。


「それでは私はこれで」


 一礼すると、コートの男は鞄を片手に廃工場地帯を去っていた。やり取りをトマに盗み見られていたことには気づかなかったようだ。


 ――あの男、調べてみる価値はありそうだな。


 その場を去ろうとするデジレを避ける形で建物の裏手から回り込み、トマはコートの男が向かった大通り方面へと廃工場地帯を抜けた。記憶力に優れるトマは往来の中から直ぐにコートの男の後ろ姿を発見した。長身なので男の姿はよく目立つ。往来に溶け込んだまま、すぐさま尾行を開始した。


 コートの男が大通りを抜け、徐々に道行く人の数も減って来たが、コートの男は尾行に気付いた様子はない。警戒して人気のない場所でジョアキムとやり取りをしていたが、あくまでも形式的なもので、当人の警戒心はそれほどでもないのかもしれない。


 やがて、コートの男は豪奢な屋敷が立ち並ぶ高級住宅街へと差し掛かった。その中でも一際大きな屋敷の門扉を潜った。下調べしていたバンジャマン邸よりもさらに大きな屋敷だ。周囲には門兵が待機しておりセキュリティも厳重。流石のトマも屋敷の近くまでの接近は危険と判断し、コートの男がどの屋敷に入ったのかだけを見届けて尾行を終えた。


「やはりそういうことだったか」


 その大きな屋敷が誰の者かは、調べるまでもなく直ぐに分かった。バンジャマンを上回る財力を持つ人間など、このメサージュの町では限られている。あの屋敷に正門から堂々と入っていったのだから、コートの男が何者なのかも容易に想像がつく。メサージュの町を取り巻く悪意は相当根深いもののようだ。


 ※※※


「戻ったぜ、大将。こいつがご所望のバルバ水晶だ」


 計画通りに四日でオーブリーとサロメはメサージュの町へと戻った。サロメがアフタリチェトの首を落とし、オーブリーが顎から採集したバルバ水晶は鮮やかな薄青色の輝きを放っている。採集、運搬ともに完璧な仕上がりで、バルバ水晶には傷一つない。仮にこのまま市場に流したとしてもかなりの額で捌けるだろう。その他の魔物から採集した素材も上質なものばかりで今後の活動資金に活用可能だ。


「素晴らしい逸品だ。お疲れ様、サロメ、オーブリー」

「俺はほとんど何もしてないよ。九分九厘サロメのおかげだ」

「謙遜するなオーブリー殿。これだけの品質を保てたのは貴殿の技術があってこそだ。私の方こそ大したことはしてないよ」

「そういうお前はもっと自分の実力を誇示した方がいいと思うぞ。あれを大したことないと言ってしまったら全冒険者が自信喪失するって」


 冠百竜アフタリチェトに加え、スペルビア山脈に生息する凶暴な魔物を一度に大量に退治。私的な活動なのでギルドなどの公的記録には乗らないが、これがギルドからの正規の依頼だったなら、冒険者サロメ・シャンデルナゴールの新たな武勇伝が大陸中を駆け巡ったことだろう。


 この時点では二人も知り様がないが、サロメが大量の魔物を倒して去った直後、現場を通りがかった冒険者が、大量の魔物の死骸を発見しギルドへと報告。旅の冒険者の神業か、あるいは魔物同士が壮絶な縄張り争いを繰り広げた挙句に全滅したのか。様々な憶測が飛び交い、スペルビア山脈の怪としてしばしの間、大陸中の冒険者の間で話題が沸騰することとなる。


「バンジャマンには?」

「先程連絡を取った。夕刻にバンジャマンの事務所で取引を行う運びになったよ」

「連絡を受けたその日の内にか。相当コレクターとしての血が騒いでいると見える」


 リアクションの早さはそのままバンジャマンの期待値を表している。詐欺師としては大いにやりやすい状況だ。


「矛盾が生まれぬよう、改めてバルバ水晶についての知識を突き合わせておきたい。レクチャーを頼めるかな、オーブリー」

「勉強熱心な大将のことだ。今更俺が教えることも無いとは思うが、用心に越したことはないか」


 そう言ってオーブリーは、バルバ水晶の鑑定結果や魔物の素材に関する自前の専門書を円卓の上に広げ、アンリと打ち合わせを始めた。作戦を成功させるため、ギリギリまでクオリティを上げる努力を惜しまないのがアンリのスタイルだ。


「アデル、トマ様とメロディの姿が見えぬようだが、二人は活動中か?」


 アンリとオーブリーが打ち合わせを行っている間、サロメは邪魔にならないように二階へと上がりアデライドの部屋を尋ねた。アデライドは姿見の前で下着姿のまま、夕方からの作戦で着る衣装を選んでいた。


「トマおじ様はバンジャマンの側近の周辺を調査中で、メロディちゃんは散歩中。ちょっと色々あってね。今は一人で心の整理中なの」

「心の整理?」

「私の口からあまり多くは語れないけど、メロディちゃんにとってバンジャマンは憎き相手だからね。復讐の形にも色々あるじゃない。それに葛藤しているというか何というか」

「なるほど、何となく察しはついたよ。深くは聞かぬが、葛藤しているのならば大丈夫だろう。あの子の目は優しすぎる。一線は越えられないよ」

「うん、私もそう思う」


 思っていることは同じだ。二人の間に多くの言葉は不要だった。


「ねえ、どっちのドレスがいいと思う?」

「聞く相手を間違えているぞ。戦うことしか能のない私に服飾のことはよくは分からない」

「そんなに堅苦しく考えなくてもいいよ。直感でいいからさ」

「直感か……」


 アデライドがベッドの上に並べたドレスをサロメは難しい顔で凝視した。デザインはどちらもほぼ同じで、肩と背中が大きく開いたセクシーなロングドレスだ。アデライドは自信の髪色にも似た赤いドレスと、シックな濃紺のドレスの二択で悩んでいるようだ。どちらも事前にオーブリーが用意してくれたもので、着てる本人の気持ちが乗るが一番らしく見えるというオーブリーの持論のもと、好きな色を選べるよう同じデザインでも何色もバリエーションが用意されている。


「アデルには赤い方が似合うと思うが、今回は紺色の方が良いのではないか? 服飾についてはよく分からないが、今回の主役はいわばバルバ水晶だ。そちらを引き立てた方がよいのではと、何となく思った」


「なるほど、そういう考え方もあったか。私の美貌と華やかさの前じゃ水晶が霞んじゃうものね。アンリためにも今回は控えめにしておこう」

「参考になったのなら何よりだ」


 サロメの意見を受け入れたアデライドは、姿見の前で濃紺のドレスを自分の体に当てた。


「ねえ、サロメ。本当にお洋服には興味はないの?」

「言っただろう。私は戦うことしか能のない人間だ」

「そんなの関係無いじゃん。戦士だって女の子だよ。もちろん戦場で着飾る必要なんてないけどさ、プライベートな時間に着飾るのは自由でしょう」

「私には必要のないことだ」

「何だか勿体ないな。サロメは本当に美人だもの。着飾っても絶対に衣装映えすると思うんだよね」

「お褒めに預かり光栄だが、着飾ったところでそれを見せたい相手もいないからな」

「そう? アンリとかは?」

「な、な、何でここであの方の名前が出てくる」


 サロメは声を上ずらせ、乙女のように狼狽した。


「何となく。二人って昔からの知り合いみたいだし、普段のかっこいいサロメとは違った一面を見せたら、アンリも驚くんじゃないかなって思って」

「何だ、そういう意味か」

「うん。そういう意味」


 他意はなく、アデライドは単に身近な男性の例としてアンリの名を出しただけだと分かり、サロメはホッと一息ついた。その反応こそが、アデライドにサロメの抱く感情を確信させるに至ったのだが、安心しきっているサロメがそのことに気付いた様子はない。感情の機微を読み取ることに関しては、演技派のアデライドの方が一枚上手だ。


「センスに自信が無いなら私が選んであげるからさ、今度一緒にお洋服を見に行こうよ」

「……服は別にいいが、私も久しぶりに買い物はしたいし、出かけたいのなら付き合ってやらないでもない」

「決まりだね、そうだ、その時はメロディちゃんも誘っちゃおう」


 無骨な戦士と華やかな女優。チーム内での二人の役割は大きく異なるが、同年代の女性同士、確かな絆も存在している。


「一人で着るのは大変だから、背中側をお願いしてもいい?」

「構わぬよ」


 アデライドが濃紺のドレスに体を通していくのを、サロメは穏やかな表情で手伝った。

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