第12話 冠百竜アフタリチェト

「寒っ! メサージュとはえらい違いだぜ」


 メサージュを発った翌日。バルバ水晶入手の大役を担ったオーブリーとサロメは、北部ドロワット領とゴーシュ領の境界にあたる、スペルビア山脈を訪れていた。


 アフタリチェトの生息するスペルビア山脈は標高二千メートル級の山々が連なり、季節を問わずに雪深い。何重にも重ねたニットの上にさらに厚手のコートを羽織ったオーブリーはそれでもなお寒そうだが、冒険者として常日頃から過酷な自然環境に飛び込む機会の多いサロメは、革鎧の上から白いコートを羽織っているだけの軽装だ。にも関わらず、寒さを大して気にしていない。


「サロメ、お前は何でそんな軽装で平気なんだよ」

「心頭滅却すれば火もまた涼しと、東方出身の冒険者が言っていた。その逆も然りということだ」

「つまりは気合いってことか? そんな無茶苦茶な」

「そういうオーブリー殿こそ、どうして態々こんな場所まで同行してきたのだ。麓の村で暖を取りながら待っていることも出来ただろう」


 過酷な自然環境の下、凶暴な竜であるアフタリチェトの討伐に向かうのだ。多少は戦闘の心得があるとはいえ、商人のオーブリーには荷が重い。凄腕の冒険者であるサロメがいるのだから尚更その意義は薄い。


「バルバ水晶は状態によって価値が変動すると言われている。その場で綺麗に採集したり、鑑定が出来る人間が一緒にいた方がいいだろう。大将のためだ。どうせなら最上の物を届けてやりたい」


 オーブリーのアンリからの要望に全力で応えようとする姿勢を聞いた瞬間、先頭を行くサロメは足を止め、涙を浮かべて振り返った。いったい何事かとオーブリーの方が委縮してしまう。


「すまない。私は何と失礼なことを言ってしまったのだろう。あの方を思う貴殿の言葉に私は深く感動した。先程の失言を詫びさせてくれ」

「別に気にしてないからそういうの止めろ。まったく調子狂うぜ」


 冬山なのに空気感が暑苦しい。ぐいぐい距離を詰めてくるサロメをオーブリーは遠慮がちに諫めた。


「俺は大して戦えないから、しっかり守ってくれよ」

「無論だ。この命に代えてもオーブリー殿の安全は私が保証しよう」


 サロメという女性はアンリたちの仲間の中で最も生真面目かつ真っ直ぐな性格だ。幾ら悪人だけを標的にしているとはいえ、どうしてこんなに真っ直ぐで強い人間が詐欺という犯罪行為に加担しているのか、オーブリーには時々分からなくなる。仲間の過去を詮索しない暗黙の了解に従い、好奇心はなるべく抑え込むようにしているが、凄腕の冒険者のサロメと詐欺師のアンリがどういった経緯で手を組むに至ったのかは、以前からずっと気になっている。


「ん? 何だ?」


 静寂に包まれていた雪山が突然轟音に見舞われた。何事かと思い、オーブリーは音のする斜面へと視線を向ける。


「な、雪崩! 俺が大声出したせいか?」


 凄まじい轟音と共に大量の雪崩が斜面を下り二人へと迫って来た。突然の出来事にオーブリーは慌てふためく。


「オーブリー殿。私の後ろを動くな」


 サロメは雪崩から庇うようにオーブリーの前へ出た。背中の両手剣を抜くと、迫りくる雪崩へ向けて刺突の構えを取る。


「霧散させる!」


 雪崩が迫った瞬間、サロメは両手剣で強烈な刺突を放った。衝撃で凄まじい領の雪煙が吹き荒れる。サロメの背中に隠れるオーブリーも堪らず両目を瞑った。


「こいつは……」


 恐る恐るオーブリーが両目を空けると、サロメの刺突を始点に、雪崩が二人だけを避けるように両脇を通り抜けていく。特殊な技など何も使っていない。サロメは純粋な刺突の圧力だけで迫りくる雪崩を裂いて見せたのだ。


 アンリの仲間となってそれなりに経つが、サロメの剣技を間近で見る機会はこれまでほとんどなかった。瞬閃の異名を取るサロメ・シャンデルナゴールの凄さをオーブリーは改めて肌で感じ取った。


「安心しろオーブリー殿。どうやら雪崩は貴殿のせいではなかったようだぞ」

「あれは……」


 雪崩の発生源と思われる斜面の上方で大きな影が動くのが見えた。全身を岩のような鱗に包まれた巨体と、顎下に位置する鮮やか薄青の水晶が特徴的な四足歩行の巨大な竜。それは紛れもない、今回の標的である冠百竜アフタリチェトだ。足場の悪い雪山での遭遇。並の冒険者ならば絶望すら感じている状態だ。


「向こうから会いにくるなんて実に好都合。私達は運が良いな」


 サロメは危機感など微塵も感じず。早々の遭遇を喜んでさえいた。これで探す手間が省けた。


「ちょっと狩ってくる。そこで待っていてくれ」

「そんなちょっと散歩してくる、みたいなテンションで言われても」


 雪山の斜面を軽快な足取りで駈け上っていくサロメの勇士を前に、オーブリーは感心しつつも唖然としていた。


「効かん! その程度で私を止められるものか」


 アフタリチェトが向かってくるサロメ目掛けて口から巨大な氷のつぶてを放った。これまで多くの冒険者をほふってきた危険な攻撃だが、あろうことかサロメは両手剣さえも使わず、籠手をはめた右手の拳で迎え撃った。接触した瞬間、凄まじいインパクトが生まれ氷の礫は木端微塵に砕け散った。対するサロメの拳は籠手の表面が少し削れただけでまったくの無傷。圧力や反動もまったく意に返さず、走力を維持したままアフタリチェトとの距離を詰めていく。


 目前まで迫ったサロメを、アフタリチェトは巨大な尾による薙ぎ払いで迎え撃つ。大量の雪を巻き上げ視界も奪いながら、巨大な尾の影がサロメに迫った。氷の礫を遥かに上回る質量の一撃だ。流石のサロメでも無策で受ければただではすまない。


「のろまだな」


 サロメは足場の悪い雪山の斜面をものともせず、高々と跳躍して尾の一撃を回避。高度を維持したまま両手剣を振り被り、跳躍の勢いを利用して、アフタリチェトの首目掛けて振り下ろした。


 アフタリチェト自身も一体何が起きたかは分からなかったに違いない。岩肌の鎧はとてつもない硬度を誇り、生半可な攻撃ではダメージが通らないばかりが武器の方が折損してしまうはず。しかしサロメの剣は岩肌の鎧をバターのように易々と斬り進め、ついには首を完全に落としてしまった。驚異的な再生能力を持ち持久戦に富むアフタリチェトであっても、流石に一撃で首を落とされてしまえばなす術もない。強い生命力で数秒間は叫び続けたが、やがて動かなくなった。


「……相変わらず滅茶苦茶な強さだ。冒険者泣かせのアフタリチェトを、無傷かつ瞬殺かよ」


 それだけではない。顎下から生えるバルバ水晶を傷つけぬよう、必要最小限の戦闘で済ませてみせたのだ。バルバ水晶の入手が難しいとされる最大の理由は戦闘能力以前に、持久戦を強いられ、その過程でバルバ水晶を著しく欠損させてしまうことにある。肉体の欠損と異なりバルバ水晶は再生しない。だからこそ完璧な形のバルバ水晶は希少価値が高いのだ。一撃で首を落とすのはバルバ水晶の回収という点においても理想的な決着だった。


「オーブリー殿。アフタリチェトの頭から水晶の採集を頼む」

「分かった。任せておけ」


 オーブリーは斜面を上ってサロメの元へと合流した。アフタリチェトは四足歩行だ。低い位置から雪の上に頭が落ちたことで、顎下のバルバ水晶も損傷なく健在だった。大きさも申し分ない上質な逸品だ。バンジャマンからの要求にはこれで十分に応えられる。


「うん? 何だか周りが騒がしいな」


 先程の雪崩のような自然現象とは異なる。多種多様な生き物の鳴き声がこちらに近づいてきているような騒々しさをオーブリーは感じ取った。


「どうやらこの一帯は魔物の巣窟のようだな。アフタリチェトが死んだことで力関係の均衡きんこうが崩れ、魔物どもは狂乱状態のようだ」

「随分と冷静に分析してくれちゃうね」


 二人は瞬く間に魔物の大軍に周辺を包囲されてしまった。巨大な白い猿のような姿をしたピュシス、赤いコアの周辺で粉雪が渦を巻く精霊系の魔物エイコス、二頭を持つ白い狼ウォクス、氷に憑依し動く氷像として自在に姿形を変える霊体系の魔物アルティフェクス――エトセトラ。


 アフタリチェトと比べたらランクは下がるが、それでもどれも高い戦闘能力や厄介な性質を持った危険な魔物ばかりだ。その上に圧倒的に数が多い。巨体のアフタリチェト一体を相手にするよりも状況はよっぽど厄介だ。


「どれもこの一帯でしかお目にかかれない種類ばかりだな。せっかくだ、全部仕留めて手土産を増やすとしよう」

「たくましいな。俺には真似できそうにない」

「ははっ、褒めても何も出ないぞ。周りには近づけさせないから、オーブリー殿は安心してバルバ水晶の採集に集中してくれ」

「言われなくともそうするよ。終わったら声をかけてくれ」

「うむ。では行ってくる」


 快活な笑顔とともにサロメは魔物の大軍へと斬りかかっていった。そこかしこから凄まじい勢いで斬撃の音が聞こえてくる。とてつもないペースでサロメは魔物を切り結んでいるようだ。深呼吸してからオーブリーは背中のリュックを下ろすと、採集に必要な道具を取り出し、黙々とバルバ水晶の採集へと取り掛かった。魔物の大軍に取り囲まれながらも、サロメのおかげでこの場所は絶対に安全だと確信出来る。だんだんとオーブリーもこの状況に慣れつつあった。

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