第10話 スリ師・メロディ・ラパラ

「メロディ。少しいいかい?」

「着替え中です。少し待ってください」


 アンリに部屋をノックされ、メロディは慌てて身支度した。本当はもう部屋着のパジャマに着替えていたが、拠点に戻る前に入手した短剣をベッドの上で眺めているところだった。あまり時間がかかると怪しまれるので、短剣はベッドの下に滑り込ませる。慌てて着替えたばかりだと印象付けるために、少しだけパジャマを着崩した。


「お待たせしました」

「そんなに慌てなくともよかったのに。急かして悪かったね」


 メロディがドアを開けると、ジャケットとベストを脱ぎ、シャツをスラックスにインしただけのラフな姿のアンリがいた。


「話したいことがあるのだけど、お邪魔してもいいかな?」

「わかりました」


 アンリを部屋に招き入れ、メロディはベッドに腰掛ける。アンリは机から椅子を引っ張ってきて、メロディと向かい合う形で着席した。


「単刀直入に言おう。何か物騒な物を持ち込んではいないかな?」


 穏やかな表情と声色のままアンリは核心をついた。メロディはスリは出来ても芝居が出来るタイプではない。動揺が分かりやすく表情に出てしまった。


「最低限の家具しか置かれていないこの部屋で物を隠せる場所は限られる。机の引き出しの底に重みは感じなかったし、その薄手のパジャマでは身に着けて隠すことは難しい。ベッドの下かな?」


 一部始終を監視していたのではと疑うほど的確に、アンリは言い当てて見せた。もはや取り繕うことも出来ず、メロディは感覚的にベッドの下に視線を向けていた。


「女性の部屋を検めるのは紳士的ではない。素直に出してもらえるとありがたいな」


 言い逃れなど出来そうにない。メロディは素直にベッドの下から短剣を取り出した。


「どうして私が短剣を持ち込んだと分かったんですか?」

「戻って来た時の君の歩き方、普段よりも右足に重心がかかっていた。マントで隠れていたが、右腰に武器を下げていたのだろう。マントが突起物と擦れるような衣擦れも聞こえたしね」

「あの一瞬でそこまで?」

「詐欺師という仕事柄、些細な変化を見逃さず、聞き逃さないように心がけているだけだよ」

「だからって普通、ここまで気が付きますか?」


「誠意と思って正直に話そう。今日に限っては君の心理状態について少しだけ懸念を抱いていた。レストラン前でのバンジャマンと男性とのやり取り。あの位置は君の待機場所だったアパートの一室から丸見えだ。バンジャマンに対し恨みを抱いている君がバンジャマンの非道を目にしたことで、心境に変化が起きた可能性を考えた。杞憂で終わるならそれに越したことはないとも思っていたけどね」


 椅子から立ち上がったアンリはメロディの前で膝を折り、彼女の握る短剣の鞘に触れた。


「気づいてしまったんだね。自分なら簡単にバンジャマンを殺せると」


「……はい。存在感を消してバンジャマンからカフスボタンを盗んだ瞬間に思ったんです。憎い相手にこんなに簡単に近づけるんだと。手に凶器を持っていれば、確実に殺せるんじゃないかって。そんな感覚を抱いたその日に目撃したバンジャマンの悪行です。気付いたら、酒場に戻る前に短剣を購入していました……」

「そうか」


 憤慨ふんがいするでも幻滅するでもなく、アンリは淡々と頷くだけだった。


「アンリさん。私にバンジャマンを殺させてはくれませんか? 全部私一人でやりますから」


 覚悟の据わった目でメロディはアンリの青眼を見据えた。アンリの側も決して視線を逸らそうとはしない。


「駄目だ。正当防衛以外では武力を行使しない。標的と肉体関係を結ぶような接近はしない。この二つは詐欺を行う上で僕が定めた絶対順守のルールだ。殺人など論外だよ」

「……だったら、私を仲間から外してください。それなら問題ないでしょう」

「それも駄目だ。僕たちはバンジャマンを標的とした詐欺を絶対に成功させると決意している。標的を殺してしまう可能性のある君を野放しにしておくつもりはない」

「ふざけないで! いいから私にあの男を殺させてよ。あの男のせいでパパは……」


 取り乱して感情的にメロディが振るった左手をアンリは右手で受け止めた。アンリの顔を張ってメロディが少しでも冷静になるならそれも悪くないが、顔という目立つ場所に真新しい腫れがあれば、次回会う際にバンジャマンに不審がられるかもしれない。リスクを回避するため、感情的な少女を前にしても、アンリはあくまで理性的だった。


「君を突き動かすものは父を思う気持ちか」

「……そうですよ。平穏な暮らしを送っていた私たち親子の人生は、バンジャマンのせいで狂わされたんだ」


 本人が語りたがっている場合を除いて仲間の過去は詮索しない。アンリとてメロディが拒めばそのまま干渉はしないつもりだったが、今のメロディは胸の内を吐き出さなくては暴発してしまいそうだ。間接的に促す形となってしまったが、今回ばかりは致し方ない。過去の共有が今の彼女には必要だ。


「幼い頃に母を流行り病で亡くし、私たちは父一人子一人の家族でした。寂しいなんて思ったことは一度もありません。父は多忙の中でも私との時間を大切にしてくれていたから……家は祖父の代から中心街近くで宿を経営していて、経営は順調そのものでした。立地はもちろん、父の丁寧な接客やこだわりの料理も評判で、多くの旅客や行商の人達がご贔屓にしてくれて。出来る仕事は少なかったけど、微力ながらも私の頑張って父のお手伝いをしていました」


 ずっとスリ師としてその日暮らしを続けてきたにしては、メロディには丁寧な言葉遣いや立ち振る舞いが身についており、元は育ちが良かったのではとアンリは予想していた。それは丁寧な接客を心がける父の背中を見て育ってきたからこそのようだ。将来を思って、父もマナーを教え込んでいたのだろう。


「だけど三年前、事件は起こった。バンジャマンが父の宿を丸ごと買い上げたいと言ってきたんです。宿の近くにはバンジャマンが経営する裏カジノがありました。バンジャマンは顧客である貴族や金持ちが、賭博を楽しみながら宿泊出来る場所を欲し、父の経営していた宿に目をつけたんです。バンジャマンの悪行は当時から周知でしたし、そのような目的のために、先祖代々守って来た土地を譲り渡すことは出来ないと、父はバンジャマンの提案を跳ねのけました。その直後からです。ならず者による嫌がらせが始まったのは。


 柄の悪い男達が四六時中、宿の周辺にたむろし、誹謗中傷のビラがまかれ、いわれなき悪評が町の内外へと吹聴され、あれだけ賑わっていた宿から、宿泊客の姿は消えてしまった。こうなってしまえばもはや、宿の経営は立ち行きません……」


 メロディの瞳には涙が溜まっていた。大切な場所が徐々に悪意によって浸食されていく。それによってどんどん追い詰められていく父。今思い返しても、体の震えが止まらない。


「……父はわらにも縋る思いで、プラージュ一帯を管轄する領主のマルク・デュララランド卿にバンジャマンの悪行を訴え出ましたが、民間のいさかいに領主が介入することはないと門前払いを喰らってしまいました。その後も父は何とか宿の存続を模索しましたが、強大な権力を持つバンジャマンに対抗する手段はもう残されていませんでした。


 父はバンジャマンに宿を譲渡する苦渋の選択を下しました。私と共に生きる人生には代えられないと考えてくれたのだと思います。悪質な嫌がらせの影響を受けて当初の提示額よりも格段に値は下がりましたが、父はバンジャマンとの契約に同意し、私たち親子は土地を離れることになりました……だけど悲劇はそれだけは終わらなかった」


 怒りに声を震わせたメロディの短剣を握る手に力がこもる。


「宿を譲渡し、父と私は一時的に町外れの宿に身を寄せていましたが、その日の夜に宿に強盗が押し入ったんです。強盗の狙いは父の持っていた宿を売却したお金でした。それは私たち親子の全財産。父は必死に抵抗しましたが、その最中に強盗の持っていた短剣が父の心臓を一突きにした。私はフスクスの能力でベッドの下で気配を消していたので難を逃れましたが……。


 泣く泣く宿をバンジャマンに譲渡したその日のうちに襲撃されるなんて、あまりに出来過ぎています。ベッドの下で震えて聞いていた強盗たちのやり取りと、後にフスクスの能力を駆使して収集した情報で全てを悟りました。強盗の正体はバンジャマンと関係していたならず者の一味でした。協力への報酬とは別に、父の手にした現金についても好きにしていいとバンジャマンが吹き込んだようです……見せしめの意味もあったのでしょう。父は大切な場所を奪われただけでなく、未来までも無残に奪われてしまった……」


 アンリは顔色一つ変えずに静かに耳を傾け続ける。今はまだ何も言わない。メロディが胸の内を吐き出すまで、アンリはあくまで聞き手に徹する。


「……身寄りはなく、一文無しの私には翌日の宿代すら払えない。当時十歳の私が生きていくには、フスクスのデュナミスを使ってスリを働くことしかありませんでした。言い訳にはなりませんが、お金はせめて、お金をたくさん持っていそうな人から盗むように心がけてきました。そうして日銭を稼ぎながら今日まで一人で生きてきた。バンジャマンに対する恨みはずっとありましたが、毎日生きていくのに必死で何か行動を起こすような余裕はありませんでした。そんな時です、アンリさんと出会ったのは」


 アンリとの出会いをメロディは運命だと感じている。復讐も果たせぬままいずれ日陰者として野垂れ死にしていたであろう自分に、バンジャマンを再び相対するきっかけを与えてくれたのだから。

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