第8話 再燃する憎悪と義憤

「本日はとても有意義な時間をありがとうございました」

「バルバ水晶の件、期待しているよ」


 次の予定が控えているとのことで、バンジャマンは途中でレストランでの食事を切り上げることとなった。見送ろうとするアンリとアデライドにはここまででいいと個室前で別れ、護衛を伴って店を後にしていく。


「あなた、これからどうしますか?」

「デザートを食べ終わった僕らも失礼するとしよう。在庫の整理もしないといけないしね」


 その場からバンジャマンがいなくっても、アンリとアデライドは商人夫婦として会話を続けた。ここはバンジャマンの行きつけのレストランだ。どこで綻びが生じるか分からないので気は抜けない。


「おいバンジャマン!」


 店の外がにわかに騒がしくなり、何事かと店内も騒然とする。店内の客に混ざって、アンリとアデライドも店の前の路上に注目した。


「俺が土地の売買に応じないからって、妻を人質にとるなんてどうかしている! 妻を解放しろ」


 憔悴しきった様子の中年男性が物凄い剣幕でバンジャマンに迫ったが、屈強な護衛二人が行く手を遮った。


「はて、何の話かな? 地上げが行われているとの噂は聞いたことがあるが、私とは無関係だぞ」

「しらばっくれるな! 地上げを行っている連中とグルのくせに。あの一帯に新しいカジノを建設するためにお前が裏から手を回したんだろう!」


 メサージュ南部の住宅街では現在、賊と見紛う一団による悪質な地上げが行われている。度重なる嫌がらせや脅迫行為で近隣住民は次々と土地を追われ、先祖代々の土地を守り抜こうと頑なに抵抗している住民の数も残りは少ない。そんな最中に住民グループのリーダー格の妻が誘拐された。関連性を疑うのは当然だ。本人がどんなに否定しようとも、バンジャマンがあの一帯に新たなカジノの建設を計画していることは周知の事実。全てはバンジャマンの計略に他ならない。


「知らんと言っているだろう。だが、一般論として言わせてもらえば、愛する妻を思うのなら素直に土地を明け渡した方が賢明ではないかな? 土地の価値など愛する妻には代えられまい?」


 護衛に組み伏せられた男性をバンジャマンが高圧的に見下ろした。もはや悪意を隠そうともしてない。


「この外道めが。それが人のやること――」


 怒りを吐いた瞬間、男性の頭部をバンジャマンが踏みつけた。


「下等の分際で私を侮辱したのか? よく聞こえなかったからもう一回言ってくれ」


 バンジャマンの足で地面に押さえつけられ、男性は恨み節一つ吐き出すことが出来ない。額から血が滲みだし、雨水と共に流れ出していく。


「旦那様、これ以上は」

「そうだな。靴が汚れる」


 人を人とも思わず、バンジャマンは自分の靴を汚してしまったことに心を痛めるばかりだった。

 頭部を踏みつけられ意識朦朧となった男性は護衛の一人に無理やり立ち上がらされ、路地裏へと連れて行かれた。残る護衛の差した傘に入りながら、バンジャマンは到着した迎えの馬車に悠然と乗車した。


「騒がせてすまなかったな。まったく、八つ当たりとは恐ろしいものだよ」


 悪びれることなく衆人環視に笑顔でそう告げると、バンジャマンは馬車でレストラン前を後していった。


「……酷い」


 演技中であるにも関わらず、アデライドはそう呟かざる負えなかった。抱く感情は誰もが同じだったのだろう。その発言が特別注目を集めることはなかった。


 一部始終を目撃していたアンリは表面上は平静を崩していないが、眼光だけは先程までよりも鋭くなっている。静かに正義感を燃やす詐欺師の存在に気が付いている者は、仲間のアデライドと除きこの場に誰もいない。


「……許せない」


 バンジャマンの蛮行の一部始終は、メロディが待機していたアパートの一室からも目撃されていた。バンジャマンとの間に因縁を持つメロディは胸の中に渦巻く激情を感じている。三年前から何も変わっていない。今もまたバンジャマンの悪行に罪なき人々が虐げられている。憎悪と義憤ぎふんとが少女の心を焦がす。


 トマはオーブリーとの打ち合わせのために一度拠点の酒場へと戻っており、今はアパートにメロディただ一人。少女の心境の変化に気付ける大人が今は近くに居なかった。


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