第7話 バルバ水晶

「そうかそうか。モーリス君はオトンヌの商家の生まれか。どうりで魔物の素材に精通しているわけだ」


 高級ワインを嗜みながら、バンジャマンは上機嫌でアンリとの会話に花を咲かせていた。バンジャマンから信頼を得られるよう、商人モーリス・ダルシアスのプロフィールについては事前に、詳細に設定を固めてきた。


 モーリス・ダルシアス、二十四歳。父イアサント・ダルシアスが起業したダルシアス商会を二十一歳の若さで受け継いだ二代目。拠点とする東部の都市オトンヌ一帯は魔物の頻出地で、大規模な冒険者ギルドが立地している。その土地柄を生かし、父の代から魔物の素材の売買を生業とし、モーリスの代となってからは精力的に事業拡大を図っている。今回メサージュの町を訪れたのもその一環だ。


 妻キトリの馴れ初めはお見合い。キトリの実家は荷馬車を使った運送業を営んでいるが、子は娘のキトリ一人で後継者不在の問題を抱えていた。そこでキトリがモーリスに嫁ぐと同時に、運送業に関してもダルシアス商会が吸収することとなり、ダルシアス商会は強い運送網を入手するに至った。


 政略結婚的な側面の強い出会いではあったが、納得の上の婚姻でありお互いの人柄も好ましい。経緯はどうであれば二人は幸せな結婚生活を送っている――これがアンリの設定したダルシアス夫妻の大まかなバックボーンだ。


 いつどこでボロが出るかは分からないので、事前にキトリとは綿密な打ち合わせをし、キトリの意見も積極的に取り入れた。大袈裟なまでに設定を突き詰めておくのがアンリ流だ。骨太なバックボーンを用意しておくことは、芝居で別人格になりきる上での自信にも繋がってくる。


「六年前にミル山脈で起きたニクスドラゴンの大量発生を知っているかね? 体表を覆う希少なコクレア結晶を求め、多くの収集家が腕利きの冒険者を差し向けたが、凶暴なニクスドラゴンの群れを前に多くの冒険者が命を落とし、氷のブレスを受けて絶命した者は、今でも山中に氷像として存在し続けていると聞く」


 ニクスドラゴンの体表を覆うコクレア結晶は、螺旋らせん模様が特徴的な鮮やかな黄色い結晶で、太古から宝飾品として値打ちがある。ニクスドラゴンはとても凶暴な魔物で入手は困難であり、コレクターアイテムとしての価値も高い。六年前にミル山脈で発生したニクスドラゴンの大量発生は、人里に脅威が及ぶ可能性のある災厄であったと同時に、魔物の素材を扱う市場関係者やコレクターの間では、希少なコクレア結晶を入手機会の到来であった。


「当時は父の時代でしたが、私も傍らで経営を学んでいたのでよく覚えています。希少なコクレア結晶が大量に流通するだろうと、当時の業界は大賑わいでしたね。実際には群れの討伐難易度の高さから、コクレア結晶の流通量はさほど変わらず、希少品は希少品のままでしたが。商会の拠点であるオトンヌはミル山脈からは離れていましたから、結局わが社では取り扱いに至らず、父は随分と悔しがっていました」


 経験ではなく知識でしか知らないニクスドラゴンの大量発生を、アンリは即興でモーリス・ダルシアスらしいエピソードへと変換させていく。元々博識であることに加え、魔物の素材のコレクターであるバンジャマンと対峙するにあたり、収集家が興味を持っていそうな出来事に関してはあらかた頭に叩き込んで来た。それを実戦で活用できるかどうかまた別問題だが、アドリブでそれらしく振る舞うことに関して、アンリは天賦てんぷの才を有している。


「実は当時、ごく少量市場に出回ったコクレア結晶を入手することに成功してな。コレクターとしての私の自慢だよ。近年はニクスドラゴンの討伐数も増え以前と比べて希少価値は下がっているが、あの時期に入手出来たことに大きな意味を感じている」


「流石です。バンジャマン様はコレクターの何たるかを理解してらっしゃる。六年前のあの時期にコクレア結晶を手に入れることがどれだけ大変かは、商人としてよく分かっております。本当に素晴らしい」


「君と話していると本当に退屈しないな。やはり会話とは博識な者同士に限る」

「私などまだまだ若輩者です。お勉強させて頂きます」


 アンリからの賛辞にバンジャマンは満更でもなさそうに相好を崩した。過去の出来事の話題を振ってくるあたり、信用のおける商人かどうかを試す目的かとも思われたが、どうやら自慢話をする流れに持っていきたかっただけのようだ。


「ところで、オトンヌの商人である君はどうしてこのメサージュの町へ? 奥方とご旅行かね」


 あえて目的を語らずにいた甲斐あって、バンジャマンの方から疑問を呈してくれた。自分から売り込むのでは角が立つが、相手からの質問に答える形なら印象が柔らかくなるというものだ。


「それも兼ねていますが、半分はお仕事です。実は今、事業の拡大を考えていましてね。オトンヌ一帯に留まらず、私はダルシアス商会をもっと成長させたい。販路拡大のため、商業都市であるこのメサージュにも進出したいと考え、勉強に伺った次第です」


「ほう、君はなかなか野心家なのだな」


「大望を抱き、そこへ向けて臆することなく進むのが男の生き様というものでしょう。僕の代で、行く行くはダルシアス商会を大陸を股にかける大会社に成長させたい思っています。御覧の通り妻のキトリ絶世の美女です。地方の商人の妻に収まる器ではありますまい。大陸中に名を轟かせるほどの大商人になることが夫としての甲斐性と思っています」


「もう、あなたったら」


 絶妙に頬を赤らめ、アデライドが照れ隠しでアンリの肩に優しく触れた。


「君はなかなか見込みある若者のようだな。私はメサージュの町ではそれなりに顔が効く。販路を持ちたいというのなら後ろ盾になれぬこともないが」


 バンジャマンはアンリの言葉に食いついたが、その目は計算高い商人としての色が濃い。感情に流され善意で協力してくれるような人間ではないことは最初から分かっている。バンジャマンは確実に見返りを求めてくるはずだ。


「見込み違いだったらなら恥をかくのは私だ。君が信頼に足る器かを確かめるために試験を行わせてもらいたい」

「試験ですか?」

「なに、商人としての君の実力を見せてくれればよいのだよ。これから私が言う魔物の素材を調達してもらえないかな。その暁には君のメサージュ進出への協力を検討しよう」


 試験と言いながらも実際には貢物みつぎものの要求だ。バンジャマンの事業は地元メサージュで完結しているため、趣味である魔物の素材を収集するための流通網を持たない。モーリス・ダルシアスの手腕が本物だったなら、メサージュ進出を餌に収集ルートを抱き込みたいという魂胆が垣間見える。


「私としては願ってもないお話しです。どうぞご依頼品をおっしゃってください。ダルシアス商会の名にかけて調達してみせましょう」

「その意気や良し。私が所望する素材は全部で三種類だ。ドラコスの剣角、アルコイリスの羽、そしてバルバ水晶だ」


 最後の一種、バルバ水晶の名前を言った瞬間、バンジャマンが不敵な笑みを浮かべた。他二つも貴重な素材には違いないが、高位の冒険者の活躍により定期的に市場に流通するので、入手のハードルはそこまで高くはない。バンジャマンが貢物を求めて来た場合を見越して、作戦前に仲間である凄腕の冒険者サロメに調達を依頼しておいた素材リストにもこれらは含まれており、トマの手引きですでに拠点に運び込んである。即日でも受け渡しは可能だ。


 しかし、最後の一種。バルバ水晶は滅多に市場に出回らない珍品中の珍品。非常に凶暴な魔物、かんびゃくりゅうアフタリチェトからしか入手できない。やはりバンジャマン・ラングランという男は狡猾だ。無理難題だと分かった上で提案を出し、もしも成功してみせたなら、それを貴重なコレクションとして自身の懐に収めるというわけだ。


 生憎と現在のアンリたちの保有する魔物の素材の中にはバルバ水晶は含まれていない。しかし、入手難易度の低い二種を提供しただけでは、到底バンジャマンの懐に潜り込むことは叶わない。長考と沈黙は自信の無さと侮られる。僅かに思案顔を浮かべただけで、アンリの判断は早かった。


「ドラコスの剣角、アルコイリスの羽の二種に付きましては、商談用にと持参した在庫がありますので、明日にでも提供出来ます。バルバ水晶に関しても調達可能ですが、一度オトンヌの本社を経由しなければいけませんので少々時間がかかります。一週間ほどお待ちいただけますでしょうか?」


 さして困った様子もなく平然と言ってのけたアンリを前に、バンジャマンは目を丸くした。二世の若造には到底無理だと思っていただけに、この即答振りには驚きを隠せない。ハッタリと呼ぶにはアンリの表情には隙が無さすぎる。淡々とした物言いは真実味が強い。


「うむ。本物のバルバ水晶であれば調達に時間を有するのは当然だ。納品は全ての品が揃ってからで構わぬよ」

「ありがとうございます。頂いたこの機会をきっと生かして見せます」

「期待しているよ。モーリスくん」


 深々と一礼したアンリを見てバンジャマンは満足そうに頷いた。この自信といい、目の前の若造は本物かもしれないという確信が芽生えつつあった。そうなれば貴重なバルバ水晶を手中に収めることが出来る。その未来にバンジャマンは思いを馳せていた。

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