第6話 仕組まれた再会

「任務完了です。あー、緊張した」


 アンリたちの動向を伺えるよう、劇場の近くに借りておいたアパートの一室を、一仕事終えたメロディが訪れた。念には念を入れて、存在感を消し続けたまま劇場からここまでやってきたので、一目には一切触れていない。


「お疲れ様。ジュースでも飲むかい?」

「いただきます。もう喉がカラカラで」


 部屋で待機していたトマが労いの言葉をかけ、グラスにリンゴジュースと氷を注いでくれた。緊張感から開放されたメロディは、一気にそれを飲み干す。


「アンリさんとアデルさんはこの後、何時間も舞台を観劇するんですよね。バンジャマンとの接点は生まれたのだし、わざわざ観劇までする必要があるんですか?」


「綻びとはいつどこで生じるか分からない。劇場で出会った二人がもし観劇していないと、偶然バンジャマンが知ることがあれば存在を怪しまれ、今後の活動に障害が生まれるやもしれないが、二人が実際に観劇すればその心配はなくなる。可能な限りリスクを減らすことが詐欺の鉄則なのだ。それに、リスク回避以外にも観劇には意味がある」


「意味ですか?」

「アデライドの後ろ姿が印象に残っていないかい?」

「そういえば、とてもきれいな髪飾りをつけていらっしゃいましたね」


 オーブリーが用意した蝶を模した美しい髪飾りはよく印象に残っている。普通の女性ではなかなか扱いきれないであろう大胆デザインを、見事に自分の物にしていたアデライドの器量は流石だ。


「アデライドの美貌も相まって、初対面の際にあの髪飾りはバンジャマンにも印象に残ったことだろう。実は二人の観覧席はバンジャマンのテラス席からも見える場所に位置していて、バンジャマンは直視はせずとも、自然とアデライドの後ろ姿を視界の隅に捉えることになる。会話を交わさずとも、存在を印象付けることが可能だ。小さなことではあるが、次回バンジャマンと接触した際の印象は、観劇があるのとないのとでは、僅かながらに変わって来るはずだよ」


「もしかしてトマさんの提案ですか?」

「いいや。全てはアンリの計算の下でなされたこと。私は指示に従い、最適な席のチケットを手配しただけだ」


 服装や観劇の座席に至るまで、あらゆる要素を作戦の成功へと結び付けていく。アンリ・ラブラシュリという男の計算高さにメロディは舌を巻くばかりだ。一体どこまで先を計算して事に臨んでいるのか。頼もしくもあり、同時に恐ろしくもある。


「トマさんはアンリさんとは長いんですか?」

「昔からよく知ってる。私とサロメはチームの最古参だ」

「昔から?」


 常人離れした計算高さと掴みどころのない雰囲気からつい忘れそうになるが、アンリは二十二歳とまだ若い。トマの使った昔からという表現がメロディにはいまいちしっくりこなかった。言葉の通りに受け取るならば、まるで幼少期から知っているかのようにも聞こえる。


 追及したい気持ちに駆られたが、結局疑問は口にしなかった。本人が語りたい場合を除けば基本的に各々の過去には干渉しないというのがチームの暗黙の了解。アンリも、メロディにはバンジャマンを恨む気持ちがあると察して仲間に加えながらも、決して向こうから追及してくるようなことをしなかった。本人のいない場所で過去を詮索するのはフェアじゃない。


「次はレストランでしたね」

「うむ。いよいよバンジャマンとの本格的な交渉がスタートする」


 二人は部屋の窓からのぞむ、劇場近くの高級レストランの方向を見やった。バンジャマンは観劇後に決まってこの店でディナーをとる。それを利用し、アンリは早くもバンジャマンに対して二度目の接触を図ろうと計画していた。


 ※※※


「おや。君は確か開演前に劇場で」

「これはこれは。素晴らしい舞台でしたね」


 観劇後、関係者とのやり取りを済ませたバンジャマンが護衛を伴い、行きつけの高級レストランを訪れると、入口近くの席にアンリとアデライド扮するダルシアス夫妻の姿を見つけた。

 バンジャマンが心なしかどこか嬉しそうに二人の席に声をかける。観劇中も時々特徴的な髪飾りをつけた妻のキトリの後ろ姿が見えたため、自然と親近感が増していた。


「夫婦で食事かね?」

「はい。このお店はメサ―ジュ随一の名店と評判でしたから。観劇後にはこちらで食事をしようと決めていました」


 バンジャマンが二人のテーブルを見やると、まだ料理は到着していなかった。劇場でのやり取りでダルシアス夫婦に好感を抱いたバンジャマンは、ある提案を持ちかける。


「ちょうどよい。もし良ければ奥の個室で一緒に食事をしないか? 料理もそちらに運ばせよう。オーナーとは懇意なので遠慮は無用だ」

「私などがよろしいのですか?」


「遠慮は無用と言ったばかりだ。先程は観劇前で時間が取れなかったが、君とはゆっくり話がしたいと思っていたのだよ。カフにあしらわれた真紅の涙の価値を見抜ける者は多くはない。その若さで大したものだ」


「私でよろしければ喜んでお付き合いいたします。キトリもいいね?」

「もちろんですわよ。むしろ私がお邪魔でないかが不安だわ」

「美しい女性はその場にいるだけで華だ。もちろん奥方も大歓迎ですぞ」

「まあ、お上手ですわね」


 大仰すぎず、アデライドがどこか恥じらいの表情も浮かべながら微笑んだ。


「旦那様、今日出会ったばかりの人間を同席させて本当によろしいのですか?」

「この二人のどこに脅威を感じる? 何かあればその時対処すればよい。それがお前たちの仕事だろう」

「……失礼しました」


 護衛の正論をバンジャマンは問答無用で退けた。バンジャマンとてまったくリスクを考えていないわけでは無いだろうが、コレクターとしての血から、交流の機会を逃したくないという思いの方が強かった。護衛は優秀でも、肝心の雇い主がこれでは無意味だ。


「さあ、個室はこちらだ」


 バンジャマンに促され、アンリとアデライドが座席から立ち上がった。

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