第5話 バンジャマン・ラングラン

 三日後。アンリとアデライドの姿は、大通りに面した大きな劇場のエントランスにあった。


 ドレスコードを守り、アンリはタキシードを華麗に着こなし、普段は下ろしている金髪はオールバックに撫でつけていた。


 アンリと腕を組む妻役のアデライドは、肩が大胆に開いたドレスの上からシースルーのケープを羽織っている。髪には、装飾としてオーブリーが用意した、蝶を模した美しい髪飾りが光る。


 持ち前の美貌とスタイルの良さから、周囲の男性の目はアデライドに釘付けだ。中には露骨に見つめすぎて、配偶者につま先を踏みつけられている紳士もいる。


 これから行われる演目は、バンジャマンもテラス席から観覧予定だ。事前に予定を把握していたアンリは、今日この場でバンジャマンとの接点を得ようと考えていた。


 後方支援であるオーブリーとトマは別行動を取っているが、重要な役目を担ったメロディはすでに劇場内に潜伏中だ。存在感を消すフスクス(希薄存在)のデュナミスを持つため、そうそう問題は起きないだろうが、人目に触れた場合に備えてドレスコードに即した服装をさせてある。慣れない服装にメロディは落ち着かない様子だったが、服選びから化粧まで手掛けたアデライドは終始ご満悦だった。


「来たよ。あれが標的のバンジャマンだ」

「一目で分かった。分かりやすい成金趣味ね」


 標的となるバンジャマン・ラングランが、屈強な二人の護衛を伴って劇場へと姿を現した。小太りのバンジャマンは禿頭とくとうとカイザル髭が特徴的で、一目で分かる上質な三つ揃えのスーツを纏い、ボタンは全て特注の純金製。カフスボタンには希少な「真紅の涙」と呼ばれる紅玉があしらわれ、全ての指にはミスリル製の豪華な指輪をはめている。極めつけは愛用しているステッキで、悪趣味にも大きな魔物の大腿骨と頭蓋骨を一本のステッキに加工したもののようだ。センスはともかくとして、前評判通り魔物の素材に対するこだわりが強そうだ。


「ラングラン様。本日はようこそおいでくださいました。最上級のテラス席をご用意させて頂いております」


 町を裏で支配する大物の登場を、劇場の支配人らが大所帯で出迎え、へつらっている。権威に酔うタイプなのだろう。出迎えを受けるバンジャマンは満更でもない表情だ。


「信用してないわけじゃないけど、周りが護衛と劇場関係者がだらけで本当に大丈夫なの?」

「メロディなら心配ない。それに、周りに大勢がいるからこそ説得力が増すじゃないか。あの状況下でなら窃盗はまず疑われない」


 誰もがその存在を気に留めぬ中、アンリだけがメロディの存在を感じ取っていた。慣れないドレス姿のメロディはフスクスのデュナミスで存在感を消しながら、徐々にバンジャマンに近づきつつあった。


「ご案内いたします」


 バンジャマンの正面に立っていた支配人が、テラス席へ案内すべく背を向けた瞬間を狙い、メロディは仕掛けた。背を向けた支配人や周りを固める護衛、そしてバンジャマン本人に一切悟られぬまま、バンジャマンのスーツを飾っていたカフスボタンを一瞬で盗む。


「凄い……」


 アンリに習ってさり気なくメロディの存在を意識していたアデライドは、難なくバンジャマンをすり抜けて来たメロディの神業に舌を巻いた。話に聞くのと実際に目にするのとではやはりインパクトが違う。出会ったばかりの相手を拠点に招くというリスクを払ってでも、メロディの信用を得たいと考えたアンリの気持ちがアデライドにもよく分かった。


「これでいいですか?」

「お見事」


 すれ違いざまにメロディは素早くアンリのポケットに盗んだカフスボタンを忍ばせた。そのまま一度も振り返らずにメロディは会場を後にしていった。スリ師をしていただけあって余計なことはせず、きちんと去り際を弁えている。確執のあるバンジャマンに接近しても平常心を保っていた点も高評価だ。


「行こうかキトリ」

「ええ、あなた」


 メロディのおかげで準備は整った。アンリとアデライドは感情を商人のモーリス・ダルシアスと妻のキトリ・ダルシアスへと切り替え、バンジャマンの後を追った。


「失礼。こちらを落とされませんでしたか?」


 テラス席へと案内されるバンジャマンをアンリが呼び止めた。近づこうとすると、二人の屈強の護衛が間に入ってアンリを遮る。悪行で重ねてきた業を自覚し、刺客の存在には常に気を払っているのだろう。


 振り返った瞬間は警戒心を露わにしていたバンジャマンだったが、アンリがハンカチーフに包んで差し出したカフスボタンを見て態度を軟化。アンリを遮る護衛に手を下ろすよう指示をした。アンリのそばで、突然の出来事に委縮する妻役のアデライドの芝居も効いた。身なりのよい若夫婦にしか見えない二人を見て、刺客という疑いが自然と薄まっていた。


「私の部下が驚かせてしまって済まない。これは確かに私のカフスボタンだ」


 アンリからカフスボタンを受け取ったバンジャマンは自身のスーツに視線を落とし、初めてカフスボタンを紛失していたことに気が付いた。


「先程まであなた方が話し込んでいた場所に落ちていましたので、あなたの持ち物かと思いましてお届けしました」

「これはご親切に。これは私のお気に入りでな。失くしていたら大事だった。支配人の首が飛んでいたかもしれぬ」


 支配人の青ざめた表情を見るに、それは冗談ではないようだ。仮に紛失したのが自分の責任だったとしても、劇場という場所で失くしたなら、その責任は劇場を預かる支配人にあるというのがバンジャマンの思考であった。


「カフにあしらわれた紅玉はもしや、エクリシスドラゴンからしか入手出来ぬ、真紅の涙でしょうか?」

「若いのに随分と詳しいな。ひょっとして君も収集家か?」

「商品を卸す側でございます。父の代から冒険者ギルドのある町で商売をしてきたものですから、魔物の素材には自然と詳しくなりまして」


 コレクターとしての血が騒いのだろう。紅玉の価値に理解を示すアンリの言葉をバンジャマンは好意的に受け止めたようだ。


「ラングラン様。そろそろテラス席へと参りましょう」


 入場時間が近づき間もなく大勢の観覧客でごった返す。支配人の呼び掛けにバンジャマンは短く頷いた。


「カフスボタンを拾ってくれたことに改めて礼を言う」


 礼を言うと同時に、バンジャマンは淑女然とした佇まいのアデライドを一瞥いちべつした。


「お綺麗なご婦人だ。君の奥方かね?」

「はい。私如きには勿体ない自慢の妻です」


 アデライドの美貌は人目を引く。バンジャマンはもちろん、この時ばかりは護衛の二人も一瞬気が緩んでいた。


「名前は?」

「モーリス・ダルシアスと申します。妻はキトリ」


 モーリスことアンリの紹介に合わせて、キトリことアデライドがお淑やかに一礼した。


「バンジャマン・ラングランだ。時間なのでこれで失礼する。モーリス、キトリ、良き観劇を」


 踵を返して歩き出したバンジャマンの背中を、アンリとアデライドは深々と礼をして見送る。首尾は順調。これでバンジャマンとの間に接点が生まれた。


「さて、僕たちも観劇を楽しむとしようか。キトリがずっと見たかった舞台の再演だったよね」

「そうよ。人気の演目だしチケットを取るのは大変だったでしょう」

「仕事仕事で普段は夫らしいことをしてあげられていないからね。これぐらいはお安い御用さ」

「あなたのそういうところ大好きよ」


 周りの方が赤面してしまいそうな、仲睦まじい様子で二人は観覧席へと入っていった。どこから素性に綻びが生じるか分からない。二人はあくまでも自然に、夫婦らしく振る舞い続けた。


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