第4話 女優・アデライド・デルヴァンクール

 スリ師としてその日暮らしを続けてきたメロディは、ずっと住所不定の生活を送っていたが、アンリの勧めもあって今夜から、酒場二階の居住スペースの一室で寝泊まりをすることになった。


 二階の別の部屋にはアデライドが滞在、会議スペースとして活用している地下は、簡易ベッドを持ち込んだアンリが就寝スペースとして利用している。女性であるメロディ、アデライドと部屋や階を分けたのはアンリなりの心遣いだ。


 なお、オーブリーとトマは個人で宿を取っておりそちらに身を寄せている。専業の詐欺師であるアンリとアデライドとは違い、堅気としての表の顔を持つ二人にはそれぞれの活動もある。


「……ちゃんとしたベッドなんていつ以来だろう」


 ベッドはそれなりに質の良いものでストレスなく横たわれる。部屋も綺麗に掃除されており、アンリは仲間の休息場所にもしっかり配慮してくれているようだ。


 夜も更けて来たが、目が冴えてしまってまるで寝付ける気がしない。今日一日で自分を取り巻く環境は激変した。しがないスリ師に過ぎなかった自分がバンジャマンから大金をだまし取る計画に加担することになろうとは、今朝までは夢にも思っていなかった。


「メロディちゃん。起きてる?」

「起きてますよ」

「もし良かったら少しお話しでもしない? 入っていいかな?」

「いいですよ」


 アデライドがメロディの部屋をノックした。しばらくは寝付けそうになかったので、話し相手になってもらえるのはありがたい。メロディは快くアデライドを部屋へ招き入れた。


「メロディちゃん、眠れてないんじゃないかなと思って。迷惑だったかな?」

「迷惑だなんてそんな。アデルさんが来てくれて嬉しいです」

「やっぱり作戦のことで緊張してる? 初めてのことだし当然だとは思うけど」


「緊張もありますけど、寝付けないのはもっと別の理由です。柔らかいベッドの上で眠れることはもちろん嬉しいですけど、ずっと廃墟や路上を宿にその日暮らしをしていたので、整った部屋が逆に落ち着かなくて」


 ベッドの上で膝を抱えるメロディの頭を、アデライドは何も言わずに優しく撫でてやった。過酷な運命の中で生きていくことがどれだけ大変だったかは、アデライドも人並み以上には理解しているつもりだ。


「アンリさんもそうでしたけど、私の過去を詮索したりはしないんですね」


 何も言わぬアデライドの反応がメロディには少し意外だった。話の流れも手伝い、てっきりスリ師として生きていくに至った経緯やバンジャマンとの確執について聞かれるとばかり思っていた。


「仲間の過去を詮索するような真似はしない。これが私達のチームの暗黙の了解なの。仲間だからって過去を共有しないといけないなんて決まりなんてないもの。もちろん本人が打ち明けたいという場合は別だよ。仲間に隠し事をしたくないって考え方の人だっているから。だからね、アンリや私達は決してメロディちゃんに興味を持っていないわけじゃない。それだけは覚えておいて」


 まるで心の中を見透かされているかのようだった。正直、メロディは自分の素性を探ろうとしないアンリに一抹の不安を覚えていた。深く知ろうとしないのはいずれ使い捨てるつもりだからではと、そんな懸念を少なからず抱いていた。


 だが、仲間のために清潔な部屋を用意し、自身は倉庫だった地下室で寝泊まりするなど、アンリは一貫して配慮の人だ。アデライドの言っていることが全てなのだろう。


「突然だけどさ、私の過去とアンリとの馴れ初めついて語ってもいい?」

「過去を共有しないといけない決まりはないんじゃないでしたったけ?」


「本人が打ち明けたい場合は話は別とも言ったでしょう。私の場合は他の人達とはアンリとの出会い方が違うから当然なんだけど、皆も承知している話だから、メロディちゃんにも聞いてもらいたい。いいかな?」


 メロディは無言で頷いた。暗黙の了解は気に留めた上で、もっと仲間の人となりを知りたいと思っていたところだ。アデライドの話で彼女の過去はもちろん。アンリ・ラブラシュリという人間に対する理解も深まるかもしれない。


「私ね。元々はそこそこ裕福な家庭の一人娘だったんだ。早くに母を亡くし、父一人子一人の生活だったけど、何不自由なく幸せな生活を送っていた。昔から役者志望でね。父も私の夢を応援してくれていたわ。だけど、父が後妻を迎えてから徐々に運命の歯車は狂いだした。


 この後妻というのが酷い女でね。父にバレないようにずっと陰で私を虐めていた。父にそのことを訴えても、きっといつか分かり合えるよの一点張り。父のことは大好きだけど、後妻との関係については不満を言わざる負えないわ。その結果父は命までうしなってしまった」


「命までですか?」

「後で分かったことだけど、後妻が父の食事に毎日少量ずつ毒を持っていたの。父は徐々に弱っていき、再婚から一年と経たずに死んでしまった。最初から愛情なんてなくて、父の財産を独り占めする計画だったのね。程なくして新しい男を家に招き入れていたわ」

「酷い……」


「本当にね。偽造でもしたのか、父の死後、後妻に全ての財産を託す旨を記した遺書が見つかってね。デルヴァンクール家は完全に後妻に乗っ取られてしまった。そうなれば、死んだ当主の娘だった私はいよいよお払い箱よ。


 いっそのことシンプルに家を追い出してくれたならまだ良かったんだけど、金の亡者のあの女は、私までも金儲けに利用しようとした。コネのあった人買いに私を売り飛ばしたの。自分がいくらで売られたかなんて知りたくもないけど、私を売り飛ばした瞬間のあの女の表情を見るに相当高値で売れたんでしょうね。まったく、ほんの一年前まで何不自由なく暮らしていたというのに、とんだ急降下よね」


 自嘲気味に笑うアデライドの手をメロディは堪らず握っていた。話を聞いているだけで胸が締め付けられる。メロディの手の温もりを感じアデライドはありがとうと微笑んだ。


「私は売られていくのを待つだけの身だった。そんな絶望の淵にいた私を救ってくれたのがアンリだよ。私たちを囲っていた人買いは、アンリの標的だった悪い貴族と懇意だったそうでね、貴族と対峙するまでの過程で、商品となっていた私たちを全員買い取ってくれたの。


 その後、アンリの標的だった貴族は大金を騙し取られた上に人身売買に関わっていた事実が明るみになり破滅。芋づる式に多くの貴族が追及を受けた。人買いの方も王国法違反で捕まったわ。アンリにはまったく詐欺の嫌疑はかからず、あの手際の良さには本気で驚いたものよ。貴族から騙し取った金で十分に元は取れたと本人は言っていたけど、あれは多分嘘。だってアンリ、人買いから解放した人たち全員に、当面の生活資金まで渡してあげていたもの。


 絶望の淵にいた人達にアンリは生き直す機会を与えてくれた。詐欺に関する様々な経費と合わせてとてつもない出費だったと思う。損まではしてなくとも、少なくとも儲けなんてほとんどなかったんじゃないかな。アンリ・ラブラシュリというのはそういう人なのよ」


「優しくて、それでいて悪を許さない人?」


「そう、自分は人を騙す詐欺師のくせにね。だけど、私にとって彼は間違いなく正義の味方。彼は私にもお金を渡して、これで人生をやり直せって言ったけど、私はその場でお金を突き返して、自分も仲間に入れてくれってお願いしたの。私の人生は一度終わったようなもの。生き直せというのなら、救ってくれた人のために尽くしたいと思ったの。アンリは渋っていたけど、最後は泣き落としでゴリ押してやったわ。役者志望で泣きの演技には自信があったから」


「アデルさんも大概、たくましいですね」

「まあね。どうせ生き直すなら、やりたいようにやらないと損だもの」


 過去の悲劇を感じさせない晴れやかな笑顔をアデライドは浮かべた。居場所を見つけられた彼女の今の人生は、とても活き活きとしている。


「長々と自分語りなんてしちゃったけど、結局何が言いたいかと言うと、アンリはとにかく良い奴なの。もちろん、出会って間もないメロディちゃんに私の価値観を押し付けるつもりはないけど、もっと肩の力を抜いてアンリを信用してみてほしい。憂いがあれば仕事にも差し支えるかもしれないしね」


「そうですね。掴みどころはないけど、話を聞くにアンリさんって思っていた以上に人間臭い人のようです。少しだけ心を寄せてみようと思います」


 メロディの緊張感はアデライドのやり取りで幾分か解されていた。


「夜更かしは美容の大敵だしそろそろ寝ましょうか。何なら一緒に寝ちゃう?」

「久しぶりのふかふかベッドなので今日は一人で堪能させてもらいます。添い寝は別の機会にでも」

「あら可愛い。メロディちゃんもなかなか人たらしね」


 満足気に立ち上がると、アデライドはメロディの部屋を後にした。


「おやすみなさい、メロディちゃん」

「おやすみなさい、アデルさん」

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