1−14 伯爵の頼み
ジェニファーはダンとサーシャの姿が見えなくなるまで、馬車の窓から身を乗り出して手を振り続けた。
「ダン……サーシャ……」
2人の姿が見えなくなり、ようやくジェニファーは席に座ると伯爵が話しかけてきた。
「あの子達とは仲が良かったのかい?」
「はい、とても仲が良かったです」
ジェニファーは笑顔で返事をする。
「そうだったのか。名前は何というんだい?」
「男の子はダン、女の子はサーシャっていいます。後、もうすぐ1歳になるニックっていう男の子がいるんです。まだ赤ちゃんなので、とっても可愛いんですよ」
「もしかして、その赤ちゃんの子守もジェニファーの仕事だったのかい?」
伯爵はジェニファーの手をじっと見つめる。
まだ10歳の少女の小さな手は、豆が出来て潰れた跡が残っている。見るからに痛々しかった。
(それに比べ、あの女の手は随分と綺麗だった……こんな小さな子供に全ての家事を押し付けていたのか……まだ10歳だと言うのに)
自分の姪っ子が使用人のようにこき使われていたことは彼にとってショックだった。
何より、ジェニファーは自分の娘と同い年だったので尚更だ。
「ジェニファー。君はまだ10歳なのに、叔母にこき使われていたのだろう? 可哀想に……さぞかし辛かっただろう?」
「辛かったですけど、ケイトおばさんがいつも私を助けてくれました」
「ケイトおばさん?」
「はい。ケイトおばさんは近所に住んでいて、私にお料理やお洗濯、お掃除のやり方を沢山教えてくれたんです。私は……本当に何も出来なかったから」
「何だって? それでは、あの女はジェニファーに家事を教えることもせずにいきなり全てをやらせようとしたのか?」
「……はい。そうです。でも、今はケイトおばさんのお陰で何でも出来るようになりました。薪割りはまだ……うまくやれませんけど」
俯いて答えるジェニファー。
「なんてことだ……」
伯爵は歯を食いしばった。改めてアンに対する激しい怒りがこみ上げてくる。
「それでは、手紙を読めなかったのではないか? 文字も書けないだろう?」
「いいえ。文字はずっと小さかった頃にお父様に教えていただいたので読み書きは出来ます。でも……計算とかは出来ません」
ジェニファーは恥ずかしそうに答えた。
「そうか……ジェニファー。私の娘のジェニーのことは覚えているかい?」
「はい、勿論です。5歳の時に初めて会って沢山お話しました」
「ジェニーはとても身体が弱くてね。喘息の病気も持っているんだ。今までは都会に住んでいたのだけど、お医者様の勧めで空気の綺麗な場所で暮らしたほうが良いと勧められたんだよ。それで今は『ボニート』という自然が美しい地方に療養で住んでいるんだ」
「『ボニート』ですか? 何処にあるのですか?」
「ここから2つ汽車を乗り継いだ場所にあるよ。3日はかかるんだ。少し遠くにあるけれど、山も湖もあって、とても美しいところだよ。きっと気にいると思う。だけど、ジェニーは家から出られないほど身体が弱っていて寂しい生活を送っているんだ。だから、ジェニーの友達になってもらいたいんだ」
真剣な眼差しで伯爵はジェニファーを見つめる。
「はい、勿論です。伯爵様。久しぶりにジェニーに会えるのを楽しみにしていました」
笑顔でジェニファーは返事をする。
「良かった。娘もジェニファーに会えることを楽しみにしている。とりあえず町に着いたら、買い物をしよう」
「買い物ですか?」
「そうだよ、まずは身なりを整えることから始めよう」
伯爵は笑顔で頷いた――
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