1−13 少しの別れ
「それではジェニファー。迎えの馬車を家の外で待たせてあるので行こうか? 荷物の準備は出来ているかい?」
フォルクマン伯爵がジェニファーに尋ねた。
「はい、伯爵様。出来ています、部屋に置いてあるので取りに行ってきますね」
「なら一緒に行こう。運ぶのを手伝うよ」
その言葉にギョッとしたのはアンだった。
「え!? 伯爵様はどうぞ応接室でお待ち下さい。荷物ならこの子が1人で持てますから」
「何を言う? こんな小さな子供に1人で運ばせるような真似はさせられない。さ、ジェニファー。案内してくれるかい?」
「はい」
素直に返事をすると、ジェニファーは前に立って歩き出した。その後をフォルクマン伯爵もついていき……。
「何故、あなた方もついてくるのだ?」
足を止めてフォルクマン伯爵は振り返った。彼の背後にはアン、そしてザックがついてきている。
「い、いえ。わ、私達はジェニファーの保護者ですから……」
視線を泳がせながらアンは答える。その様子を見た伯爵は黙って前を向くと、声をかけた。
「足を止めさせてすまなかったね。ジェニファー。案内してくれ」
「はい」
ジェニファーは頷いた――
「ここが私の部屋です」
ジェニファーに案内され、部屋の中に足を踏み入れた伯爵は驚いた。
「本当に、ここがジェニファーの部屋なのかい?」
「はい、そうですけど?」
首を傾げるジェニファーに伯爵はショックを受けた。それもそのはず。この部屋にある家具はベッドと小さなチェストだけだったのだ。
「なんてことだ……これではただ寝て、着替えをするためだけの部屋じゃないか」
「はい。ここはそのための部屋です」
「勉強机も無いじゃないか。本は読まないのかい? 女の子なら人形遊びくらいするだろう?」
「勉強はしていませんし、本も読みません。人形遊びは……したことがないです。だって私の仕事は家事ですから」
「ジェニファーッ! 余計なことを言うんじゃないの!」
アンが叱りつけた。
「何が余計なことだ?」
伯爵が冷たい目でアンを睨みつけた。
「あ……そ、それは……」
「こんな小さな子供に、すべての家事を押し付けるとは……。しかも学校にも通わせず、教育も受けさせない。これはもはや虐待だ。訴えても良いレベルだな」
「ぎゃ、虐待だなんて……!」
すると、ザックが震えながら懇願した。
「お、お願いです! どうか訴えるのはやめて下さい! そんなことをされれば会社での評判が落ちてしまいます! ジェニファーに家事を押し付けたのは妻です! 彼女が勝手にやったことで、私は関係ありません!」
「あなた! なんてこと言うの!」
「傍観していたのも、立派な罪だ。さぁ、ジェニファー。持って行く荷物はどれだい?」
「はい、これです」
ジェニファーは足元に置かれた小さなキャリーケースを指さした。
「え? これだけなのか?」
「はい。あまり服を持っていないので」
その言葉に、伯爵は息を呑んだ。確かにジェニファーの着ている服はみすぼらしかった。黄ばんでしまったブラウスに、ほつれの酷いスカートはとてもではないが、貴族令嬢には見えない。
一方のアンは、ジェニファーよりはずっと良い身なりをしている。
伯爵はあまりにも酷い環境に置かれたジェニファーが哀れでならなかった。それと同時にアンに対して激しい怒りを覚える。
「長居は無用だ。行こう、ジェニファー」
伯爵はジェニファーのキャリーケースを持つと、声をかけた。
「はい、伯爵様」
そして震えているアンとザックの前を素通りして、2人は家を出た。
家の前には、立派な馬車が停まっていた。
「まぁ……これが馬車ですか」
今まで荷馬車しか見たことが無かったジェニファーは目を見開いた。
「そうだよ、これに乗って駅へ行くんだ。それじゃ乗ろうか」
伯爵は手招きするが、ジェニファーは落ち着かない様子でチラチラと家の様子を伺っている。
「どうしたんだい? 乗らないのか?」
「あ、あの……」
その時。
「姉ちゃーん!」
「お姉ちゃん!」
ダンとサーシャが家の中から飛び出してきた。
「ダンッ! サーシャッ!」
「姉ちゃん。必ず帰ってきてくれるよな?」
「帰ってきてくれるよね?」
目に涙をためながら2人はジェニファーに抱きついてきた。
「勿論、帰ってくるわ。だから、それまで待っていてね」
「う、うん……」
「分かったよ……」
3人で抱き合って別れを惜しむ子供たち。
その様子を伯爵は優しい笑みを浮かべて見つめていた――
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