第2話 篝火

 それから約一時間後の午後十時頃。お風呂を済ませた理子は上下グレーのスウェットに身を包み、自室で黙々と冬休みの課題に取り組んでいた。

「ふう、疲れた。ちょっと休憩」

 シャーペンを置いて大きく伸びをした時、スマートフォンの着信音が鳴った。こんな時間に誰だろう。理子はスマートフォンの液晶画面を覗き込んだ。美沙の母親──晴子はるこからだった。理子はスマートフォンを取り通話ボタンを押した。

「こんばんはおばちゃん、理子です……美沙ですか? 今日は会ってませんよ……えっ! 行方不明!? どういうことですか!?」

 晴子の説明によると、午後五時頃、美沙は彼氏と映画を観に行くと言って家を出た。何時に帰るのか聞いたが教えて貰えず。晴子はそういうお年頃だと割り切り、仕方なく美沙の帰りを待つことにした。ところが──この時間になっても帰って来ない。心配になった晴子は先生や保護者会の人達に連絡し、現在美沙の捜索に当たっているとの事だった。彼氏とデート……まさか!! 理子は電話口で慌てふためく晴子をなだめつつ、冷静な口調で語りかけた。

「おばちゃん、落ち着いて聞いてください。実は二週間ぐらい前に美沙から彼氏とクリスマスイブに学校に忍び込んでイチャイチャすると言う話を聞いたんです。私はやめなさいって注意したんですけど、行ったのかもしれない……」

 美沙の母親はすぐに大鳥学園を調べると言い電話を切った。理子はスマホを握りしめ椅子から立ち上がり階段を降りて、自身の母──白木真代しらきましろの居るリビングへ駆け込んだ。

 真代は淡いピンク色のパジャマを着て炬燵こたつでくつろぎながら蜜柑みかんを頬張っていた。理子は先程の話を要点だけまとめて真代に伝えた。すると真代はすぐにスマホを手に取り、セミロングの黒髪を耳にかけ、どこかに電話を掛け始めた。そんな真代を余所よそに理子は寝巻きのまま玄関に向かい、スリッパから靴に履き変え、寒風吹き荒れる外に出た。

 白木家は同じ敷地内に祖父母が住む平屋の古民家と、理子たちが住む今風の二階建て家屋が横並びに建っている。理子は祖父母の住む古民家へ走り施錠せじょうされた格子こうし引き戸に向かって叫んだ。

「おじいちゃん、おばあちゃん! 理子だよ! 開けて!」

 玄関に明かりが点き祖母のシルエットが浮かび上がる。解錠音と共に引き戸が開いた。

「なんだい? そんなに慌ててどうしたの?」

「おばあちゃんゴメン! 話は後でするから!」

 理子は顔を出した祖母を優しく横にどけて、土間から約八畳の居間へ駆け上がり、炬燵こたつに入りテレビを見ていた祖父の横をすり抜け障子戸を開け放った。そして裸足のまま、縁側から枯山水かれさんすいの中庭に降りた。白川砂利しらかわじゃりを踏む音が静寂を破り、砂紋さもんに浮かぶ足跡あしあとが静の描写びょうしゃを動へ変て行く。

 やがて中央に辿り着いた理子は、二つの篝火かがりびに挟まれた三本足の大鴉おおがらすの石像の前で両膝を突き、手を合わせ祈った。

「鳥様──どうか私の親友をお守りください」

 理子の想いに呼応するかのように一陣の風が吹く。その様子を見ていた祖父の白木勝治しらきかつじは、祖母の佳代かよに目配せをした。佳代はコクリと頷き寒さに凍える孫娘の背中に向かって優しく語りかけた。

「理子ちゃん、まずこっちに来て何があったかのか話してちょうだい。それと私達からも鳥様に関することで話があるの。きっと役に立つことでしょう」

 理子はハッとした表情で振り向き、祖父母の待つ居間へきびすを返した。


 居間に戻った理子は霜焼けで真っ赤になった手足を炬燵に突っ込んだ。あったかい……鈍くなった感覚が徐々によみがえってくる。

「それで鳥様の話ってなに?」

「その前に今お茶をれてあげるから。それを飲みながら、まずアナタの話しを聞かせてちょうだい」

「そうか。そうだったね」 

 佳代は長い白髪の前髪から覗く丸眼鏡をキラリと光らせ、白いセーターの袖口から出る綺麗な手で理子の前に茶色の湯呑ゆの茶碗ちゃわんを差し出した。理子はお茶を手に取り一口飲んだあと、美沙のことを話した。

「なるほど。それで鳥様に祈っていた訳ね。それじゃあ、今度は私達が話す番ね。アナタ、よろしくお願いします」

 理子は半纏はんてんを着た白髪頭の強面こわもて男──祖父の勝治へと視線を移した。勝治はお茶をすすり口を潤したあと、静かに口を開いた。

「まだ鳥の麓市が旧とり村と呼ばれていた頃。白木家六代目家長──白木長兵衛ちょうべえの父伊左衛門いさえもんとその妻花乃はなの物の怪もののけに取り憑かれ寝込んでしまった。長兵衛はすぐに二人を荷車に乗せ、村の中央にある杉山を駆け登った。そして頂きで羽を休めていた鳥様に助けをうた。鳥様は人智じんちを超えた力をふるい、あっという間にものを討伐。その後、長兵衛たちが礼を言い下山しようとした時、落ちていた枝に火を灯して、『もう日が暮れた。これで足元を照らすが良い。それと、この火にはあやかしや物の怪の力を弱める効果がある。村にまつれば安寧あんねいを得られるであろう。よって火を絶やしてはならん。わかったな』そう言いなさった。村に帰った長兵衛はその火を篝火に移し、代々村長を任されてきた仲野家と金森家にも分け与え、それぞれ言い付けを守り結界を張って村を守ってきたのじゃ。そして現在、鳥の麓市は杉山を中心に田園や森林が広がる西部を金森家が、行政や公共交通機関が集中する北部を仲野家が、大きな工場が点在する南部を白木家が守っており、そこに新しく加わった大鳥学園が太平洋を望む東部を守っておる訳じゃ」

「ちょっと待って! じゃあ学校にある篝火って鳥様から貰った物だったの!?」

「そういうことじゃ。実は学校を作る際に生徒達が不安だったのでウチにある篝火から火を移したんじゃよ。まあ、分家みたいなもんじゃな。ふう、疲れた」

 白木家の歴史を話し終えた勝治は、お茶をすすり呼吸を整えた。

「ああ、上手い。それでなんじゃが理子よ、親友の美沙ちゃんは学校で行方不明になった可能性が高いんじゃろう? なら行ってみると良い。なあに、ウチには鳥様がおる。きっと守ってくださるじゃろう」

 佳代も大きく相槌あいづちを打っていた。

「わかった。学校に行ってくる。そして美沙と剛士君を見つけて帰って来るね」

 理子は半分残っていたお茶をそのままに、祖父母と一緒に表へ駆け出した。


 理子が隣の自宅に戻ろうとした時、白木家に黒いビックスクーターがやって来た。乗っていたのは黒いスウェットに黒いダウンジャケットを羽織り、黒いハイネックのスニーカーを履いた仲野隼斗なかのはやとだった。隼斗は黒いジェットタイプのヘルメットのバイザーを上げ、エンジンを切って理子に言った。

「おっ! ちょうど良かったぜ。迎えに来たんだよ」

「なんで!?」

「お前これから学校に行くつもりなんだろう。俺も行くからさ、取り敢えずダウンジャケット着てこい。その格好じゃあ凍え死ぬぞ」

「だから、なんで私が学校に行くのを知ってんのよ」

「ママが呼んだのよ。それとはい。これ」

 慌てて玄関から出てきた真代が、理子に水色のダウンジャケットを手渡した。

「アナタのことだから美沙ちゃんを探しに行くって言うと思ったのよ。でも一人で行かせるのは心配でしょう。それでパパに電話したんだけれども、まだ飲み会が終わらないらしいのよ。どうしようか悩んでいた時、ちょうど隼斗君が電話をくれたの。しかも場所を聞いたら近くに居るって言ったから、事情を話して来てもらったのよ」

「お母さん……」

「一度言い出したら聞かない子なんだから。気を付けて行って来るのよ」 

 理子はダウンジャケットに袖を通し、隼斗から受け取った一回り大きい防寒暴風の黒いズボンをスウェットの上から重ねて履いた。そして黒い手袋と同型のヘルメットを装着してビッグスクーターにまたがり、祖父母と母に見送られながら学校へ向かった。

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