第25話 だから、何がどうグッジョブだったの?


 『にぎた脳神経外科医院』の診療室に、しばしの沈黙が訪れた。

 熱田にぎた徹は、どう切り出したものか、と迷いを含んだ表情で十文字を見る。


「同じような事故が幾つか起こっているというお話でしたが……」

「はい。私が取材した幾つかの事故は、運転していた人間が健常者である事、EV車が暴走した事、そしてEV車の操作ログが消えている事が上げられます。運転者の過失が証明出来ないので、いずれも示談になっていて、示談金も破格というところも共通点でしょうか」


「そう言えば、昨日、損害保険会社の担当者という女性から、今回の事故について、示談に応じてもらえないかとの電話がありました。私はどのくらいが相場なのか見当もつかなかったのですが、かなりの金額を提示されました。ですが、失われた未来の対価としては釈然としませんよね」


「すいません。他の事例については、示談金の金額までは取材出来てなくて」

「まあ、家内が受ければいいって言ってますので、受けようとは思っていますが」

「そうですか」


 十文字は、空気を換えるかのように、居住まいを正して徹に向き直る。


「熱田さん、実は、少し弱いかもしれませんが、もう1つ共通点があるんです。被害者が何らかの先端技術に関わっていたという共通点が。熱田さんと奥様は、今年の初めに論文を発表されてましたよね?」


 驚きで少しのけぞる徹。

「え、何処でそんなことを?」

「ネットで色々調べていたら、おふたりの論文を見付けたんです」

「そうでしたか」

「それで、本筋とはちょっとズレますが、その論文に関してお伺いしたいことが」


 途端に徹の表情が曇る。

「まさか、あの論文が事故と関係しているのでしょうか? 誰かが家内をわざと事故に?」

「いえいえ、これは私の取材方針と言いますか、師匠の教えでして。取材するなら、尾ひれ、背びれ、胸びれまで拾って来いって。それからもうひとつ、ホトトギスの教えってのがあるんです。鳴かぬなら……ってやつです。ですので熱田さんご夫妻の技術を欲しがっている人や、成功を妬んでいる人がいたりしないかな? と関心を持っているわけです」


「盛ってる話まで取材するんですか?」

 曇った表情を苦笑に変える徹。


「――そうですね、胸びれみたいな話はひとつあります」


 徹は、顔に不安を浮かべながらも、十文字に静かに語り始める。


「今年の4月頃、米国の大学からお誘いを受けてたんです。テキサス州立大学ドナルド・ハーパー研究室というところです。年俸はかなりの額でした。私と妻の現在の収入の1.5倍とはいきませんが、多かったですし。ただ、病院は、体が続く限り続けられますが、1年契約の年俸となると研究結果にも依存しますし。病院を誰かに貸すというのも考えましたが、ちょうど良い信頼出来る医師が見当たらなかったので、家内とは、ここを手放してまでは留学出来ないよな、って話してお断りしたんです。—―それが、今回の妻の事故と関係があるのでしょうか?」


 瞳がこっそり親指を立てて十文字にグッジョブのサイン。


「今のところ因果関係があるとは、とても言えませんが、神経細胞の信号を電子的にやりとりするという研究に関心を持っている人が存在するということが解っただけでも充分興味深いお話でした……。それにしても、共著で論文が出せるなんて相性ピッタリですね。おふたりが知り合ったのは学生時代ですか?」


 徹は、少し遠くを見るような目で語り始める。

「まあ、似たようなものです。厳密には研究員時代です。家内は、当時、私立横浜大学で幹細胞工学の研究員をしてまして、私はそこの医学部で脳神経外科の研究をしていたのですが、教授同士に交流があったので、定期的に勉強会をやっていて、そこで知り合いました」


 もう15年も前の話ですけどね、と照れ笑いを浮かべる徹。


「当時から、彼女は神経細胞を電子的に接続する研究をしてました。ミクロレベルで接続する必要があるのですが、そこに、私の脳神経外科としての顕微鏡レベルでの手術の知見を融合させたのがあの論文です」


 なるほど、と頷く十文字。

「奥様が働いておられたのは何という研究室なんですか?」

「高田研究室です。今でもあると思いますが、確か移植用の臓器培養の研究をやってるんじゃなかったかな」

 

「ほほぅ、臓器培養ですか……。ちなみに奥様の旧姓は何と?」

「八重樫と言います」

 なるほど、と言いつつ、身を乗り出す十文字。

「実はですね、熱田さん。その臓器培養の技術ですが、既に完成していて、お金持ち向けの自由診療の病院で提供されているって話があるんですが、ご存じですか?」


 徹、手を振って苦笑い。

「それ。都市伝説じゃないですか? でも、家内がやっている研究も、はたから見たら都市伝説級でしょうから、実現していてもおかしくないかもしれませんが」


 十文字を横から小突く瞳。

「あの、本当に大変な時にお時間を頂き、ありがとうございました。ちょっと色々調べてみます。奥様によろしくお伝えください」


 深く頭を下げて『にぎた脳神経外科医院』を辞する2人。次の目的地、私立横浜大学病院に向かう。


「そう言えばモンジせんぱい。せんぱいの師匠ってどういう方なんですか?」

「あ? 俺の嫁。探偵は素人だったけど、センスは俺以上だった」

「そうだったんですか……」

 

 珍しく殊勝な顔つきになる瞳。

 十文字は、ふ、とひとつ鼻を鳴らすとやや大袈裟に声を上げる。

「そんな気にする話じゃねえよ。それより、米国の大学の件、あれが何でグッジョブだったんだ?」

「博士が、グッジョブって言ってました」

「それだけ?」

「はい」


 ――だから、

   何がどうグッジョブだったの?



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