第13話 おいおい、初対面だろ?
翌日、日高紗理奈が通うピアノ教室に向かう十文字と保奈美。
日高紗理奈は、その日が来日して3回目のお稽古日である。
そこは、小島美恵という40代の先生が個人で経営するピアノ教室で、保奈美が事前に根回しをして時間を確保していた。
「どうも初めまして、『木漏れ日の泉』の白石と申します」
「十文字と申します」
「どうも、小島です。紗理奈ちゃんのお父様のこと、お電話で初めて伺って、もう、ほんとびっくりしているところです。今月入ったばかりなのに。こんなことになるなんて……」
「はい、お父様が亡くなられたので、わたくしどもが紗理奈ちゃんを保護することになりました」
「紗理奈ちゃんには、他に身寄りが無かったのですか?」
「厳密には、戸籍上、年の離れたご兄弟がいらっしゃるのですが、その、申し上げ難い話ですけど、相続絡みで円満な引き取り手がいないというのが現状で……、それでわたくしどものような団体が親代わりになっているんです」
「まあ、そうなんですか。なんて不憫な事でしょう」
小島というピアノ教師は、玄関口で涙ぐんでいる。
「紗理奈ちゃんの今日の練習は、もう?」
「あ、はい。先程終わりました。どうぞ、中に」
保奈美の問いに我に返ったのか、慌てて教室に案内する小島先生。
小島先生が、ノックして、防音ドアを開けて、紗理奈ちゃん、お客様よ、と声を掛ける。
あらかじめ保奈美が小島にお願いしていたので、小島は居間で待機してもらうことになっていた。
小島先生を会釈で見送り、ドアを閉めると、保奈美はピアノの椅子に座る紗理奈に笑顔を向けた。十文字も、ぎこちなく笑顔を作る。
「こんにちは、紗理奈ちゃん。お姉さんは白石と言うの。この人は十文字さんよ」
「こんにちは。あれ? おじさんどこかで見たことあるかも?」
――おいおい、初対面だろ?
「やっぱり、前のお母さんの記憶かなー」
紗理奈は、シュシュっとシャドーボクシングで切れのあるワンツーを決めながら呟く。
保奈美は、膝に手を置いて少し屈むと、紗理奈目線で問い掛けた。
「前のお母さんって、竹之内さんのこと?」
「そう。みどりちゃん」
「今のお母さんは、だあれ?」
「今はね、ケイトちゃん」
「そうなんだ。ケイトちゃんとはよく会っているの?」
「そんなでもない。ケイトちゃんは忙しいから」
保奈美は、さらに腰を沈めて、紗理奈を見上げる。
「ここへは、みどりちゃんに言われて通ってるの?」
「うん」
――アリバイ作りの為だけに
通わせたのかよ。くさ。
「紗理奈ちゃんはピアノは好き?」
「んー。好きって気持ちがよくわからないかな」
「好きって気持ち、わかるようになるかもよ。お姉ちゃんは好きだもの」
ちょっといい? と言って、紗理奈の横に座り、ピアノに向かう保奈美。
保奈美は、おもむろに十文字の知らない和風の曲を奏で始める。
「お姉さんすごーい。それってなんて曲?」
「これはね、『知恵の泉のイビト』って絵本の曲」
「すごーい」
「紗理奈ちゃんもこれくらい、すぐに弾けるようになるわよ」
「え? そうなの?」
「うん。なってみたい?」
「それはなってみたいかもだけど、よくわからない」
「じゃあ、弾けるようになってみてから考えてみたらどうかな?」
「それ、どうすればいいの?」
「ちょっと目を瞑ってみて」
「こーお?」
「ありがとう、紗理奈ちゃん」
防音してあるといっても小さな音が漏れ聞こえたのだろう。
十文字の視界に、教室の入り口の2重ガラスの向こうに小島先生の影が映る。
ドアを開けて小島先生に話しかける十文字。
「すいません。ちょっと彼女もピアノをやるもんで弾かせてもらってました」
「ごめんなさい。とてもお上手だから、あれって思って……。聞きなれない曲ですけど何という曲なんですか?」
「『知恵の泉のイビト』とかいう絵本の曲らしいです。私も初めて聞きました」
「そうですか、今度調べておこうかしら」
「あの、紗理奈ちゃんって、始めたばっかりだと思うんですけど、今はどんな練習をしてるんでしょうか?」
「入ったときは、全くの初心者というお話だったので、練習というほどではないですけど、ゲームみたいな遊び感覚で、ピアノを触って、ドレミファソラシドの音名と音を覚えるってカリキュラムをやっていたところでしたの」
「そうなんですか。せっかくお世話になり始めたばかりで心苦しいのですが、おそらく来月引っ越すことになるので、引っ越し先でも習わせられたらな、と思いまして」
「あら、やっぱりそうですか。ご家庭の事情ですものね。お続けになられるなら、初心者コースの授業から入られても、そう差は無いと思いますよ。うちもそうですけど触って楽しんでもらうことから始めるところが多いですから」
「なるほど、参考になります。それであの、お月謝のことですが……」
「それなら、今月分はもう頂いてますからご心配なく」
「そうですか。短い間でしたがお世話になりました」
「そんな、ご丁寧に」
十文字が教室を振り返ると、AIの書き換えが終わり、再起動された紗理奈と保奈美が話をしているところだった。
十文字は、ノックしてドアを開けると、紗理奈に声を掛ける。
「紗理奈ちゃん。今日はおじさん達と一緒に帰ろうか?」
「はーい」
椅子から降りた紗理奈は、ぱたぱたと小島先生のところに来ると、軽くお辞儀をしてお別れの挨拶をした。
「小島先生、さようなら」
「はい、さようなら」
保奈美も続いて出てきて、小島先生にお礼を述べる。
「小島先生、この度はお世話になりました」
「いえいえ、こちらこそ。――あなた、どちらかでピアノ習ってらっしゃったの?」
「独学で少々」
「それにしては素敵な演奏でしたわ」
「ありがとうございます」
頭を下げる保奈美に倣って、十文字も頭を下げた。
「それでは、小島先生、私達はこれで」
「紗理奈ちゃーん、頑張ってねー」
小島先生は、手を振りながら涙ぐんでいた。
紗理奈には、NSAオフィスのラボでVer3.0へのバージョンアップとデータコンバージョンが行われた。
※1 曲のイメージは『知恵の泉のイビト』のweb動画でご確認いただけます。
近況ノートはこちら↓
https://kakuyomu.jp/my/news/16818023212605011654
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