第09話 やっぱりこの依頼、無かったことに出来ないか?

 

 しばらくの間、じっと、膝に組んだ手に額を押し付けるようにして黙り込んでいた十文字は、すっと顔を顔を上げると、橿原に厳しい目を向けた。


「龍太郎、ひとつ聞いていいか? 崎村知世の件は、NSAの依頼だろ? 親父さんも奥さんも、浮気の疑いすら持ってないんじゃないのか? だから親父さんも奥さんも知らないところで、こっそり解決しようとしてるんだろ? 何でお前達がそんなステルスお節介を焼く必要があるんだ?」


「知世さんのお父さんの崎村常務は、三崎造船のとあるプロジェクトを推進されている方なんですが、そのプロジェクトというのが新型アンドロイドの保護と密接な関係があるんです……。伊崎海洋開発って聞いたことありませんか?」


 ――そう言えば、今年の初めに請けた

   張り付き仕事があったな。


「観音崎のあたりにある海沿いの会社のことか?」


 大きく頷く橿原。

「はい。元々は海洋資源開発の研究室だったんですが、サポロイドというウェットロイド製造能力を持つアンドロイド会社と合併して、NSAの保護対象になりました。崎村知世のウェットロイドを放置すれば、伊崎海洋開発の機密が漏れる危険性があったわけです。それで、僕達としても放っておくわけにいかず、というわけです」


 十文字は、声を荒げて食い下がる。

「だがな、俺の専門は人間同士の浮気調査だ。アンドロイドが相手なら、浮気すら成立しないだろ? 専門外だよ。それに、浮気調査の対象が、子供の作れる特殊なアンドロイドで、それが単なる浮気じゃなくて、奥さんと同じDNAの子作り目当てだなんて、裁きようがないだろ?」


 橿原は、冷静な揺るがぬ視線を十文字に向ける。

「先輩。連中は、DNAや指紋を盗んでアンドロイドを作って、その人物とすり替えるようなことをする連中なんです。元の人間がどうなろうと戸籍上辻褄が合えばそれでいいって考える連中なんです。今回は、たまたま骨折で済んだかもしれませんが、まかり間違えば、先輩のお義姉ねえさんは、殺されていたんですよ! 法で裁けない方法で」


 ふっと、半笑を浮かべて、十文字は橿原から目を逸らし、自虐的なお手上げのポーズで肩をすくめた。

「俺には、こんな案件を2つ同時ってのは無理だよ」


「ひとつひとつ解決していけばいいじゃないですか? まずは崎村知世のウェットロイドから。パスポートによれば杉浦瞳という名前です。住所は千葉県でした。おそらくは、竹之内みどりと同様の手口でウェット化されたのでしょう。竹之内みどりと連絡がとれなくなって混乱していることでしょうから、間髪入れずに……」


「そういう意味の無理じゃないんだよ!」

 バン! と両の拳をローテーブルにぶつけて橿原の言葉を遮る十文字。


「俺の心が持たないんだよ! 去年、女房を亡くして、ずっと癒えるまでへこんでいたいのに……。生活のために浮気調査して、ドロドロした人間関係を見続けてきたんだ。それだけでも腹いっぱいだっていうのに、なんでまた、命を奪ってすり替えたりりとか、戸籍を奪ったりとか、もっと反吐の出る悪意、てゆーか悪意以上に反吐の出そうな無関心を、幾つも幾つも、こんなにいっぺんに、これでもかって見せつけられなきゃならねえんだ。堪ったもんじゃねえ!」


 荒げた息が収まったところで、十文字は俯いて呟く。


「なあ、龍太郎。やっぱりこの依頼、無かったことに出来ないか?」


 しばしの沈黙が、さらに十文字の口を開かせる。


「義姉さんの方は、義兄にいさんと話をして、DNAの話もして、何とか収められると思うんだ……。だけどな、竹之内みどりにしろ、杉浦瞳にしろ、彼女達は義姉さんと違って、本人達は華南でどうにかなってるってことだろ? 彼女達の顔を見る度に、そういう胸糞の悪い思いをさせられんだよ。俺に何の罪がある。そんな心の痛みをこれからも背負い続けなきゃならない理由が何処にあるんだよ……依頼料は全部返すからさ……勘弁してくれよ……」


「この依頼を取り下げることは出来なくはないですが……、その場合、やり方は幾つかあるとしても、先輩は、例えばNSAの拘置所に入ってもらうことになります。それも一生です。奥さんの死を悼む時間はたくさん出来ますが、本当にそれでいいんですか?」

 そう語る橿原の顔も、痛々しいほどに苦しげだ。

「ひと晩、ゆっくり考えてみて下さい。明日、10時に保奈美さんを迎えに行かせます。その時にお返事を聞かせてください。ちなみに、腕力で逆らおうとしても無駄ですよ。保奈美さん、こう見えて僕より強いんです」


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