第10話 そう、確かこれが脳の可塑性……、だったよな?
保奈美の運転で、黄金町の杉浦瞳のアパートに向かう十文字と保奈美。
「あの……、わたくしには奥様を亡くされた十文字さんのお気持ちは計り知れないのですが、夫を事故で亡くした女性の気持ちは知っているつもりです。それは、悪意の結果とか無関心の結果ではなく、本当に不幸な事故でした……」
「え? 保奈美さんもご主人を?」
「厳密には、わたくしではありませんが、わたくし達は知識や経験を共有しているので」
――わたくし……達?
「実は、わたくしもウェットロイドなのです。伊崎海洋開発の副社長、伊崎奈美がわたくしのDNAの親になります。昨夜はウェットロイド誕生の歴史には触れませんでしたが、7年前に誕生したこの技術は、6年ほど前にVer2.0が流出したことが解っています。わたくし達のバージョンはVer3.0で、4年前に作られたものです。Ver3.0には赤外線受光素子が組み込まれ、Ver2.0を見分けることが出来るようになりました」
静かに、淡々としてはいるが、冷たさというよりは、何かを慈しむような語り口で保奈美は続ける。
「その4年前、橿原さんは、とても大きな不条理に出会いました。十文字さんの言う反吐の出そうな無関心に。1億人以上の命が奪われたのです」
「え? そんな事件があったの?」
「この事件の真相も国家機密ですから、ご存じないのも無理はありませんわね」
――1億人って、日本の人口とほとんど
変わらないじゃないか。ひとつの国
が全滅する規模の不条理っていうの
は、どういうジェノサイドだよ?
「人間の脳には可塑性という性質があるそうですね。なぞなぞとかマジックとか、タネを知ってしまうと驚かなくなるという……。橿原さんは十文字さんのお気持ちを軽んじているわけではないのです。十文字さんより、ちょっとだけ多く、なぞなぞとかマジックのタネを知ってしまっただけなのです」
『だいぶ体
橿原のセリフが十文字の頭に蘇る。
――なんだよ。どんだけの質と量の修羅
場を踏んだかって話じゃねえか。
あいつは、ただ優秀なイケメンハー
フじゃなかったんだな。
「それって……、俺には一生掛かっても追い付けない『ちょっと』なんだろうな?」
頬杖を突いて窓の外を見ながら、十文字は呟いた。
* * *
「十文字さん、そろそろです。準備はいいですか?」
「ああ」
杉浦瞳のアパート前。
2時間ほど、車で待機していた十文字と保奈美。
どうやらキッチンの明かりが消えたようだ。
「じゃあ、ちょっくら行ってくるわ」
「はい、行ってらっしゃい。詰めはお任せください」
ドアを開けて車外に出る十文字。
――なんか、
こういうやりとり久し振りだな。
などと、密かに思いつつ、十文字は杉浦瞳の部屋のドアの前で待つ。
程なくガチャリと音がして、瞳が出て来た。
「杉浦瞳さんですね?」
「いいえ、私は崎村知世ですが……」
驚くほど冷めた声で、瞳は答える。
「おかしいなあ。私の知っている崎村知世さんはこんな方なんですが」
とスマホをかざす十文字。
ほぼノーモーションで繰り出される回し蹴り。
――こいつもかよ。
続いて、左ボディ、右ハイキック。
十文字が後ずさったところへ、ワンツーで距離を詰めてくる。
瞳は、驚くほどきれいに竹之内みどりの攻撃パターンをなぞってくる。
――となれば。
右のハイキックのフェイントを交えて、体を沈めて左の足払い。
「やべぇ」
と言いながら、バランスを崩したと見せかけて、首に回された左腕を掴み、体を入れ替えて逆さに捻り、そのまま左肩を抑え込む。
すかさず、詰めで控えていた保奈美が瞳の耳に無効化ギアを差し込んだ。
ウェットロイドの耳には、外部接続ジャックが設けられている。
無効化ギアは、ここから、ウェットロイドに強制スリープ信号を送る、体温計のような形をした機器である。
保奈美が、十文字を三角締めから救った時も、竹之内みどりに、この無効化ギアを使っていた。
「お見事です! 同じ手を二度と喰わないところは流石ですわね」
「なぞなぞと同じだよ。タネが解ればなんてことはない。しかも、必ずそのタネを使う状況なら、なおさらだ」
――そう、確かこれが脳の可塑性……、
だったよな?
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