第七話~森の奥での出会い~
どうしよう、どうしよう、どうしよう。
見たこともない巨大な木々が生い茂るその森の片隅を、魔導書を腕に抱き、涙をポロポロと零しながら歩く。
ここがどこだかわからない。
木々が密集しているせいで、この森は仄暗い。
見上げれば、重なり合った枝葉の隙間から光が微かに漏れている。恐らく、日はそれなりに高いようなのだが。
どこかもわからない場所で、ひとりぼっち。
心細くてたまらない。
けれど、それはきっと可憐も一緒だと、葵は思う。
可憐を探し出さなければ。それが、巻き込んでしまった自分の責任だ。
葵はブラウスの袖で涙を乱暴に拭った。
それからどれだけ歩いたのか。ただでさえ、木々の根によって足元は不安定。舗装された道しか歩いたことの無い葵が、そんな場所を歩けば、疲れて足元が覚束無くなふるのは当然だろう。葵自身の体力のなさもあるだろうが……。
少し休もうかと、そう思ったその時だ。
カサっという、茂みが擦れる音がした。
葵がそちらに視線を向けると、そこには大きな犬がいる。いや、狼のようだ。
しかも、その狼は茂みの向こうから1匹の、また1匹と増え、最終的には5匹になった。
狼達は、グルルと喉を鳴らし、葵を睨みつけている。
この状況がどれだけ危険なのか、即座にわかった。狼は自分を獲物としている。
葵は狼たちに背を向け、一目散に駆け出した。逃げる以外に、葵ができる事などないのだ。
必死に走って、逃げ伸びなければ。そう思えども、体は葵の気持ちを簡単に裏切る。
走り出してすぐ、葵は足がもつれてうつ伏せに転んでしまった。歩き回った疲れの蓄積した足は、思い通りに動いてはくれなかったのだ。
そんな葵に、狼たちは容赦なく飛びかかってくる。
このまま、狼に食い殺されてしまうのか。
起き上がって振り返ることも出来ないまま、葵が来たる痛みに備えて目を強く瞑ったその時だ。
パチンという、指と指を擦って鳴らす音と共に、キャンッという、狼の悲鳴のような鳴き声がした。葵の体に、狼は1匹ものしかかってこない。
恐る恐る目を開け、うつ伏せに倒れていた体を少しだけ起こして、狼たちが居るはずの背後を振り返る。
薄い光のカーテンが、狼たちの行く手を阻んでいた。どうやら、バリアのようなものが、葵を守っているようで。
そのせいで、襲いかかることが出来なくなった狼たちは、葵から距離をとり、しかし、葵を襲う意思はまだもったまま、睨みつけてくる。
けれどまた、次の瞬間。
パチンという音と共に、光のカーテンの向こうに大きな火柱が立った。
その火柱が立っていた時間はそう長くはなかった。けれど、狼たちを怯えさせるには十分だったようで。
キャィンという鳴き声をあげて、散り散りになって逃げ去っていった。そしてまた、パチンという音がして、光のカーテンはすっと消える。
葵は、立ち上がることすら忘れて呆然としていた。
「大丈夫かい?」
そう声を掛けられて、葵はやっと意識を取り戻し、その声のした方向へ視線を向ける。そこには、白く長い髪と赤い瞳の男が立っていた。
葵は慌てて立ち上がろうとしたのだが、膝に痛みを感じて立ち上がることが出来ない。
「いった……」
その痛みに、ついつい声がこぼれた。
「コケた時に怪我でもしたのかな?」
そう言うと、男は葵の目の前まで近づくと、手を差し伸べる。
「私の手に捕まって。ゆっくり立つといいよ」
葵はその言葉に頷くと、差し伸べられた手に、自分の手を重ねた。
*
この位の怪我くらい、魔法で治せるなら楽なのにと、魔導師バルマーカスは思う。
数百年前に起きた魔導師狩りの影響で、治癒魔法の技術は廃れた。今この世界に、それを使える魔導師はいない。
過去の偉人はとんでもない事をしてくれたものだと、心の中で悪態をつく。
ないものは仕方がないので、目の前にいる、狼たちに襲われそうになっていた娘の手当は、傷薬を使う。
座りやすそうな、土から張り出した木の根が近くにあったので、そこに座らせて手当をすることに。
手先が不器用で、彼女の膝に巻いた包帯はガタガタだが、患部さえ隠れているので問題は無い。
「私の同僚が作った鎮痛薬も入った傷薬だから、すぐに痛みが引いてくるよ」
バルマーカスがそう語りかければ、娘は「ありがとう……ございます」とたどたどしい感謝の言葉を口にして、こくりと頷いた。
にしても、不思議な格好をした娘だなと、バルマーカスは小首をかしげる。
膝丈の、スカートのように見える、ゆったりとしたズボンなど、バルマーカスは今まで見たことがない。というか、女性が足をこれほどまで出す服装を、見たことがない。
しかも、こんな森の奥で旅支度もなく、1人。あまりに不自然だ。
「こんな場所に1人で何をしているのかな?」
手当を終えて、バルマーカスは俯いている娘に問う。
「友達を……探して……ます」
娘からそんな返答が帰ってきた。
「この森に友達が居るのかい?」
再び問うと、娘は頭を横に振る。
「どこに居るか、解らな…くて……」
娘はそう言うと、腕に抱いていた大振りな本をぎゅっと握りしめた。その本は、娘がコケた時すら離さず手にしていたもの。
「その本、君の大事なものかな? 魔導書?」
そんなバルマーカスの言葉に、娘は弾かれるように顔を上げた。どうやら、それは魔導書の類であったようで。
「これ……これにあった、転移魔法の魔法陣が、は…発動して、可憐が……幼馴染の友達……消えちゃって……。慌てて、あたいも追いかけたけど……可憐……どこにも、いない……」
娘はそう言うと、両の目からから大粒の涙をボロボロとこぼす。
なるほど、この娘は転移魔法でこの森にやってきたのかと、不自然さの理由にバルマーカスは納得。いったい、どんな術式を使ったのかが気になってしまうのは、魔導師の性。
「どれを使ったのか、教えてくれるかい? 私はこれでもレーウェリオーネ王国の宮廷魔導師として仕える人間でね」
その言葉を聞くと、娘は驚いたように目を見開いた。
「宮廷…魔導師!」
先程までのか弱い声色はどこへやら。大粒の涙はどこへやら。
表情が一変、好奇心からだろう。バルマーカスを見るその瞳はキラキラと輝き、頬が紅潮している。
魔導師に憧れを抱いている娘なのだろうなと、バルマーカスは心中で察した。
「君の使ったの術式がとっても気になるんだ。お友達を探す手掛かりになるかもしれないし」
バルマーカスが再び言うと、娘はこくこくと首を縦に振り、魔導書を開いてパラパラとページを捲る。
「これ……です!」
目の前に差し出されたページを見て、バルマーカスは仰天した。
数百年前の魔導師狩りで、失われたのは治癒魔法だけではない。いくつかの高位な魔道技術、それを行使する為の魔導書も、禁書として焼かれてしまっていた。
それを逃れた魔導書は、この世に数冊。
殆どが、隠匿している老齢の魔導師が所有しており、この世に出るのは、その本の1部を写したものだけ。
しかも、写しであっても飛び出る程の大金でやり取りされる。
これに書かれた魔法陣が発動したと、娘は言っていた。ということは、この本は偽物ではない。
娘が嘘をついている可能性も、この状況を考えればないと断言出来る。
「これを君はどこで手に入れたんだい?」
「古本屋のおじさんに、掘り出し物だって言われたから買った……です」
こんな貴重なものが、掘り出し物?
バルマーカスの頭が、一瞬真っ白になる。
この少女の話を、もっとしっかり聞くべきだ。
とりあえず、こんな森の中ではなく、どこかの村が町にでて、ゆっくり話を聞こうと、バルマーカスは考えた。
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