第35話 喧嘩
根本的に人ってやつは、他人と分かり合えない残念な存在だ、と時々思う。
正しくは毎日1回〜3回は思う。
どうやったって考えてるコトを全部言葉で表現するなんてできない上に、人それぞれで頭のレベルが違ってて持っている辞書も違うし、好き嫌いとかまで関係してくるんだから、もうどうしようもない。
打つ手なし。
残念なコトに、人が多く集まる必要のある場所では、分かり合えないと開き直るコトが許されないケースもある。
常識や社会ルールは、集団が必要とする最低限の規範共有を持って「分かり合えたコトにしておこうよ」っていうある種の紳士協定だよね。
正しく分かり合えた状態を期待するコト、自体が間違ってる。
でもソレって何も嘆き哀しむような話じゃない。
分かり合えないからこそ伝来ミスや伝承エラーが起こって、多様性と云う副産物を手に入れるコトだってあるし。
まあ極々稀に、だけどさ。
そういう理解は、ある程度の大人なら通じる話題で、日々の生活では「分かり合った上で成立する人間関係」だけが存在しているわけじゃないでしょ。
テキトーに焦点をボカしながら生きていける程に、大人は器用なのである。
ただ立場によっては焦点をボカしてばかりもいられないケースもあって厄介。
政界や大企業における派閥、なんてのは判りやすい例じゃないかな。
ボカしてる間は何となく成立していた集団が、何か1つの(たった1つの)物事の白黒決着を巡ってバラバラに、なんてコトは結構あるよね。
離反組が新党を結成したり、新会社を作ってライバルに転じるとか、掃いて捨てる程世間に溢れかえっているみたい。
こうした対立が表面化すればまだいい方で、多くの場合、内在化したまま長時間が過ぎ行くような場合が壊滅的に面倒。
多くの人を巻き込みながら、ね。
更に最悪のケースは、この分かり合っていない当事者達が、権力や裁量をまあまあ持っている時。
もう見てらんない程に最悪、ギルティ、憂鬱。
彼等は焦点をボカすコトを許されない存在なのよね。
ハッキリクッキリさせるコトが仕事だといっても過言じゃない。
ボンヤリさせた瞬間に、誰かが苦労する時間が発生するのだから。
だから権力や裁量を持ってる人は、意見や考え方が違う相手と時々は喧嘩をして欲しい。
是非とも喧嘩して欲しい。
そして、それぞれの考え方が違うってコトを近しい人々に周知してもらいたい。
そうしないと周辺で不幸になる、または病んで再起不能になる人間が増え続けるだけなので。
分かり合えないコトは間違いない。
でもそのコトを秘するのは往々にして迷惑を産み出す。
恐れずに喧嘩せよ。
違いを認めて戦って。
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つづく
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