神
第19話 逆鱗にふれる
水虎がもっている珠は、まごうこと無き葵龍の如意宝珠だった。
「これが何かわかるかい、葵龍神」
「それは私のものです。返してください」
さんざん探して見つけることが出来なかった、なんでも願いが叶う珠。
それが、邪悪なものの手の中に握られている。
「嫌だね。葵龍神、お前を殺したら、この珠は俺のものになるのかなあ」
くすくすと笑う水虎に葵龍は毅然と言った。
「それは私の一部となっているものだから、私が死ねばその珠は消えます」
「本当かなあ、それ。じゃあ、試してみてもいいかい?」
大雨の降るなか、水虎は如意宝珠を天に掲げて叫んだ。
「葵龍神に千本の矢を放て!」
大きな龍の姿の葵龍の周りには、しかし何も変化はなかった。
「それは私の珠だと言ったはずです。私を害する願いには効力がありません」
「フン。じゃあいいや。その代わり、そこの後ろの娘を殺す。さっき喰いそびれた仕返しだ。千本の――いや、十本で十分か。矢を放て!」
藤の周りに先端が鋭く光る矢が出現した。
邪悪な水虎の行動は、あまりにも早かった。
「藤!」
「葵龍さま!」
それが、中心の藤めがけて動き出す。
「藤!」
気も狂わんばかりに葵龍は叫んだ。
頭が沸騰しそうなほどの怒りと焦りを感じたが、なすすべがない。
しかし、藤にそれが突き刺さろうとした瞬間、すべての矢が燃え上がり、灰になって消えたのだ。
水虎は驚愕した。
「な、なんで……炎が!」
周りを見渡した水虎は、そこに原因を見いだせなかった。
葵龍神も水虎も、水はある程度あやつることができるが、炎には縁がない。
「上だよ!」
強い声音に上を向いてみると、そこには雨の中でも炎を纏った鳳凰が飛んでいる。
黄色、橙、赤、と燃え立つ炎の翼がばさりと舞い、熱風を水虎にふき付ける。
水虎は顔を熱風から守る様に腕で覆うと、上空の炎の鳥を見上げた。
「な、なんで
水虎が
そして、そこに放り出されていた神弓と破魔矢を拾った。
さきほどの男が、藤から奪って庭に捨てたものだ。
弓を素早く構えて、破魔矢をつがえる。
「水虎!」
水虎を振り向かせるために言った葵龍の言葉と同時に、水虎の眉間に破魔矢が突き刺さった。
滴る水のごとき矢でも、
矢の当たった部分から蒸気のような煙があがり、水虎は口をあけたまま断末魔の悲鳴をあげた。
「がああああーーーー!!!!」
地面に倒れて、苦しみのたうつ水虎は、次第に身体全体が蒸気になっていく。
そして、それが徐々に天へとのぼっていった。
水虎の身体が溶けていく。
物も言わず崩れ落ちていく。
水虎の身体がすべて無くなったのを確認して、葵龍は神弓を降ろした。
雨はあがり、空がこころなしか明るくなってくる。
「はあ、はあ……」
胸に手をあてながら、葵龍は荒い息を整える。
「藤、無事ですか? どこにも矢は刺さっていませんか?」
「はい! 葵龍さま、私は大丈夫です」
「良かった……。水虎はとても邪悪な妖ですから。完全に消滅させることが出来たのも、よかった……」
ころころと如意宝珠が水虎がいたところから転がって来る。足元に来たそれを、藤は拾いあげた。
青紫色の、手のひら大の透明な珠。
なんでも願いが叶う珠。
これがあれば、きっと雫村に雨が降る――
「葵龍さま、これ」
すべてが終わった。
そう思って、藤が葵龍に拾った如意宝珠を差し出したのだけれど。
葵龍は弓を取り落として、頭を抱えて苦しげなうめき声をあげた。
その拍子に、いつもかぶっていた紫色の頭巾が、はらりと取れる。
「葵龍さま?」
ただ事ではない様子に、藤は不安になって葵龍を凝視した。
いつも頭巾で隠されていた葵龍の頭には、鹿のような形の角が、二本生えていた。
その金色の角が光輝いている。
「あああーーー!!!」
叫ぶ葵龍の角はだんだんと大きくなっていって。
異変に気が付いた上空にいる鳳凰は、龍宮の庭で人型になって、葵龍を止めようと彼に近づき、後ろから羽交い絞めにした。
「蘭鳳神さま! 葵龍さまはどうなってしまったんですか!」
またもや、しめった風が大きく吹いた。
それは、つい最近、陽明国の王都で経験したときと同じような、荒れた天気の予兆のような風だった。
どうして今、蘭鳳神がここにいるかということよりも、目の前の葵龍の変化に藤は戸惑う。
風の音に負けないように蘭鳳神も叫んだ。
「龍の逆鱗に触れたんだ! 葵龍のヤツ、キレやがった。娘、お前が水虎や村の者に害されることが、こいつには耐えられないくらい頭にくることだったんだろうよ!」
「
「今、やってる!」
しかし、葵龍は蘭鳳神を振り切ると、大きな銀色の龍にかわり、空へと舞い上がった。
「葵龍さまを止めて下さい、蘭鳳神さま!」
「無理だろ! どう見ても!」
「神様なんでしょ!」
「神様も万能じゃねえんだよ!」
空に舞い上がった葵龍は、長い龍の身体をくねらせながら、雫村の方へと飛んでいく。
その間に、空には黒雲が立ち込めて、雷鳴がとどろき始めた。
幾千本もの光の竜が黒い雲間を駆け巡り。
木々に十数本もの雷が同時に落ちて、先ほどとは比較にならない、どしゃぶりの豪雨が一帯を叩くように降り始めた。
木々の葉に、枯れた大地に、人々の家屋に。
壊れそうなほどの雨が降る。
ナゼ フジ ヲ コロソウト スルノデスカ
カノジョガ ナニヲ シタト イウノデス
荒ぶる龍神は、金色だったの瞳を真っ赤に染めて、我を忘れて上空で暴れた。
「葵龍さま! それ以上、雨を降らせないでください! 村が……雫村が水浸しになってしまう! あそこには私の家族がいるんです!」
ハヤブサ王のいた陽明城でのことを思い出す。
葵龍は龍の姿のとき、己の感情の起伏で、無意識に天候が変わるのだと言っていた。
この豪雨は、今まさに葵龍が降らせているのだ。
藤は必死で叫んだが、上空の葵龍には聞こえるわけがなかった。
「葵龍さま!」
なすすべも無く、空で暴れる葵龍を藤や蘭鳳神、錦と彩は見上げていた。
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