第7話 湧き水と神泉
朝起きて、藤は障子をあけて外をみた。
そこは緑があふれていて、夏だというのにすがすがしい風が吹いている。
下に置いてある草履をはき、庭に降りてみる。
龍宮の庭は木々が青く茂り、朝顔や夏椿などの花々が咲き乱れている。
ここでも
しかし、ここは山の上だ。水は低いところから高いところへは流れない。
考えていると後ろから声を掛けられた。
「早いですね」
その心地よい声に弾かれたように藤は振り返る。
「
葵龍はやはり夏だというのに暑苦しい頭巾をかぶっていた。
そして、ひしゃくと水の入った桶を持っている。
「花に水をあげようと思いまして」
にこりと笑まれ、藤は慌てて葵龍の手からひしゃくと桶を奪おうとした。
「私がやります! 葵龍さまは、そこで座っていてくだされば!」
藤は目線で縁側を指す。
「いえ、いいのです。これは私がしたい仕事なので」
「いえ、でも! ああ、でも、葵龍さまの仕事をとってしまうのもなんか違う気がする!」
藤はどう気を遣っていいのか、混乱して手で頭を抱える。
「そう、藤の言う通りです。仕事をとられてしまうのは、とても困ります。藤こそ、そこで見ていていいですよ。水をやるだけですから」
「はい、あ~いいのでしょうか……」
「いいのです」
葵龍はあたふたする藤をみて仕方がないな、と苦笑する。
そして、草花にひしゃくで水をまき始めた。
静かに草花の根本に水を注いでいく。花々は活きいきとしていて、葵龍が毎日みずを遣っているのがうかがえた。
藤は、この水はどこから来ているのだろうとさっき思った疑問を葵龍に尋ねてみた。
「葵龍さま」
「なんですか」
「その水は……どこから汲んできたんですか? ここは山の上ですし……」
「ああ……」
葵龍は水まきの手をとめて藤へ顔を向ける。
「湧き水です。山の頂上に冬に振った雪がとけて、山で
「は、はい! ご一緒させてください!」
藤は頭をぺこりと下げた。
「今は水を全部撒いてしまいますね。ちょっと待っていてください」
葵龍はひしゃくに水をくみ、静かに撒いて行く。
龍宮の庭には、タチアオイも咲いていた。赤、白、むらさき、桃色。
葵龍さまにはなんとなく白のアオイが似合うな、と藤は思った。
「藤の花は五月で終わってしまいました」
「は、え?」
唐突に名前を出され、藤は戸惑った。
「黄色や紫、白がここには咲いていたのですけど。藤の花。私は藤の花も好きです。藤の名前の花ですね」
「あ、ありがとうございます、藤の花が好きといってくれて」
藤は少し赤くなった。
それはあくまで藤の花の話であって、藤のことを言っているのではないと分かっている。
でも、同じ名前の花を好きだといってくれたのが、なんだかとても嬉しかった。
まるで自分のことを好きだと言ってくれたみたいな錯覚におちいる。
「さあ、水まきはおわりました。湧き水のでる泉へいきましょうか」
「はい!」
朝いちばんで、美味しい水が飲めるのは最高に幸せなことだ。
湧き水のでる場所は龍宮の裏手にあった。木々が程よく植わっている裏手は、朝の夏の木漏れ日がきらきらと眩しかった。
その隣に、小さな池のようなものもあった。
湧き水が溜まった池で、澄んだ水が綺麗だ。
そして、そこに何かが映っていた。
「池もあるんですね。そして、何かうつってる?」
「ええ。あの藤が飛び込んだ神泉の様子が、見えるようになっています。ここから藤を連れて出てきたんですよ。この神泉はあの藤の村の神泉と私の力で繋がっているから。だから藤の儀式もここから見えました」
ああそうか、と藤は思った。だから、生贄に気がついた葵龍は、助けに来てくれたのだ。
そういえば、自分は龍の口の中で気を失ったことを思い出した。
このおだやかな葵龍さまがあの猛々しい龍に変わるのか。
にわかには信じられない事実だ。
「私、葵龍さまに食べられたかと思いました」
「すみません、あの速度の中、手で握ったら潰してしまいそうだったので、口の中に入れて運びました。それなら水の中でも呼吸できますしね」
「葵龍さまは、やっぱり神さまで、あの龍になれるんですね」
やはり神様なんだなあ、と藤は隣にいるかたを
すると、葵龍は憂いを含んだ顔で呟いた。
「……龍になれるのが神なのでしょうか。私は自分自身が何者なのか、とても疑問に思います」
「え……? えーと。神さまなのだと思いますけど。それ以外の何だというのでしょうか」
純粋に不思議に思って藤は葵龍に聞いた。
「……そうですね。そういうことにしておきましょう。それよりも、水をのみましょう、藤」
葵龍は横に置いてある木の器をすすいで水を入れると、それを藤に渡した。
「美味しいですよ」
「ありがとあうございます」
何か重要なことをごまかされた気がしたが、もう聞きそびれてしまった。
水を渡されて一口飲むと、冷たくてとても美味しい。
「美味しいです!」
「でしょう?」
二人で湧き水を飲み、顔も洗った。葵龍の持っていた手ぬぐいで、二人で顔を拭いていると、藤を呼ぶ大きな声が聞こえた。
「ふじ! 探したぞ! 朝飯の支度をする時間だ。厨房にこい」
彩がイライラした様子で建物の脇から顔をだした。
「彩、私が藤をさそったのです。そう怒らないでやってください。いじめては駄目ですよ」
「……葵龍さまがそうおっしゃるのなら。善処します……」
彩は少し
そんなところは歳相応に子供っぽい。
「今行くよ、彩。私もおなか空いてきたから」
「厨房はこっちだ」
彩に
「では葵龍さま、また」
「ええ、また朝食のときに」
「ふじー!」
彩がわめく。
「わかったって。今行くよ」
彩は口うるさいなあ、と思ったが、口にはださずにおいた。
口に出すと面倒くさいことになりそうだから。
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