02 純潔の誓い

イタズラ娘の相手をしながら、この日は50キロメットルほど南に下り、小さな街に入った。


「空いてるか聞いてくるね。ホウイチは馬を見てて」

アンジェリクは宿屋の入口をくぐった。


しばらくすると出てきて、もじもじしている。

「どうだった?」

「あのね、空きはあるんだって……」

「そりゃよかった」

「でもね、あのね……一部屋しか空いてないんだって」

「しょうがないな」

「でしょ? しょうがないよね!」

「オレは野宿でいい」

「外は寒いよ!」

「慣れてる」

「じゃあ、わたしも野宿する」

「部屋が空いてるんだから、泊まればいい」

「それはダメなの!」

ぷくーと頬を膨らませる。


「じゃあ、代官屋敷に泊めてもらうか?」

アンジェリクは王族だ。領主か代官のところで歓待を受けるのが普通だ。

「旅の目的とか聞かれたら、秘密のオッパイがバレちゃうよ」

「困るな……」

「それに、どうやって探すかとか、話し合っておいた方がよくない? いっしょの部屋だと都合いいと思うんだけど……」

「そうだな……。オレも泊まるか」

「うん! 馬小屋はあっちだって。つないだら、2階の奥の部屋に来てね!」


オレは馬をつなぐと、飼い葉を与え、ブラシで洗ってやった。世話を終えると、宿屋の2階に行く。粗末な扉を開くと、狭い部屋にひとり用のベッドがあり、床の木桶から湯気が上がっている。


ベッドにはアンジェリクが裸で腰かけていた。お湯に浸したタオルで身体をふいている。


「きゃっ!」

小さく悲鳴を上げると、胸を覆い隠した。

「ごめん……」

オレは顔をそらす。

「もう! ノックくらいしてよね!」

「悪かった」

「……わたしも、驚かせちゃって、ごめんね。こんなに早く来るとは思わなかったから」


オレがうしろを向いている間に、ピンクのネグリジェを着た。

「ホウイチのパジャマも出しとくね」

と、魔法の小袋に手をつっこんだ。小さくて軽い袋だが、馬車でも丸ごと収納できるマジックアイテムだ。

「オレはこのままでいい」

床に座りこんで、壁にもたれかかった。

「疲れが取れないよ。お湯だってもらっておいたから、身体をふきなよ」

「そんなことより、今回のミッションについて伝えておこう」

アンジェリクは不服そうに唇を尖らせ、ベッドにペタン座りをした。そして、自分の隣をパタパタ叩く。


しょうがない。オレは隣に座った。アンジェリクは満面の笑みを浮かべて、うれしそうに足をパタパタさせた。むやみに肌を触れさせないのは、純潔の誓いを尊重してくれているからだ。


「さっき話した通り、王陛下を癒すアイテムを見つけるのが目的だ」

「聖なるオッパイだよね!」

「そうだ……」

「どんな効能があるんだっけ?」

「もむと病が癒え、もめばもむほど寿命が延びるそうだ」

「よく真顔でそんなこと言えるよね……」

「おまえの親父さんが言ってたんだ」

「どんなのなんだろう? 特別なオッパイを持った女の人なのかなあ?」

「その可能性もある」

「どうやって見つけるの?」

「場所はわかってる。南端の港町、リンマ・リーゾットにあるそうだ」

「わっ! それ、お父さんがお母さんと出会った街だよ!」

「そうだったのか」

「わたしもいつか行ってみたいと思ってたんだ。海だって、見たことないし」

「いつも北に向かってたもんな」


オレたちが戦った魔族の拠点は北にある。そのため暖かな南の土地や海とは縁がなかったのだ。


「海、行っていい?」

「あくまで目的優先だがな」

「やったー! ふふふ。ステキな出会いがあったらどうしよう?」

「王族の結婚て、そんなに自由なものなのか?」

「お父さんが平民のお母さんを選んだんだから、わたしにもあまりうるさく言うつもりはないみたい」


アンジェリクは物思いにふけるように目を伏せた。それから、静かに言った。

「わたし……17歳になったんだよ」

「オレが召喚されたときは、まだ12歳だったんだよな。5年でこんなに成長するんだな」

「ちょっ! 裸を見たあとで、それ言う?」

「見てないから」

「見たでしょ」

「オレの誓いを知ってるだろ?」


勇者として召喚されたとき、すでに常人離れした力を授かっていた。だが、魔族を退け、争いを終わらせるために、より強い力がほしかった。だから、武芸の神に誓いを立てたのだ。煩悩を払い、異性を遠ざけ、ひたすら剣の修行に励むこと。純潔の誓いを守ることで、魔王に負けないほどの力を手に入れたのだ。


もちろん最初はムラムラしていた。異世界だ、ハーレムだ、冒険だ、ハーレムだと。欲望が頭の上でとぐろを巻いているような状態だった。だが、オレはこの世界の人々を救いたかった。ときには小刀を太ももに突き刺して、痛みによって劣情を追い払ってきた。


今も、柔らかな白い乳房が見えたとき、武芸の神への祈りを唱え、流線形を描きながらツンと重力に抗う横乳を脳裏から消し去ったのだ。


「それなんだけど……」

アンジェリクがおどおどと言う。

「それって?」

「武芸の神様への誓い」

「うん」


遠くで男の怒鳴り声がした。瓶の割れる音がし、犬がワンワン吠えている。


「なんの騒ぎかな……?」

「もう寝よう。明日も早いから」

「……いっしょに、寝てくれないの?」

「同じ部屋にいるよ」

「そうじゃなくて……隣で、寝てくれないの? ほら、テンガの森のときみたいに」


旅の疲れがあるだろうし、心細い気持ちもわかる。オレは腰の剣を鞘に入ったまま外し、ベッドを二分するように真ん中に置いた。純潔の誓いを破れば死ぬ覚悟を示すものだ。


アンジェリクはうれしそうな顔で、壁側の半分に寝転がった。

「さ、早く」

と、ベッドをトントンする。仰向けに寝そべると、アンジェリクは身体を横にし、「えへへー」と笑顔でオレを見た。

「思い出すなあ。森で魔族が待ち伏せしてて、わたしがいた部隊はバラバラになっちゃって。魔法の小袋はなくしちゃったし、暗いし、寒いし、すごく怖くて震えてたら、ホウイチが来てくれたんだよね」

「そんなこともあったな」

「すごくうれしかったんだよ」

「おまえの居場所がわかるペンジュラムを王陛下に持たされてたんだ」

「ペンジュラムがなくても、きっと見つけてくれてたよ」

「どうだろうな」

「あの夜、ホウイチのテントでいっしょに寝たんだよね、こんなふうに」

「間に剣を置いてな」

「おかげで無事に本隊に合流できたんだよ。そのあと、わたし、お父さんにお願いしたんだ。ホウイチと同じ部隊に入れてほしいって」

「渋々認めてたな。純潔の誓いをゆめゆめ忘れるなって、オレにはうるさく言ってた」

「ふふふ。お父さん、三日三晩悩んだんだって」

「そりゃそうさ。オレと同じ部隊ってことは、一番危険な前線に立つってことだからな」

「それは心配してなかったよ、ホウイチがいるから。お父さんが気にしてたのは別のこと」


外からまた悲鳴が聞こえた。アンジェリクが身を縮める。

「見てくる」

「ここにいて」

「すぐ戻る」


オレは宿屋を出て様子を見にいった。ただの酔っぱらいだった。捕まえて、軽くぶん殴り、家に送り届けた。


宿に戻ると、アンジェリクはスースーと寝息を立てていた。布団をかけてやり、オレは剣を握って床に座って、目を閉じた。

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