ふたりぼっち惑星

@okara3okara

先輩と俺の、すこしふしぎな、夏休み

「こんな日はちょっと遠くに行きたいなー」

いつもの秘密基地の高台で、先輩は振り向いて言った。

たんぽぽのような派手な髪の毛が目に映る。

「行きたくない?」

返事をしなかったせいか、重ねて聞かれる。

窓の方に顔を向ける。

正直、こんないい天気に外に出るなんて疲れるだろう。断りたいが断れる訳もなく、ため息をついて、いいですよ、と言った。

やったーと呑気な声が聞こえる。

その声が嬉しそうだったから、まぁいいかと思って自転車を用意することにした。


「うひょーーー!」

五月蝿い声が背中の方から怒鳴り込んでくる。

先輩の腕の締め付けがキツすぎるせいか、いつもよりフラフラして、思考がおぼつかない。

口から色々出てしまいそうだ、そう先輩への恨みつらみとか。

俺はそれらを飲み込み、ハンドルのブレーキに何よりも集中することにした。

なぜならここでタイミングを間違えたら、ふたり諸共死んでしまう。

この歳で心中したなんて思われたら恥ずかしい。

しかもこんなド田舎の坂道が死に場所なんて、笑われてしまう。

男見せろよ!という先輩の口癖を脳髄に刻んで、めいっぱいブレーキを掴んだ。


「楽しかった〜」

ケラケラと笑いながら、腹を抱えてるこのアホになにか嫌味でも言いたかったが、どうせ嫌味が通じないので素直にもう二度とやらないという気持ちを伝えた。

「分かった、帰りは私がやる!」

それを聞いて、先輩はやる気に満ち溢れる顔になったが、俺は思わず顔を顰めてしまった。

先輩、自転車漕げるんですかと聞くと、そんなの出来るに決まってる!と啖呵を切られた。

その割にはいつも自転車を使いたがらない。

「ニケツの先頭ってバランス必要ですし、大体身長差わかって言ってるんですか」

と言うと、んー10センチくらい?ととぼけた返答をしてくる。

この人の眼球のレンズはずれているに違いない。

俺、180近いですよとため息混じりに言うと、ええ!と驚かれる。

こちとら成長期なんだからと思っていると、20センチくらい離れてんのか……と沈んだ声が聞こえる。なんで凹んでいる。

「前は私の方が大きかったのになぁ」

「いつの話をしてるんだ、あんた」

それは中学生になる直前の頃の話だろうが。


うーみーはひろいーな、おーおきーいなー。

ご機嫌に自転車を押しながら歌を歌っている。

俺がヘトヘトに疲れていたから、先輩が代わりに押してくれている。とても助かるが、元はと言えば先輩がまいた種だ。

先輩はちっとも疲れたような顔を見せない。

そういえば、マラソンのあともそんなに疲れていなかった化け物だということを思い出した。

元気すぎるのもどうかと思う。

「海まで行くつもりですか?」

今更聞くと、目と目が合う。

「海行きたくないの?」

質問を質問で返さないで欲しい。

でも確かに海に行きたくないわけじゃない。

「いいですよ」

と俺は言った。ここまでくれば、海の方が家より近い。

「どうせ俺らしかいませんし」

「それもそうだ」

先輩は笑って自転車を再び押し始めた。


案の定、海には俺らしかいなかった。

「紫だ」

先輩は小さな声で言った。

海は確かに紫色だった。

「どうして紫なんでしょう」

堤防付近の階段に腰掛けて言うと、先輩は苦笑いをした。

「文系だから、分からん」

笑って言っているのに、ひどく肩を落としているように見える。

「先輩、それしょっぱいですか」

「誰が舐めるか」

せっかくの海に来たので先輩に持論を展開する。

「きっと毒の海になったんですよ」

「ほうほう」

先輩は貝がらを集めて相槌を打った。

全然興味を持ってない。

「だって海の魚1匹もいませんよね」

「確かにいないなぁ」

遠く海を見つめる。水平線の向こうは紫というより濁った黒のように見えた。

「でもカニは生きてるし、貝もある」

先輩は両手でカニを捕まえて、こちらにカニの腹を見せつけてくる。なんと、グロテスク。

「毒ならとっくにお陀仏だ」

この人、お陀仏なんて言葉知ってるのかというところにジーンときた。

なんていう冗談は置いておいて、先輩の言う通り、毒の海ならカニも死んでしまうだろう。

「俺達が来る前に突然毒の海に変わったんですよ」

物知り顔でそう言うと呆れたような顔をされた。

「俺達が来る前のことなんて俺達にわかりますか」

「そりゃわからんけど」

カニをそっと海から遠くの砂場に置き、先輩は独り言のように言った。

「ぶどうの皮が煮詰まったのかもしれないし」

まさか海に?ぶどうの皮が煮詰まる?とは言わなかった。

「じゃあ海は甘酸っぱいですか」

と言っておいた。先輩は目を細めて

「だから絶対舐めんぞ」

と言った。俺だってぶどうの皮味の海なんてベタつきそうで嫌だと思った。


「今日も楽しかったなぁ」

自転車を押す先輩は嬉しそうに行った。

砂浜をただ歩いてカニを追いかけただけだったと思う。だけど先輩がつまらないと思うことなんてないのだと気づいた。

「よかったですね」

心からそう言うと、こちらを伺うように覗き込まれる。

「楽しかった?」

少し緊張しているように見えた。

「楽しかったですよ」

そう返すと、ニコニコしながら満足そうによかったと言った。

キーとブレーキの音が聞こえると、足を止める。

もう家が近いことはわかっていた。

「じゃあ また明日」

「はい また明日」

先輩から自転車を受け取って、互いにお辞儀をして解散した。

空は相変わらず赤かった。


***


8月32日とカレンダーに書き込んで、うーんと背を伸ばす。窓の外の空は赤い。いつも通りだ。

電話が突然鳴りだす。先輩からの着信だ。

「今日も秘密基地集合!」

うるさくて明るい先輩の声に安心しながら分かりましたと言った。

冷蔵庫の中を覗いてみる。中身は空。

出来るだけ食料を節約していたけれどもう限界なのかもしれない。

なんたって8月32日だと靴のかかとを直して俺は外に出た。


「おはよう!」

「おはようございます」

大きく手を振って挨拶をする先輩に聞いてみる。

「今日は何するんですか?」

「ずばりこの村から出ること!」

元気よく答える。

この先輩がずっと同じところにとどまっていられるなんて思っていなかったから、そろそろだろうと思っていた。

「私はもう荷物まとめたから、あとはお前の家に行く」

「電話口で言ってくれればよかったのに」

なんという二度手間なんだ。

先輩は言うの忘れてたと笑っている。

俺はため息をついて家に帰るハメになった。

家にある貴重品をとりあえず入れて、しっかり鍵をかけて家を出た。

1か月前に帰ってきて1ヶ月間ずっとあの家にいたのに、なんだかあまり寂しくなかった。

「さようなら」

小さく言って、待っている先輩の元へ歩いた。


バス停までの道にこの村唯一のスーパーがあるので、立ち寄ることにした。

人は無人で、クーラーが効いている。

中のクーラーボックスもきちんと稼働している。

だけど無人スーパーということに代わりはなかった。

賞味期限を確認して、袋に入れる。

これからどうなるのかわからないから、準備が必要だ。先輩も真剣な顔をして口数が少なくなっていた。

一応機能しているレジにバーコードを読み込ませ、お金を補充しておく。

こんな状況でなぜこんなことをするのか疑問だったが、先輩曰く監視カメラにとられているから、村のみんなにバレたらやばいということだった。

さすが、先輩。誰よりも目敏い。

「よし」

と気合を入れて荷物を持つ先輩から荷物を肩代わりして、俺達はスーパーから出た。


バス停は昔からボロボロだ。

「次のバスは~……2時間後!」

「意外と早いですね」

もっと遅いと思っていた。

とりあえず、ベンチに腰掛けて冷たい飲み物を飲むことにした。

「もう学校始まってるかな」

「そうですね」

もう8月32日。つまり9月1日だから、始まってるだろう。

「始業式でれなかったなぁ」

「出たかったんですか?」

「いや、全然」

それでも、出れないとなると寂しいなと先輩は大きく伸びをした。

空が赤くて海は紫で、雨が降らない。

そんなのがずっと1ヶ月間も続いていたのだ。

俺はなんとなく諦めていたけど、やるせなくなる気持ちも十分理解できた。

先輩は寝息を立て始めた。俺はぼうっと赤い空を眺めていた。そういえば鳥をずっと見ていないことを考えながら。


「先輩、起きてください」

「……うぅ」

呻く先輩に伝える。

「バス、来ましたよ」

「えぇっ!」

今まで1番目覚めよく起きた先輩は、慌てて俺を急かし、バスに飛び乗った。

そんなに焦らなくていいと思った。

「あれっ……?これどういうこと?」

何かのドッキリ?と青ざめている先輩にドッキリじゃないですよ、と言った。

本当に先輩がいてくれてよかった。

1人でこんな変なところにいたら気が狂っていただろう。

「無人バスです」

俺は整理券を先輩に渡して、席に座るよう促す。

『 アラタ村 発車します。つぎは 』

前も聞いたことがあるアナウンスだ。

だけど、運転手がいないバスなんてのは初めてだった。


「まさかバスが無人で動くとは……」

「無人スーパー、あったじゃないですか」

「それは何となく分かってたから」

バスの方は来ないんじゃないかと思っていたから、盲点だった、と先輩は言った。

そんな先輩に不安を吐露した。

「本当に村から出れるんでしょうか」

「もうなるようになーる」

先輩は気を取り直したように、お腹減ってないのかとチョコレートを渡される。

お腹なんて減っていなかったけどもったいないから受け取って食べた。

久しぶりの甘い味がした。

バスに乗ったからといって外の景色が大きく変わるわけではなかった。

空は赤いのに、木々は青々しく茂っていた。


バスがたどり着いたのは、俺らの村のバス停。

つまり、最初のバス停に着いたということ。

「出れないってことですよね」

「そうなるな~」

整理券を受け取り口に入れて、バスから出る。

村を1周したのに値段はタダ。

このバスに乗って再確認したことは、この村には僕ら2人以外いなくなっているということだ。

「歩こう」

先輩は落ち着いて言った。

どこに、とは聞かなかった。

先輩の背中の後を歩き始める。先輩がどこか遠くにあるように思えた。


「こんな近くにあったなんて」

と言う先輩に俺は頷く。

こんな近道があったならあんな無茶なんてしなくて良かったのだ。

先輩は眉を八の字にして笑って、嫌そうな顔をするなよと言った。

「楽しかっただろ」

確かに、不本意だが、楽しかった。

とても夏っぽいことができたと思った。

でも今はなんだか違う。

この焦るような気持ちは上手く言葉にできない。

「先輩」

どうしたらいいのかよく分からないから、先輩を呼ぶ。

俺が見る先輩の横顔は、あまりに無表情で、感情が読み取れなかった。この人はこんな表情をする人だっただろうか。

先輩は鼻歌を歌い、しゃがみこみ、何かをつかんだ。

そして野球選手ばりの投球フォームで、投げた。

何を投げたのか、それは宙を舞い、海の中へと落ちた。

と思った。

何かを投げたのだから落ちる。

そうなると思ったのに、それは消えてしまった。

はっきりと見えた。海に触れる前にそれがなくなってしまっていた。

慌てて俺も足元にある石を海に投げる。

石は落ちたけれど、海には落ちなかった。

海に触れる前に消えてしまった。

その証拠に海に波紋が無い。

「もしかして、毒の海って触ると蒸発するの」

先輩はひきつりながら俺に聞いた。

「見たことないんで分かりません」

そう答えるので精一杯だった。


「状況整理ー!」

先輩は大きな声で叫んだ。

手に鉛筆を握っている。

それを使うは俺なのだと思うと気が滅入った。先輩から鉛筆を渡されるので、粛々と受け取る。

「まず私たちが村に帰ってきた日から、村の人が誰もいないということ!」

と先輩が言う言葉を俺は書き込んでいった。


「で、だいたい言ったけど上手くまとまった?」

先輩はゼェゼェと肩で息をしている。

わざわざ運動会の宣誓のような大声で言わなくてよかったのに、と思う。でも面白かったからそのままにしていた。

「そこそこまとめましたよ」

と言って、先輩に見せる。


8月1日

家に帰ってくると家族が誰もいないということに気づく。

手当り次第電話をかけようとしたが繋がらず、スマホは充電しても電源が入らなかった。

空が赤い。


8月1日から8月3日

2日間村を歩き回ったけれど誰もいない。

電気は通っていたので、諦めることにした。


8月4日から8月8日

俺の家でDVDを見続けた。


8月9日から8月11日

山篭りをした。


8月12日から8月15日

秘密基地で漫画を読んだ。


8月16日から8月18日

秘密基地で宿題をやった。


8月19日から8月20日

小学校を見に行って遊んだ。


8月21日から8月22日

中学校で泊まった。


8月23日

秘密基地で昼寝した。


8月24日から8月26日

タイムカプセルを探した。

見つからなかった。


8月27日

2人で料理大会をした。


8月28日

2人で花火大会をした。


8月29日から8月30日

秘密基地で昼寝した。


8月31日

海を見に行った。

海は紫だった。


これを読んだ先輩の一言。

「ろくなことしていない」

俺も同意見だった。

こんなことをして貴重な学生時代の夏休みを浪費した。やるせない気持ちになったけれど仕方ない。これが俺たちの夏だったのだ。


「村の外に行く道、無くなってた」

先輩は砂浜に寝そべって言った。

「さっきのバスは村の外周を回ってただけ」

すでに村の外に行く道は無くなったということだ。

「村から出るにはもう海を泳ぐしかないと思った、けれど蒸発するとなると、もう」

先輩は言葉を詰まらせる。

先輩も俺も何となくわかっていたのだ。

この村に誰もいないと気づき、空が赤いと思った時、これはもう青い空を見れないのだと。

だから、考えることを放棄してこの休みを満喫した。考えたってこの状況を打破することはできないと悟ってさえいた。

でも、もう8月32日。9月1日なのだ、今日は。


「これからどうする?」

先輩が俺に尋ねる。

そんなこと今までほとんどなかった。

先輩が全部決めていたからだ。

それに相槌を打てばよかった。

それだけで先輩と俺は完結していた。

「いきましょう」

先輩の手を握って言った。

「何時になるかわかりませんけど、ここで死んでやるくらい、いきましょう」

先輩の手は冷たくて、震えていた。


仰向けになったけど空は青くならない。

先輩は浅い呼吸を繰り返している。

胸の上下運動を見るに、また眠ってしまったようだ。昔からよく遊んで眠る人だから、別におかしくない。

それにしてもねすぎじゃないかと思っていると、波の音がだんだん近くなっていることに気づいた。

慌てて起き上がってみると、波が先ほどより近づいている。

満潮、という言葉が頭によぎった。

このままでは二人一緒に蒸発してしまう。

先輩を担いで、堤防の階段を上がる。

寝ている人を担ぐのは一苦労だった。

海の様子を堤防から見下ろすと、何か別の生き物に見えて気持ち悪い。

そんな紫で黒い海がきらりと光った気がした。

不審に思い、よく目を凝らして見てみると、瓶のようなものが浮かんでいた。

おかしい。

あの海触れたら、蒸発してしまうのではなかったのか。何故、ガラスの瓶が浮かんでいられる?

とりあえず石を入れると、やはり蒸発してしまった。

分からない。

とりあえず引き潮になるのを待つことにした。


引き潮になり、浜辺にきらりと光るガラスの瓶が埋め込まれている。

とりあえずハンカチを通してつまむと簡単に掴めた。

中には、手紙が入っているようだ。

ボトルメールというやつを思い出した。

先輩と一緒に読もうと起こしたけれど、起きそうにない。とりあえず今は諦めて、内容を後で報告しようと思った。

意を決して瓶を開ける。瓶は思ったよりも簡単に開いた。


『はじめまして』


人に書かれた文字ではなく、タイピングで打ち込まれた文字のようだ。


『約1ヶ月の滞在お疲れ様です。

そろそろ始まる頃だと思いましたので、このボトルメールを送らせて頂きました。

私たちからあなたたちにコンタクトを取るためにはこのような古典的な方法しかありませんでした。遅くなり、申し訳ありません───』


『あなたは、この街に帰ってきてからの記憶、正確には20××の8月1日の記憶を持っていますか。持っていたら、チェックを入れてください』


チェックを入れようとしてペンを握ったはずだった。なのに、うごかない。

どんなに手に力を入れても動かないので、諦めて次の項目に目を通す。


『この約1ヶ月間で、何か違和感を抱きましたか?

抱いた場合、チェックを入れてください。

また何が違和感だったのか記述もお願いします』


今度の項目は、ペンがきちんと動いた。

・空が赤い

・人がいない

・海が紫

と箇条書きもすることが出来た。


質問はまだまだ続き、自分が思ったように記入していく。

急かされるように埋めていくと、ようやく終わりにたどり着いた。安心して大きく息を吐く。


『アンケートへのご協力ありがとうございました。再びボトルに入れて海に投げてください』


言われたように、というより書かれたようにボトルを海へと返した。


本当にこれでいいのか、間違っているんじゃないかと思わずにはいられない。漠然とした不安が襲っていた。何かとんでもないことをしている。先輩はまだ目覚めない。


『 回答が受理されました。お疲れ様です。

仮想世界 01の試運転を終了し、仮想世界 01の消去を開始します 』


それはバスの中で聞いたアナウンスと全く一緒だった。見上げると赤い空がモザイクで覆い隠され始める。そこからえぐれたように何も無い空間が広がっていた。

その部分はゲームのバグのように消えてしまった。

そして、ものすごいスピードでモザイクが繁殖し、自分の体に飛来し、そして、横たわる体にも感染する。

思わず近づこうと、足を動かしたけれどもうモザイクに犯され、なくなってしまった。

口はまだ動く。

「せんぱ」

これが遺言。

目の前は何も無くなり、暗転して消えてなくなった。

これこそが俺らの1ヶ月の最後だった。


***


目を開くと今までの記憶がみえた、きがした。

これが走馬灯なのだろうか。

それともこれが死後の世界なのかもしれない。

なんせ体の感覚が全くないという状況が初めてだから分からない。

とりあえず、今までではありえない状況ということが分かった。

今視界に写っているのは、バスから降りる俺と先輩の姿だった。何か会話している。

「───着いた!私────!」

「あほな────でさっさ────」

「はーい」

ノイズが入って聞き取りにくいがこれはいつも通りの会話だ。

もっと会話の続きを聞いてみる。

「超久しぶりだけど────たち元気かな?」

「連絡────大丈夫じゃないですか」

「お土産買ってきといて────」

「────買ってこなきゃ行けないのか────ですよね」

「まぁまぁ」

この会話は、間違いない。

今年の8月1日、二人で帰省している時だ。

嫌なものを見せられている気持ちになってきた。

なんで今更こんなものを見ているのだろう。

確かこの後にこの街の全てが発覚するのだ。


8月1日

・家に帰ってくると家族が誰もいないということに気づく。

・手当り次第電話をかけようとしたが繋がらず、スマホは充電しても電源が入らなかった。

・空が赤い。


先程箇条書きにした文章が脳裏をチラつく。

目の前の映像もその通りに筋道を立てて進んでいくのだろうと思っていた。


「せっかく早めに着いたし秘密基地行こう!」

先輩が妙なことを口走ったことに気づいた。

「家についてからで良くないっすか」

「これから毎日通うことになるんだから、掃除しときたいじゃん」

「……明日で良くないですか」

「後回しにしない!」

ほら、早くと急かされて2回目の俺は秘密基地に向かった。


おかしい。

箇条書きにはこんな事、書いていない。

帰ってきて直ぐに秘密基地に向かったのだろうか。記憶にあるメモを手掛かりに考えると、ノイズがかかったかのように動けなくなった。

俺達が家に帰ってくると家族が誰もいないということに気づく。

俺達はまだ街には誰もいないことにまだ気づいていない。

俺達が帰ってきた時点で無人だった訳ではなく、俺達が家の中を見た時、無人になったのではないか。

空を見る。

空は、青かった。

夏の空が目の前に広がっていた。

冷汗のようなものが背中を通り過ぎるのがわかった。


秘密基地にたどり着いた。

2人は相変わらす会話を続けている。

1か月前の秘密基地を見る。

1ヶ月間通っていた時と何も変わらない。

何も変わらないのに2人は懐かしさに浸っていた。

1ヶ月しか経っていないのに浦島太郎のような気持ちになってしまう。

物悲しさに打ちひしがれながら、周囲に目を凝らした。

きっとここで何かあったから、俺達は無人の村で暮らすことになったのだ。

見極めなければならない。

先輩が秘密基地に駆け寄る。

もう1人の俺も慌てて追いかける。

そして俺はゆっくり後ろを歩いていた。

その時だった。

秘密基地の中に人影が見えたのは。

声を出すよりも目まぐるしく状況は動いた。

人影は驚いたように飛びのき、先輩も気づいて止まろうとしたけれど止まれなかった。

酷い鈍い音が響いたからだ。

自分の意思で立ち止まれず、無理やり行動をやめさせられた先輩は倒れ込んだ。

そこには、赤い液体が見えた、ような。

そう思うと体が頭がカッと熱く焼き切れた。

許されないと思った。

怒りが体を支配した。

事を思い出した。

何かしようとしている黒い人影を殴りつけた。

助走をつけたまま殴り込んだといった方が正しい。もう1人の俺の表情を見た。

先輩には一生見られたくない顔だと思った。

そして俺は後ろから誰かに殴られ意識を失った。

ころしてやる。

そんな想いでにらみつけながら、起きることは無かった。


空が赤くて人がいない村よりも、空が青くて人がいるこの村が、きっと現実だ。

何故こんなことを忘れていたのか分からないけれど終わりがこんな形だなんて、理解は出来ないけれど納得はした。

この一ヶ月間世界に隕石が落ちてきたり、世界が滅んだり、俺たちしか生きてなかったりするのではないかとずっと漠然と思っていた。

そんな不安と願望を織り交ぜて生きた1ヶ月間。

俺達は死んでいたのだと思うとなんとも言えなかった。

急に眠気が襲ってきて、たちくらみをする。

死んでいることを自覚したせいで眠くなるだなんて人の体は単純だ。

嘆きも悲しくもなく俺はただ願っていた。

先輩に会えますように、と。

死後の世界に期待している訳では無いけれど、一目だけでも見たかった。

笑いかけて欲しかった。

***

機械音が耳障りだった。

ピコピコだけならまだしも、たくさんの音の不協和音は不快にさせる。

心地よく眠っていたのに何なのだろう。

そう思い瞳を開けてみようとしたが、まったく動かなかった。

重石を置かれている半紙の気分だ。

やっとの思いで目を開けると眩しすぎてまた再び閉じたくなった。

とりあえず慣れると、何が見えているのか分かってきた。

白い病室のような部屋にいて、自分は寝たきり。

見知らぬ人が驚いて固まっている。

「たっ橘さん!」

きっと自分の名前が呼ばれているのだろう。

口の動きがそのようだし、服がナース服のようだった。

どこかに入院しているのだろうか。

女の人はあわてて外へ出て行った。

誰かを先生を呼びに行ったのだろう。

瞬きをする度眠気が襲ってくる。

ダメだ、起きていないと思い、唇を噛もうとすると力が入らない。

動かなかっ「こんな日はちょっと遠くに行きたいなー」

いつもの秘密基地の高台で、先輩は振り向いて言った。

たんぽぽのような派手な髪の毛が目に映る。

「行きたくない?」

返事をしなかったせいか、重ねて聞かれる。

窓の方に顔を向ける。

正直、こんないい天気に外に出るなんて疲れるだろう。断りたいが断れる訳もなく、ため息をついて、いいですよ、と言った。

やったーと呑気な声が聞こえる。

その声が嬉しそうだったから、まぁいいかと思って自転車を用意することにした。


「うひょーーー!」

五月蝿い声が背中の方から怒鳴り込んでくる。

先輩の腕の締め付けがキツすぎるせいか、いつもよりフラフラして、思考がおぼつかない。

口から色々出てしまいそうだ、そう先輩への恨みつらみとか。

俺はそれらを飲み込み、ハンドルのブレーキに何よりも集中することにした。

なぜならここでタイミングを間違えたら、ふたり諸共死んでしまう。

この歳で心中したなんて思われたら恥ずかしい。

しかもこんなド田舎の坂道が死に場所なんて、笑われてしまう。

男見せろよ!という先輩の口癖を脳髄に刻んで、めいっぱいブレーキを掴んだ。


「楽しかった〜」

ケラケラと笑いながら、腹を抱えてるこのアホになにか嫌味でも言いたかったが、どうせ嫌味が通じないので素直にもう二度とやらないという気持ちを伝えた。

「分かった、帰りは私がやる!」

それを聞いて、先輩はやる気に満ち溢れる顔になったが、俺は思わず顔を顰めてしまった。

先輩、自転車漕げるんですかと聞くと、そんなの出来るに決まってる!と啖呵を切られた。

その割にはいつも自転車を使いたがらない。

「ニケツの先頭ってバランス必要ですし、大体身長差わかって言ってるんですか」

と言うと、んー10センチくらい?ととぼけた返答をしてくる。

この人の眼球のレンズはずれているに違いない。

俺、180近いですよとため息混じりに言うと、ええ!と驚かれる。

こちとら成長期なんだからと思っていると、20センチくらい離れてんのか……と沈んだ声が聞こえる。なんで凹んでいる。

「前は私の方が大きかったのになぁ」

「いつの話をしてるんだ、あんた」

それは中学生になる直前の頃の話だろうが。


うーみーはひろいーな、おーおきーいなー。

ご機嫌に自転車を押しながら歌を歌っている。

俺がヘトヘトに疲れていたから、先輩が代わりに押してくれている。とても助かるが、元はと言えば先輩がまいた種だ。

先輩はちっとも疲れたような顔を見せない。

そういえば、マラソンのあともそんなに疲れていなかった化け物だということを思い出した。

元気すぎるのもどうかと思う。

「海まで行くつもりですか?」

今更聞くと、目と目が合う。

「海行きたくないの?」

質問を質問で返さないで欲しい。

でも確かに海に行きたくないわけじゃない。

「いいですよ」

と俺は言った。ここまでくれば、海の方が家より近い。

「どうせ俺らしかいませんし」

「それもそうだ」

先輩は笑って自転車を再び押し始めた。


案の定、海には俺らしかいなかった。

「紫だ」

先輩は小さな声で言った。

海は確かに紫色だった。

「どうして紫なんでしょう」

堤防付近の階段に腰掛けて言うと、先輩は苦笑いをした。

「文系だから、分からん」

笑って言っているのに、ひどく肩を落としているように見える。

「先輩、それしょっぱいですか」

「誰が舐めるか」

せっかくの海に来たので先輩に持論を展開する。

「きっと毒の海になったんですよ」

「ほうほう」

先輩は貝がらを集めて相槌を打った。

全然興味を持ってない。

「だって海の魚1匹もいませんよね」

「確かにいないなぁ」

遠く海を見つめる。水平線の向こうは紫というより濁った黒のように見えた。

「でもカニは生きてるし、貝もある」

先輩は両手でカニを捕まえて、こちらにカニの腹を見せつけてくる。なんと、グロテスク。

「毒ならとっくにお陀仏だ」

この人、お陀仏なんて言葉知ってるのかというところにジーンときた。

なんていう冗談は置いておいて、先輩の言う通り、毒の海ならカニも死んでしまうだろう。

「俺達が来る前に突然毒の海に変わったんですよ」

物知り顔でそう言うと呆れたような顔をされた。

「俺達が来る前のことなんて俺達にわかりますか」

「そりゃわからんけど」

カニをそっと海から遠くの砂場に置き、先輩は独り言のように言った。

「ぶどうの皮が煮詰まったのかもしれないし」

まさか海に?ぶどうの皮が煮詰まる?とは言わなかった。

「じゃあ海は甘酸っぱいですか」

と言っておいた。先輩は目を細めて

「だから絶対舐めんぞ」

と言った。俺だってぶどうの皮味の海なんてベタつきそうで嫌だと思った。


「今日も楽しかったなぁ」

自転車を押す先輩は嬉しそうに行った。

砂浜をただ歩いてカニを追いかけただけだったと思う。だけど先輩がつまらないと思うことなんてないのだと気づいた。

「よかったですね」

心からそう言うと、こちらを伺うように覗き込まれる。

「楽しかった?」

少し緊張しているように見えた。

「楽しかったですよ」

そう返すと、ニコニコしながら満足そうによかったと言った。

キーとブレーキの音が聞こえると、足を止める。

もう家が近いことはわかっていた。

「じゃあ また明日」

「はい また明日」

先輩から自転車を受け取って、互いにお辞儀をして解散した。

空は相変わらず赤かった。


***


8月32日とカレンダーに書き込んで、うーんと背を伸ばす。窓の外の空は赤い。いつも通りだ。

電話が突然鳴りだす。先輩からの着信だ。

「今日も秘密基地集合!」

うるさくて明るい先輩の声に安心しながら分かりましたと言った。

冷蔵庫の中を覗いてみる。中身は空。

出来るだけ食料を節約していたけれどもう限界なのかもしれない。

なんたって8月32日だと靴のかかとを直して俺は外に出た。


「おはよう!」

「おはようございます」

大きく手を振って挨拶をする先輩に聞いてみる。

「今日は何するんですか?」

「ずばりこの村から出ること!」

元気よく答える。

この先輩がずっと同じところにとどまっていられるなんて思っていなかったから、そろそろだろうと思っていた。

「私はもう荷物まとめたから、あとはお前の家に行く」

「電話口で言ってくれればよかったのに」

なんという二度手間なんだ。

先輩は言うの忘れてたと笑っている。

俺はため息をついて家に帰るハメになった。

家にある貴重品をとりあえず入れて、しっかり鍵をかけて家を出た。

1か月前に帰ってきて1ヶ月間ずっとあの家にいたのに、なんだかあまり寂しくなかった。

「さようなら」

小さく言って、待っている先輩の元へ歩いた。


バス停までの道にこの村唯一のスーパーがあるので、立ち寄ることにした。

人は無人で、クーラーが効いている。

中のクーラーボックスもきちんと稼働している。

だけど無人スーパーということに代わりはなかった。

賞味期限を確認して、袋に入れる。

これからどうなるのかわからないから、準備が必要だ。先輩も真剣な顔をして口数が少なくなっていた。

一応機能しているレジにバーコードを読み込ませ、お金を補充しておく。

こんな状況でなぜこんなことをするのか疑問だったが、先輩曰く監視カメラにとられているから、村のみんなにバレたらやばいということだった。

さすが、先輩。誰よりも目敏い。

「よし」

と気合を入れて荷物を持つ先輩から荷物を肩代わりして、俺達はスーパーから出た。


バス停は昔からボロボロだ。

「次のバスは~……2時間後!」

「意外と早いですね」

もっと遅いと思っていた。

とりあえず、ベンチに腰掛けて冷たい飲み物を飲むことにした。

「もう学校始まってるかな」

「そうですね」

もう8月32日。つまり9月1日だから、始まってるだろう。

「始業式でれなかったなぁ」

「出たかったんですか?」

「いや、全然」

それでも、出れないとなると寂しいなと先輩は大きく伸びをした。

空が赤くて海は紫で、雨が降らない。

そんなのがずっと1ヶ月間も続いていたのだ。

俺はなんとなく諦めていたけど、やるせなくなる気持ちも十分理解できた。

先輩は寝息を立て始めた。俺はぼうっと赤い空を眺めていた。そういえば鳥をずっと見ていないことを考えながら。


「先輩、起きてください」

「……うぅ」

呻く先輩に伝える。

「バス、来ましたよ」

「えぇっ!」

今まで1番目覚めよく起きた先輩は、慌てて俺を急かし、バスに飛び乗った。

そんなに焦らなくていいと思った。

「あれっ……?これどういうこと?」

何かのドッキリ?と青ざめている先輩にドッキリじゃないですよ、と言った。

本当に先輩がいてくれてよかった。

1人でこんな変なところにいたら気が狂っていただろう。

「無人バスです」

俺は整理券を先輩に渡して、席に座るよう促す。

『 アラタ村 発車します。つぎは 』

前も聞いたことがあるアナウンスだ。

だけど、運転手がいないバスなんてのは初めてだった。


「まさかバスが無人で動くとは……」

「無人スーパー、あったじゃないですか」

「それは何となく分かってたから」

バスの方は来ないんじゃないかと思っていたから、盲点だった、と先輩は言った。

そんな先輩に不安を吐露した。

「本当に村から出れるんでしょうか」

「もうなるようになーる」

先輩は気を取り直したように、お腹減ってないのかとチョコレートを渡される。

お腹なんて減っていなかったけどもったいないから受け取って食べた。

久しぶりの甘い味がした。

バスに乗ったからといって外の景色が大きく変わるわけではなかった。

空は赤いのに、木々は青々しく茂っていた。


バスがたどり着いたのは、俺らの村のバス停。

つまり、最初のバス停に着いたということ。

「出れないってことですよね」

「そうなるな~」

整理券を受け取り口に入れて、バスから出る。

村を1周したのに値段はタダ。

このバスに乗って再確認したことは、この村には僕ら2人以外いなくなっているということだ。

「歩こう」

先輩は落ち着いて言った。

どこに、とは聞かなかった。

先輩の背中の後を歩き始める。先輩がどこか遠くにあるように思えた。


「こんな近くにあったなんて」

と言う先輩に俺は頷く。

こんな近道があったならあんな無茶なんてしなくて良かったのだ。

先輩は眉を八の字にして笑って、嫌そうな顔をするなよと言った。

「楽しかっただろ」

確かに、不本意だが、楽しかった。

とても夏っぽいことができたと思った。

でも今はなんだか違う。

この焦るような気持ちは上手く言葉にできない。

「先輩」

どうしたらいいのかよく分からないから、先輩を呼ぶ。

俺が見る先輩の横顔は、あまりに無表情で、感情が読み取れなかった。この人はこんな表情をする人だっただろうか。

先輩は鼻歌を歌い、しゃがみこみ、何かをつかんだ。

そして野球選手ばりの投球フォームで、投げた。

何を投げたのか、それは宙を舞い、海の中へと落ちた。

と思った。

何かを投げたのだから落ちる。

そうなると思ったのに、それは消えてしまった。

はっきりと見えた。海に触れる前にそれがなくなってしまっていた。

慌てて俺も足元にある石を海に投げる。

石は落ちたけれど、海には落ちなかった。

海に触れる前に消えてしまった。

その証拠に海に波紋が無い。

「もしかして、毒の海って触ると蒸発するの」

先輩はひきつりながら俺に聞いた。

「見たことないんで分かりません」

そう答えるので精一杯だった。


「状況整理ー!」

先輩は大きな声で叫んだ。

手に鉛筆を握っている。

それを使うは俺なのだと思うと気が滅入った。先輩から鉛筆を渡されるので、粛々と受け取る。

「まず私たちが村に帰ってきた日から、村の人が誰もいないということ!」

と先輩が言う言葉を俺は書き込んでいった。


「で、だいたい言ったけど上手くまとまった?」

先輩はゼェゼェと肩で息をしている。

わざわざ運動会の宣誓のような大声で言わなくてよかったのに、と思う。でも面白かったからそのままにしていた。

「そこそこまとめましたよ」

と言って、先輩に見せる。


8月1日

家に帰ってくると家族が誰もいないということに気づく。

手当り次第電話をかけようとしたが繋がらず、スマホは充電しても電源が入らなかった。

空が赤い。


8月1日から8月3日

2日間村を歩き回ったけれど誰もいない。

電気は通っていたので、諦めることにした。


8月4日から8月8日

俺の家でDVDを見続けた。


8月9日から8月11日

山篭りをした。


8月12日から8月15日

秘密基地で漫画を読んだ。


8月16日から8月18日

秘密基地で宿題をやった。


8月19日から8月20日

小学校を見に行って遊んだ。


8月21日から8月22日

中学校で泊まった。


8月23日

秘密基地で昼寝した。


8月24日から8月26日

タイムカプセルを探した。

見つからなかった。


8月27日

2人で料理大会をした。


8月28日

2人で花火大会をした。


8月29日から8月30日

秘密基地で昼寝した。


8月31日

海を見に行った。

海は紫だった。


これを読んだ先輩の一言。

「ろくなことしていない」

俺も同意見だった。

こんなことをして貴重な学生時代の夏休みを浪費した。やるせない気持ちになったけれど仕方ない。これが俺たちの夏だったのだ。


「村の外に行く道、無くなってた」

先輩は砂浜に寝そべって言った。

「さっきのバスは村の外周を回ってただけ」

すでに村の外に行く道は無くなったということだ。

「村から出るにはもう海を泳ぐしかないと思った、けれど蒸発するとなると、もう」

先輩は言葉を詰まらせる。

先輩も俺も何となくわかっていたのだ。

この村に誰もいないと気づき、空が赤いと思った時、これはもう青い空を見れないのだと。

だから、考えることを放棄してこの休みを満喫した。考えたってこの状況を打破することはできないと悟ってさえいた。

でも、もう8月32日。9月1日なのだ、今日は。


「これからどうする?」

先輩が俺に尋ねる。

そんなこと今までほとんどなかった。

先輩が全部決めていたからだ。

それに相槌を打てばよかった。

それだけで先輩と俺は完結していた。

「いきましょう」

先輩の手を握って言った。

「何時になるかわかりませんけど、ここで死んでやるくらい、いきましょう」

先輩の手は冷たくて、震えていた。


仰向けになったけど空は青くならない。

先輩は浅い呼吸を繰り返している。

胸の上下運動を見るに、また眠ってしまったようだ。昔からよく遊んで眠る人だから、別におかしくない。

それにしてもねすぎじゃないかと思っていると、波の音がだんだん近くなっていることに気づいた。

慌てて起き上がってみると、波が先ほどより近づいている。

満潮、という言葉が頭によぎった。

このままでは二人一緒に蒸発してしまう。

先輩を担いで、堤防の階段を上がる。

寝ている人を担ぐのは一苦労だった。

海の様子を堤防から見下ろすと、何か別の生き物に見えて気持ち悪い。

そんな紫で黒い海がきらりと光った気がした。

不審に思い、よく目を凝らして見てみると、瓶のようなものが浮かんでいた。

おかしい。

あの海触れたら、蒸発してしまうのではなかったのか。何故、ガラスの瓶が浮かんでいられる?

とりあえず石を入れると、やはり蒸発してしまった。

分からない。

とりあえず引き潮になるのを待つことにした。


引き潮になり、浜辺にきらりと光るガラスの瓶が埋め込まれている。

とりあえずハンカチを通してつまむと簡単に掴めた。

中には、手紙が入っているようだ。

ボトルメールというやつを思い出した。

先輩と一緒に読もうと起こしたけれど、起きそうにない。とりあえず今は諦めて、内容を後で報告しようと思った。

意を決して瓶を開ける。瓶は思ったよりも簡単に開いた。


『はじめまして』


人に書かれた文字ではなく、タイピングで打ち込まれた文字のようだ。


『約1ヶ月の滞在お疲れ様です。

そろそろ始まる頃だと思いましたので、このボトルメールを送らせて頂きました。

私たちからあなたたちにコンタクトを取るためにはこのような古典的な方法しかありませんでした。遅くなり、申し訳ありません───』


『あなたは、この街に帰ってきてからの記憶、正確には20××の8月1日の記憶を持っていますか。持っていたら、チェックを入れてください』


チェックを入れようとしてペンを握ったはずだった。なのに、うごかない。

どんなに手に力を入れても動かないので、諦めて次の項目に目を通す。


『この約1ヶ月間で、何か違和感を抱きましたか?

抱いた場合、チェックを入れてください。

また何が違和感だったのか記述もお願いします』


今度の項目は、ペンがきちんと動いた。

・空が赤い

・人がいない

・海が紫

と箇条書きもすることが出来た。


質問はまだまだ続き、自分が思ったように記入していく。

急かされるように埋めていくと、ようやく終わりにたどり着いた。安心して大きく息を吐く。


『アンケートへのご協力ありがとうございました。再びボトルに入れて海に投げてください』


言われたように、というより書かれたようにボトルを海へと返した。


本当にこれでいいのか、間違っているんじゃないかと思わずにはいられない。漠然とした不安が襲っていた。何かとんでもないことをしている。先輩はまだ目覚めない。


『 回答が受理されました。お疲れ様です。

仮想世界 01の試運転を終了し、仮想世界 01の消去を開始します 』


それはバスの中で聞いたアナウンスと全く一緒だった。見上げると赤い空がモザイクで覆い隠され始める。そこからえぐれたように何も無い空間が広がっていた。

その部分はゲームのバグのように消えてしまった。

そして、ものすごいスピードでモザイクが繁殖し、自分の体に飛来し、そして、横たわる体にも感染する。

思わず近づこうと、足を動かしたけれどもうモザイクに犯され、なくなってしまった。

口はまだ動く。

「せんぱ」

これが遺言。

目の前は何も無くなり、暗転して消えてなくなった。

これこそが俺らの1ヶ月の最後だった。


***


目を開くと今までの記憶がみえた、きがした。

これが走馬灯なのだろうか。

それともこれが死後の世界なのかもしれない。

なんせ体の感覚が全くないという状況が初めてだから分からない。

とりあえず、今までではありえない状況ということが分かった。

今視界に写っているのは、バスから降りる俺と先輩の姿だった。何か会話している。

「───着いた!私────!」

「あほな────でさっさ────」

「はーい」

ノイズが入って聞き取りにくいがこれはいつも通りの会話だ。

もっと会話の続きを聞いてみる。

「超久しぶりだけど────たち元気かな?」

「連絡────大丈夫じゃないですか」

「お土産買ってきといて────」

「────買ってこなきゃ行けないのか────ですよね」

「まぁまぁ」

この会話は、間違いない。

今年の8月1日、二人で帰省している時だ。

嫌なものを見せられている気持ちになってきた。

なんで今更こんなものを見ているのだろう。

確かこの後にこの街の全てが発覚するのだ。


8月1日

・家に帰ってくると家族が誰もいないということに気づく。

・手当り次第電話をかけようとしたが繋がらず、スマホは充電しても電源が入らなかった。

・空が赤い。


先程箇条書きにした文章が脳裏をチラつく。

目の前の映像もその通りに筋道を立てて進んでいくのだろうと思っていた。


「せっかく早めに着いたし秘密基地行こう!」

先輩が妙なことを口走ったことに気づいた。

「家についてからで良くないっすか」

「これから毎日通うことになるんだから、掃除しときたいじゃん」

「……明日で良くないですか」

「後回しにしない!」

ほら、早くと急かされて2回目の俺は秘密基地に向かった。


おかしい。

箇条書きにはこんな事、書いていない。

帰ってきて直ぐに秘密基地に向かったのだろうか。記憶にあるメモを手掛かりに考えると、ノイズがかかったかのように動けなくなった。

俺達が家に帰ってくると家族が誰もいないということに気づく。

俺達はまだ街には誰もいないことにまだ気づいていない。

俺達が帰ってきた時点で無人だった訳ではなく、俺達が家の中を見た時、無人になったのではないか。

空を見る。

空は、青かった。

夏の空が目の前に広がっていた。

冷汗のようなものが背中を通り過ぎるのがわかった。


秘密基地にたどり着いた。

2人は相変わらす会話を続けている。

1か月前の秘密基地を見る。

1ヶ月間通っていた時と何も変わらない。

何も変わらないのに2人は懐かしさに浸っていた。

1ヶ月しか経っていないのに浦島太郎のような気持ちになってしまう。

物悲しさに打ちひしがれながら、周囲に目を凝らした。

きっとここで何かあったから、俺達は無人の村で暮らすことになったのだ。

見極めなければならない。

先輩が秘密基地に駆け寄る。

もう1人の俺も慌てて追いかける。

そして俺はゆっくり後ろを歩いていた。

その時だった。

秘密基地の中に人影が見えたのは。

声を出すよりも目まぐるしく状況は動いた。

人影は驚いたように飛びのき、先輩も気づいて止まろうとしたけれど止まれなかった。

酷い鈍い音が響いたからだ。

自分の意思で立ち止まれず、無理やり行動をやめさせられた先輩は倒れ込んだ。

そこには、赤い液体が見えた、ような。

そう思うと体が頭がカッと熱く焼き切れた。

許されないと思った。

怒りが体を支配した。

事を思い出した。

何かしようとしている黒い人影を殴りつけた。

助走をつけたまま殴り込んだといった方が正しい。もう1人の俺の表情を見た。

先輩には一生見られたくない顔だと思った。

そして俺は後ろから誰かに殴られ意識を失った。

ころしてやる。

そんな想いでにらみつけながら、起きることは無かった。


空が赤くて人がいない村よりも、空が青くて人がいるこの村が、きっと現実だ。

何故こんなことを忘れていたのか分からないけれど終わりがこんな形だなんて、理解は出来ないけれど納得はした。

この一ヶ月間世界に隕石が落ちてきたり、世界が滅んだり、俺たちしか生きてなかったりするのではないかとずっと漠然と思っていた。

そんな不安と願望を織り交ぜて生きた1ヶ月間。

俺達は死んでいたのだと思うとなんとも言えなかった。

急に眠気が襲ってきて、たちくらみをする。

死んでいることを自覚したせいで眠くなるだなんて人の体は単純だ。

嘆きも悲しくもなく俺はただ願っていた。

先輩に会えますように、と。

死後の世界に期待している訳では無いけれど、一目だけでも見たかった。

笑いかけて欲しかった。

***

機械音が耳障りだった。

ピコピコだけならまだしも、たくさんの音の不協和音は不快にさせる。

心地よく眠っていたのに何なのだろう。

そう思い瞳を開けてみようとしたが、まったく動かなかった。

重石を置かれている半紙の気分だ。

やっとの思いで目を開けると眩しすぎてまた再び閉じたくなった。

とりあえず慣れると、何が見えているのか分かってきた。

白い病室のような部屋にいて、自分は寝たきり。

見知らぬ人が驚いて固まっている。

「たっ橘さん!」

きっと自分の名前が呼ばれているのだろう。

口の動きがそのようだし、服がナース服のようだった。

どこかに入院しているのだろうか。

女の人はあわてて外へ出て行った。

誰かを先生を呼びに行ったのだろう。

瞬きをする度眠気が襲ってくる。

ダメだ、起きていないと思い、唇を噛もうとすると力が入らない。

動かなかった。

いつから俺はこの状態だったのだろう。

現実が迫ってくる音が聞こえた。


「おはようございます。橘さん」

やってきたのはロボットだった。

「ロボットではありません。人工知能人間です」

口を開いていないのにこっちの言いたいことが分かるようだ。

「驚かないんですね」

もう、驚かないですよ。疲れたんです。

「確かに眠っていた時よりお疲れのようですね」

そりゃ久しぶりに起きたんですから。

「それでは今日はおやすみなさい」

この声どこかで聞いたような、

ブツッ────とテレビの電源の音が聞こえた。


目を開くと前よりも体が軽くなっていることがわかった。

「おはようございます。橘さん」

またロボットが目の前にいた。夢じゃなかったのか。まだ起き上がれないけれど意識がはっきりしていた。

「何か質問はありますか」

「…………せ、んぱ」

声が上手く出せずうめき声になってしまった。

でも伝わっただろう。このロボットはきっと俺の考えていることが分かるのだ。

「分かるのではなく予測ができます。

────そうですね。木下さんはあなたより前に起きてリハビリ中ですよ。無事です」

体が弛緩したのを感じた。

脳裏に過ぎるのは安堵だけだ。

本当に良かった。

心が軽くなり晴れやかな気分になっていた。

再び目を閉じようとすると、待ったがかかった。

「聞きたいことはそれだけですか?」

聞きたいこと。考えてみるが、まったくない。

先輩が生きてて、空が青い。

もうそれだけでいいと思った。

その後、これまでの顛末をもうなんとなく思い出した。

それはこのロボットのおかげであり、先輩のおかげである。

正確には先輩の記憶とロボットの技術力のおかげなのだろう。

あの日、8月1日に俺達は病院に運び込まれ、処置を受けた。

先輩は俺の状態より軽く、俺は先輩の状態よりも重かったということだった。先輩もいくつか記憶を無くしてしまったが、俺の方は脳が損傷していて、目が覚めても話せるかどうかという状況だったようだ。

とても普通の生活を送れる体でなくなっていた俺を見た先輩の不安が伝わってくる。

その時、寝たきりで動けないでいた俺の元にやってきたこのロボット。

これは国で作られた人工知能人間だった。

何故やってきたのかというと長くなるので割愛するが、要するに「被検体に選ばれた」ということのようだ。

高校生でなんの罪もなく、脳以外は健康で植物状態のような状況になった俺がピッタリだったとのこと。

人工知能人間はまだまだ知られておらず、経験も浅く秘密裏の技術であったので、最初の被検体は余程慎重に選んだみたいだ。

その人工知能人間の技術は国家機密にあたるくらい凄いものだった。

なんせ脳と脳で損傷を補うことが技術だ。

何も知らない俺でも魔法のように思える。

しかしロボットは完璧に仕事をこなした。

ロボットは俺の脳の損傷を修復させ、俺達それぞれの欠けた記憶を補った。

俺と先輩それぞれ欠けていた記憶が異なったことはもちろん、ずっと今まで一緒に行動していたことが成功の鍵だったようだが、それを抜きにしてもこのロボットの偉業は計り知れない。

ロボットの手により、欠けた記憶を完璧修復し終わったものの本当に成功したのかわからない。

起こすにはリスクがありすぎるということで、使用されたシステムが、俺達が一ヶ月過ごした村、仮想世界 01だった。

その世界はほとんど俺たちの記憶で作られた世界だったのだ。

たしかに今思い返すと、あの1ヶ月間やった事や見たものは全て昔行ったことがある思い出だった。

なんの違和感もなく、思い出をただ1ヶ月間なぞっただけだった。

それは現実世界では1日も満たない夢のようなものだった。

かくして俺は脳が元通りとまでいかなくとも、生活に支障が出ない程度回復し、先輩は記憶を取り戻せた。

これでハッピーエンド、というわけにはまだいかない。

「何をそんな所で固まってるんです」

ロボットにせっつかれる時が来るなんて夢にも思ってなかった。正直放っておいてほしい。

「そうはいけません。あなたは被験者第1号なんですから」

そんなキメ顔で言われても反応に困ってしまう。

できれば話しかけないで欲しい。

今いる場所は先輩の病室の前なのだから。

聞こえてたらどうしてくれるんだ。

「そんな格好つけてる場合ではありません。元気な顔を早く見せましょう」

言われなくてもわかっている。だけど今ひとつ勇気が出せないでいる。

「……木下さんはそんなことしてませんでした。不安そうでしたが、ちゃんとあなたに会いに来ましたよ」

ぐぐっと背中を強く押されるくらい強い言葉に、俺は思わず踏み出して、その勢いで扉を開けた。


「……先輩」

声をかけると先輩と目が合った。

先輩は目を見開いて、持っていた雑誌をシーツに落とした。

そして瞳は何度か瞬き、そして、

大粒の涙が落ちていった。

次々に落ちていく涙に狼狽え、近寄ろうとすると、彼女は手で顔を覆った。

「よかった」

それは思わずこぼれてしまった本音のように心に響いた。

手で目元を擦り、赤みが差した顔で、赤くなった鼻を隠さず、口元に笑みを浮かべて言った。

「おかえり」

ああ、よかった。

先輩ほど綺麗ではないけれど、そう思えた。

眠っていた時間がようやく動き出せた感覚があった。今までが、掬われた気持ちになった。

「…………ただいま」

やっと言えた。

先輩は嬉しそうに笑ってくれた。

***

「あの紫の海と赤い空はロボットの趣味?」

「ワタシに趣味は有りません」

つれない返しだ。ロボットはお堅い。

「用意、出来たよ〜」

先輩の呼ぶ声が聞こえる。

「あっ、ロボットさんおはよう!」

「おはようございます。木下さん」

このロボットは先輩には少し対応が優しい。

「さて、そろそろいこうか!」

先輩は張り切っている。

ようやく外に出れるのだから仕方ない。

この場所に半年も過ごせたことが先輩にとって奇跡だ。

「さようなら」

「さようなら!」

見守ってくれたロボットに別れの挨拶をする。

「もう会わないことを、祈っています」

いつもの面で素っ気ないことを言う。

俺達はロボットが初めて言葉を詰まらせていることが分かったので笑顔で別れた。

非常に人思いの、いいロボットであった。


これからの事を考えなくてはいけない。

俺達はきちんと生きていて、繰り返すことも無くなった。

だけどたまに、思い出す。

あの変な夢の延長を、ぬるま湯に浸かったような生暖かい、懐かしい世界を。

あの1ヶ月間はたしかに俺たちの思い出で大切な時間だった。

静かでやさしい、2人だけの惑星だった。

これからどうしていくのかそれは俺たちで決める。

ふたりなら、どうにかなるような予感があった。

握る手に力を込めると、先輩はにっこりと可愛く笑った。


「何になりたい?」

「とりあえず星が買える男に」

いつから俺はこの状態だったのだろう。

現実が迫ってくる音が聞こえた。


「おはようございます。橘さん」

やってきたのはロボットだった。

「ロボットではありません。人工知能人間です」

口を開いていないのにこっちの言いたいことが分かるようだ。

「驚かないんですね」

もう、驚かないですよ。疲れたんです。

「確かに眠っていた時よりお疲れのようですね」

そりゃ久しぶりに起きたんですから。

「それでは今日はおやすみなさい」

この声どこかで聞いたような、

ブツッ────とテレビの電源の音が聞こえた。


目を開くと前よりも体が軽くなっていることがわかった。

「おはようございます。橘さん」

またロボットが目の前にいた。夢じゃなかったのか。まだ起き上がれないけれど意識がはっきりしていた。

「何か質問はありますか」

「…………せ、んぱ」

声が上手く出せずうめき声になってしまった。

でも伝わっただろう。このロボットはきっと俺の考えていることが分かるのだ。

「分かるのではなく予測ができます。

────そうですね。木下さんはあなたより前に起きてリハビリ中ですよ。無事です」

体が弛緩したのを感じた。

脳裏に過ぎるのは安堵だけだ。

本当に良かった。

心が軽くなり晴れやかな気分になっていた。

再び目を閉じようとすると、待ったがかかった。

「聞きたいことはそれだけですか?」

聞きたいこと。考えてみるが、まったくない。

先輩が生きてて、空が青い。

もうそれだけでいいと思った。

その後、これまでの顛末をもうなんとなく思い出した。

それはこのロボットのおかげであり、先輩のおかげである。

正確には先輩の記憶とロボットの技術力のおかげなのだろう。

あの日、8月1日に俺達は病院に運び込まれ、処置を受けた。

先輩は俺の状態より軽く、俺は先輩の状態よりも重かったということだった。先輩もいくつか記憶を無くしてしまったが、俺の方は脳が損傷していて、目が覚めても話せるかどうかという状況だったようだ。

とても普通の生活を送れる体でなくなっていた俺を見た先輩の不安が伝わってくる。

その時、寝たきりで動けないでいた俺の元にやってきたこのロボット。

これは国で作られた人工知能人間だった。

何故やってきたのかというと長くなるので割愛するが、要するに「被検体に選ばれた」ということのようだ。

高校生でなんの罪もなく、脳以外は健康で植物状態のような状況になった俺がピッタリだったとのこと。

人工知能人間はまだまだ知られておらず、経験も浅く秘密裏の技術であったので、最初の被検体は余程慎重に選んだみたいだ。

その人工知能人間の技術は国家機密にあたるくらい凄いものだった。

なんせ脳と脳で損傷を補うことが技術だ。

何も知らない俺でも魔法のように思える。

しかしロボットは完璧に仕事をこなした。

ロボットは俺の脳の損傷を修復させ、俺達それぞれの欠けた記憶を補った。

俺と先輩それぞれ欠けていた記憶が異なったことはもちろん、ずっと今まで一緒に行動していたことが成功の鍵だったようだが、それを抜きにしてもこのロボットの偉業は計り知れない。

ロボットの手により、欠けた記憶を完璧修復し終わったものの本当に成功したのかわからない。

起こすにはリスクがありすぎるということで、使用されたシステムが、俺達が一ヶ月過ごした村、仮想世界 01だった。

その世界はほとんど俺たちの記憶で作られた世界だったのだ。

たしかに今思い返すと、あの1ヶ月間やった事や見たものは全て昔行ったことがある思い出だった。

なんの違和感もなく、思い出をただ1ヶ月間なぞっただけだった。

それは現実世界では1日も満たない夢のようなものだった。

かくして俺は脳が元通りとまでいかなくとも、生活に支障が出ない程度回復し、先輩は記憶を取り戻せた。

これでハッピーエンド、というわけにはまだいかない。

「何をそんな所で固まってるんです」

ロボットにせっつかれる時が来るなんて夢にも思ってなかった。正直放っておいてほしい。

「そうはいけません。あなたは被験者第1号なんですから」

そんなキメ顔で言われても反応に困ってしまう。

できれば話しかけないで欲しい。

今いる場所は先輩の病室の前なのだから。

聞こえてたらどうしてくれるんだ。

「そんな格好つけてる場合ではありません。元気な顔を早く見せましょう」

言われなくてもわかっている。だけど今ひとつ勇気が出せないでいる。

「……木下さんはそんなことしてませんでした。不安そうでしたが、ちゃんとあなたに会いに来ましたよ」

ぐぐっと背中を強く押されるくらい強い言葉に、俺は思わず踏み出して、その勢いで扉を開けた。


「……先輩」

声をかけると先輩と目が合った。

先輩は目を見開いて、持っていた雑誌をシーツに落とした。

そして瞳は何度か瞬き、そして、

大粒の涙が落ちていった。

次々に落ちていく涙に狼狽え、近寄ろうとすると、彼女は手で顔を覆った。

「よかった」

それは思わずこぼれてしまった本音のように心に響いた。

手で目元を擦り、赤みが差した顔で、赤くなった鼻を隠さず、口元に笑みを浮かべて言った。

「おかえり」

ああ、よかった。

先輩ほど綺麗ではないけれど、そう思えた。

眠っていた時間がようやく動き出せた感覚があった。今までが、掬われた気持ちになった。

「…………ただいま」

やっと言えた。

先輩は嬉しそうに笑ってくれた。

***

「あの紫の海と赤い空はロボットの趣味?」

「ワタシに趣味は有りません」

つれない返しだ。ロボットはお堅い。

「用意、出来たよ〜」

先輩の呼ぶ声が聞こえる。

「あっ、ロボットさんおはよう!」

「おはようございます。木下さん」

このロボットは先輩には少し対応が優しい。

「さて、そろそろいこうか!」

先輩は張り切っている。

ようやく外に出れるのだから仕方ない。

この場所に半年も過ごせたことが先輩にとって奇跡だ。

「さようなら」

「さようなら!」

見守ってくれたロボットに別れの挨拶をする。

「もう会わないことを、祈っています」

いつもの面で素っ気ないことを言う。

俺達はロボットが初めて言葉を詰まらせていることが分かったので笑顔で別れた。

非常に人思いの、いいロボットであった。


これからの事を考えなくてはいけない。

俺達はきちんと生きていて、繰り返すことも無くなった。

だけどたまに、思い出す。

あの変な夢の延長を、ぬるま湯に浸かったような生暖かい、懐かしい世界を。

あの1ヶ月間はたしかに俺たちの思い出で大切な時間だった。

静かでやさしい、2人だけの惑星だった。

これからどうしていくのかそれは俺たちで決める。

ふたりなら、どうにかなるような予感があった。

握る手に力を込めると、先輩はにっこりと可愛く笑った。


「何になりたい?」

「とりあえず星が買える男に」

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ふたりぼっち惑星 @okara3okara

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