第35話 九魂激突

 精神世界での戦いは、現実と同じような感覚で行われる。

 厳密には違うらしいけど、現実の姿をイメージして魂を具現化してるからか、少なくとも外見だけに限って言っちゃえば、ほとんど変わらない。


「がう!」

「ケヒヒッ!」


 真っ先に動いたのは、ヘキサ兄さんとハチ公だった。

 第六席と第八席が弾けて、二つの影が円卓の真ん中に立つ女勇者ココノへと駆ける。

 青年の取り出したナイフの薄刃が首根を襲い、銀犬の牙が左足に喰らいつく。迅い! 風になったみたいに素早く淀みない先制攻撃に、ココノは反応すらできずに――


【歪】!


 霊力を帯びた指がわずかに動いたかと思うと、勇者を取り巻く空間がぐにゃりと歪曲。狙い澄まして吸い込まれようとしていたナイフと咬みつきは、空間の歪みに沿ってあり得ない軌道を描き、獲物にかすりもしないで通り過ぎてしまう。


「今のって、呪紋!?」

「あんな簡単なので思い通りに空間を歪めるって……アレってマジで、現実でもできるんスか?」

「千年前の呪紋は、すべてあれくらい単純なものであった。霊力効率も、威力も、操作性も、画数の少なさ以外は現代の足元にも及ばん。……それを実戦レベルで使いこなしたからこそ、奴は“勇者”と呼ばれたのだ」


 呪紋を書くのに時間がかかる、という霊術の弱点を、呪紋を単純にすることで無いものにするなんて、とんでもないことだ。

 たとえるなら、水路を作らずに水を流そうとするのに近い。ちゃんと筋道がないと、水はゴール地点にまで流れていってはくれないどころか、野放図に広がってしまう。それだけならまだしも、辺りを浸水させたらどんな二次被害が起こるかわかったものじゃない。

 なのに、問題もなく望んだ効果をもたらしているっていうなら、いったいどれほど精密なコントロールをしているんだろうか。

 ココノの霊力出力と制御能力の高さに改めて戦慄させられる……けど、隣のデュオ陛下は狼狽えないで、霊力を指先に集中させた。


「たしかに恐るべき才能である。だが、手も足も出ない、という程ではない」

「しゃらくせェ!」

「がぅる!」


 兄さんとハチ公は、空振りしても止まらない。

 ナイフが手中で翻り、四つ足がテーブルを踏んで転回する。間髪入れない連撃を、読んでいたココノは再び霊術による空間歪曲で防ぐ。


【禁!】


 そこに、陛下の霊術が割り込んだ。

 異なる波長の霊力がぶつけられたことで、空間を歪めるため精密にコントロールされた術式が乱される。

 守りが消えた。

 ココノはとっさに身をよじるけど、避けきれなかったナイフが二の腕に突き刺さる。痛みに凛々しい顔が歪んで、動きの鈍った右腿にハチ公が咬みついた。


「いくら才能で補っていようと、速さのために操作性が犠牲となっていることには変わりない。タイミングさえ合えば、吾が輩ごときの古式霊術でも打ち消すのは容易である」

「デュオか。小癪な真似を。じゃが……喝ッ!」

「おわッ!?」

「ギャン!?」


 二人がかりで押さえ込んだはずが、気合一つで吹っ飛ばされた。

 殺人鬼のナイフを刺さったまま圧し折り、足にまとわりついた白犬を蹴り飛ばしたココノは、深く呼吸をすると傷付いた腕と足から流血を止めた。

 傷口が、再生する。

 精神世界の体は物質じゃなくて、本来は非実体の魂が具現化してるだけだから、怪我とかにはあまり意味がない。イメージするだけで、外見なんてどうとでもなる。

 とはいえ、まったくの無意味とも言い切れないけどね。


「隙あり、ッス!」


 代わって、右舷にナナ姉さん。

 反応したココノの――左後方。意識の薄くなった死角から、リー老師が幽霊の滑るような歩法で肉薄する。


「どこに隙など……」

「隙ありですぞ~」


 触れると同時に、引き倒す。

 全身を使って真下へと力を発する柔術は、自重を超える大重量を押し付ける。相手からすれば突如として予想外な重石を付けられたような感覚だ。

 崩れたバランスを保とうとして両手が泳げば、呪紋は書けない。

 追加で足を払ってやれば、たまらず背中から円卓へと叩きつけられた。


「空心流、地曳落じびきおとし

「がっ!?」


 背骨を強打し、内蔵まで浸透する衝撃に、ココノは硬直。すぐには起き上がれない勇者へ、ナナ姉さんがブツブツ呟きながら歩み寄る。


「触手モンスターの種、成長促進剤、命令呪符に、拡散防止結界に、その他魔法薬をあれやこれやして……罠作成、『飢えし触手ハンガーローパー』!」


 イメージを固めて、具現化したアイテムを投げつける。

 手の平サイズの不気味な肉塊は、命中するや否や孵化した。ヌラと糸を引いた赤黒い触手が四本伸びてココノの手足を縛り上げると、大の字の姿勢で固定した上で無数に枝分かれし、体中に巻き付いていく。


「このっ、汚らわし……っ!? ぐああああああああああ!!」


 ココノが悲鳴を上げた。

 ところかまわず絡み付いた触手は、細かな針で彼女の肌を刺して、体液を吸い取っているんだ。……って言葉にすると絵面以上にエグいけれど、効果的ではある。

 魂は怪我しないといったって、苦痛を感じたりエネルギーを吸われたりすれば消耗するし、「緊縛されている」というイメージは実際に行動を妨げるからだ。


「精神世界じゃ、素材や道具を持ってこなくても思い浮かべるだけでアイテム作り放題ッス。……便利ッスけど、楽勝過ぎてちょっとつまんないッスね」

「同感ですな~。体が思い通りに動き過ぎて、張り合いがありません」

「いや、まだである!」


 千切れる音がして、触手の一本が宙を舞った。

 ココノの右手が自由になって、尋常でない速さで呪紋を描いていく。


【繋】【断】【閉】【歪】【拡】【歪】【揺】【斬】【閉】

【禁】………【禁】………【禁】………【禁】………【禁】


 陛下の打ち消しが、間に合わない。

 高速かつ多岐にわたる古式呪紋は、陛下が一つを消す間に二つは完成し、多重発動した霊術の奔流が押し寄せる。

 空間の歪曲、断裂が次々と着弾。触手をバラバラに引き裂いて、円卓を粉々に粉砕せしめた。

 ぼくらは右往左往と逃げ惑うけど、尽きることない飽和攻撃を回避し続けるなんて無理な話で、一人また一人と体をねじ切られ、切断されていく。再生することもできず、倒れ伏した八つの姿が並ぶまで、時間はかからなかった。

 ――なんて、


「嘘じゃな」

「ア、ハァ。……ご名答」


 眉一つ動かさずココノは断じて、攻撃の手を止めた。

 周囲に視線を走らせれば、ぼくらは明後日の方角で、八人みんな無傷で立っている。


「……幻創げんそう魔法、【瓜二つの影ドッペルゲンガー】。……よく、出来ているでしょう?」

「面妖な術を使いおって。……妾と間違えて召喚された魂か。なるほど、どれもこれも相応じゃな。しかも、異世界の術や道具に精通しておるらしい」


 得意げなクイントさんに、ココノは苛立った様子で吐き捨てた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る