第33話 皇女と勇者とついでに真相・後編

 祭壇に鎮座させられた状態で、逃げ場はない。

 ならばせめて、プライドを持って対峙する。

 背筋を伸ばし、下腹部に力を入れて睨み返すディルフィーネの前に立って、病人は「良い虚勢じゃ」と見透かしたように嘲笑した。


『そうじゃのう。……どうしてもと言うならば、生かして返してやっても良いぞ』


 いいことを思いついた、とばかりに淀んだ目が細められる。


『後ろにいる小娘。あの二人のどちらかを、献上せよ。代わりの器を差し出せば、貴様は見逃してやろう』

「…………」


 後背を、チラと返り見る。

 キアスなら。忠義に厚い彼女であれば、自ら進んででも身代わりになってくれるだろう。

 ソラなら。顔を知っている程度の他人だ。特別な地位でもない、格下の異人種。見捨てたところで損失はない。

 自分は八州帝国の第二皇女だ。誰よりも命の価値が重い、かけがえのない存在。誰を犠牲にしてでも生き延びる義務がある。……あるのだが。ただ、しかし。


「……舐めるな」


 損得勘定した上で、ディルフィーネは凛然と答えた。


「私はディルフィーネ・シルヴェスティア・ヤシマ。たとえ殺されようと、悪魔に媚びたりするものか!」

『強情じゃのう。そんな建前を守るために死ぬと、本心から言っているのか?』

「他でもない建前それこそが、貴族貴族たらしめているのよ。心の中なんて関係ない。上っ面でしかないとしても、『皇女』という偶像を守るためなら命だって懸けるのが私の天命だ!」


 今この場で思いついたような戯言ではない。

 十七年。皇女として生まれ落ち、短いながらも積み重ねてきた人生から紡ぎ出した金科玉条である。一国を背負うほどに重い覚悟は、ディルフィーネを挟む兵士や舞台の黒ローブ四人をも怯ませた。


『……なるほど、デュオの血を継ぐだけのことはあるか』

「それは、この上ない誉め言葉ね」


 病人が初めていたぶるような笑いを消したのとは真逆に、皇女然とほほ笑んで返す。

 皇族の維持は見せられた。だが、ここまでらしい。

 病人が手をかざした。

 埒外の霊力が、祭壇へと注ぎ込まれていく。

 一人の人間から放たれるとは思えない、膨大で濃厚な霊力が祭壇に刻まれた呪紋を満たし、それだけでは飽き足らずにディルフィーネと病人を囲うようにして複雑怪奇な紋様を形成していく。


「姫様っ!?」

「なんて高度な呪紋……」


 キアスとソラが驚愕し、戦慄している。

 壇上の会話は聞こえていなかっただろうが、大変なことが起ころうとしているのは察したようだ。しかし、両者ともに抑え込まれているので助けには来れない。


『呪紋を編むまでの暇潰しであったが……デュオの末裔よ。貴様との会話は愉しかったぞ』


 心なしか敬意を帯びた声で言って、病人は瞳を閉じる。

 諦めたくはないが、自力で何とかするにしても、あまりに強力な霊術を前にしてはどうやって抵抗したらいいか想像もつかない。


「帝国でもっとも高貴な器だ、今度こそ適合するに決まっている! それを我が手によって勇者に差し出せたとは、何たる栄誉!」


 テノドス公爵が独りで喚いている。


「十年前。七度の失敗にも挫けることなく霊魂召喚に挑み続けた甲斐があった。ついに古びた帝国を打ち倒し、相応しい人間が正しく評価される国を起こすことができる!」


 癇に障る、ただのノイズ。

 テノドス公爵の言葉はその程度にしか捉えられなかった。ディルフィーネも、キアスやソラも、あるいは他の黒ローブや兵士たちすらろくに耳を貸さず、祭壇から発動されようとする霊術に目を奪われている。

 ――ただ一人、例外がいたことには誰も気付かなかった。



「………………ア、ハァ……!」



 気付くと、は祭壇の上にいた。

 ディルフィーネと密着するほどの至近距離である。

「いつの間に?」と疑問が浮かび、「ずっと前からいたじゃないか」と理性が答える。そこにいたのに、何故か路傍の石ころみたいに無視され続けていたのだ。


 狼の耳と尻尾を持つ少年貴族は、全身を血みどろにした状態で、呆然と虚空を見上げていた。そのあどけない瞳には、驚きと納得、感動、失望といった様々な感情が熱を持って渦巻いている。


「……アンブス樹海、十年前……失敗が七回なら、

「……誰?」


 自身が窮地にあるのも忘れて、ディルフィーネは問うていた。

 姿形は、間違いなく知っている人物のそれだ。しかし、皇女として人間の裏表を見てきたディルフィーネには、とても同一人物とは思えなかった。


「貴方……シエル・アルクアンじゃ、ない?」

「……何のこと、でしょうか。ア、ハァ?」


 シエルの姿をした誰かは陰気に肩を竦めて、直後に顔をしかめた。まるで、聞こえない声にでも叱られたみたいだ。


「……大丈夫ですよ。近すぎたからバレただけで、他の人にはちゃんと【我関されずアンノウン】が効いています」


 口の中で何やらブツブツと言い訳がましく呟いている。意味するところは理解できなかったが、質問する機会はなかった。

 少年は、こちらを見もしないで、おもむろにドンッ! とディルフィーネを突き飛ばしたのだ。

 不思議と痛みはなく、だというのに体は蹴られた鞠みたいに軽々と、祭壇から転げ落ちた。

 重力に引かれるディルフィーネが見ている前で、霊術が完成し、呪紋に囲まれた内部の空間が歪む。シエルと病人の姿がよじれて、二人が一つに混ざってしまったように錯視するほどで……――――


 唐突に、歪みは消えて元通りになり、ディルフィーネは地面に叩き付けられた。

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