第32話 皇女と勇者とついでに真相・前編

 ディルフィーネは舌を巻いた。

 無事に救助されたかに思われた直後、大規模な霊術が彼女らを包み込んで転移させたのだ。


 ……これほどの霊力に、術が発動するまで気付かなかったなんて。


 自身も霊術の心得があるからこそ、その異常性が理解できた。

 いったい何者の仕業なのか。周囲を観察して、情報を探ろうとする。


 転移させられた先は、石造りの大広間。四角い石材が古い様式で組み上げられていて、全体を照らすために大きな篝火が六ヶ所にも設置されていた。

 広間には黒ローブを羽織って顔を隠した人間や、武装した兵士、変身した人狼が大勢集まっており、それらに囲まれてディルフィーネたちは中央に置かれている形だ。側にはキアスと、ソラという極東系のメイド。あの人狼化した伯爵子息の姿だけはどこにも見当たらない。

 他に目を惹くのは、正面の壁際。そこだけが舞台みたいに一段高くなっていて、祭壇らしい台の向こうには空の椅子が三脚ばかり置かれている。


「ここ、アルクアン領のテノドス遺跡に似ています」


 ソラが囁いた。

 シエルとはぐれてしまい心配そうにしていたが、それはそれとして頭は回っているようだ。


「話に聞いた、人攫いの隠れ家ね。……それにしても、『テノドス』とは」


 低く唸って、脇を見遣る。

 誘拐犯の一行も、ディルフィーネたちと一緒に転移されていて、今は少し離れた場所で手当てを受けているところだった。奇襲攻撃は致命傷にまで届かなかったらしく、何人かは意識を取り戻して悪態を吐いている。

 目覚めた者の中には、テノドス公爵もいた。あの男には、色々と問いたださなければならないことがあるらしい。


 そんなことを考えていると、空気が動いた。

 広間に、誰かが入ってきたのだ。

 五人の黒ローブ。病人らしい杖を突いたのを中心にして舞台へと上がっていくと、大柄な二人が左右に立ち、残りが椅子に座った。強い存在感。広間の者たちが一斉に礼を正したことからも、リーダー格であることがうかがえる。


「帝国の第二皇女よ。大ロマカミ教団の儀式場にようこそ。心から歓迎しよう」


 向かって右の椅子から、慇懃な声で言った。

 敬称なしの呼びかけ。フードで顔を隠したまま、敬礼どころか立ち上がりもしない。


「……ロマカミ?」


 聞き慣れない単語に少女たちが眉をひそめていると、テノドス公爵が傲慢に叱りつけた。


「貴様ら。我らが指導者のご挨拶を無視するのか!」

「挨拶? それは失敬でした。あんな無礼な言葉が、私に向けたものだとは思いもよらなかったもので」


 ディルフィーネは毅然と言い返して、逆にテノドスを睨みつける。


「偉大なる八州帝国の公爵ともあろうお方が、皇族を差し置いて別の者に首を垂れるとは、どういうつもりですか?」

「ふんっ、何が皇族だ!」


 非難の言葉に、テノドス公爵は火が付いたように顔を赤くした。

 よほど言いたいことをため込んでいたのか、堰を切ったようにまくしたてる。


「三百年の歴史を誇る名門テノドス家を冷遇しておいて、偉そうに! この屋敷を見たか? 庭は荒れ、壁はヒビ割れ、哀れな姿を晒しているというのに、少しの支援もしないで忠誠だけ要求する帝国など転覆しても当然だ!」

「……いや、お金がないのは自分の責任でしょうが」

「別邸なんだから、引き払っちゃえばいいのに」


 後ろでキアスとソラが冷たくツッコむが、小声なので相手にまでは届ない。


「戦国の時代が終わってからは皇帝に見放され、減っていく財産を眺めることしかできなかったところに、救いの手を差し伸べてくれたのが大ロマカミ教団だ。我が父がアンブス樹海で古の儀式場を発見した功績で、教団から賜った褒美はどれほどの――」

『そのくらいにしておけ』


 しゃがれた声が、ヒートアップする公爵を諫めた。中央の椅子に座っていた病人である。

 喉にノコギリでも入っているかのような苦しげな声で、病人はイライラと杖を弄ぶ。


『時間が惜しい』

「……失礼いたしました」


 打って変わって素直に引き下がったテノドス公爵が跪き、代わりに兵士がやってきてディルフィーネを「前に出ろ」と小突いた。


「姫様に何を!」


 キアスが反抗するが、皇女の首に剣を突き付けられては何もできない。悔しそうに口をつぐみ、甘んじて押さえつけられるしかない女騎士を尻目に、ディルフィーネは舞台へと引き上げられてしまった。

 有無を言わせず祭壇に座らせられると、病人は感慨深そうにため息を吐いて、目深に被っていたフードを脱ぐ。


「……ぅ!?」


 直視したことを後悔した。

 今まで『心優しい皇女』として数々の傷病人や障碍者と対面してきたディルフィーネであるが、彼女をもってしても吐き気を禁じ得ないほどに無残な姿だったのだ。

 骨と皮ばかりにやせ細り、死色の肌は熟れ過ぎた果実のように爛れていて、両の眼は地獄と繋がっているのかと思うほどに濁っている。

 果たしてを人間と呼んでいいのか、断言することが躊躇われた。


『くくっ。そんな顔をされては、傷つくな』


 病人は揶揄するように肩を震わせて、杖に力を込めると難儀そうに立ち上がった。


「貴方は……ナニ?」

『「ロマカミの勇者」……と、生前は呼ばれていた者じゃ』

「……?」

『もう十年になるか。教団の者どもの献身により、あの世から舞い戻ったのよ。じゃが、我が魂に釣り合う肉体には恵まれんでな。かような醜い姿を晒しながらも、器から器へと乗り換えることで、どうにか現世に留まっておる』


 おぞましい話だ。

 真実であるならば、その正体は他人の肉体を奪う死霊ということになる。腐ったような姿は、魂が適合しないための拒絶反応といったところか。


『夏は壊死が進む。暑さが極まる前に新しい器が欲しいと思っていたところでな』

「……謹んでお断りするわ」

『理解が早いのは、良いことじゃのう』


 鼠の尻尾を押さえた猫を思わせる笑い方だ。

 病人は愉悦に満ちた様子で、祭壇に近寄ってくる。腐敗臭が漂ってくるような気がして、ディルフィーネは遠ざかりたくてたまらなくなったが、抜身の剣を持った兵士が控えていて、その場から動くことは許されなかった。

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