第19話 隠し地下室

 改めて、建物を観察する。

 二階建ての洋館で、大きな玄関は多くの人が頻繁に出入りしていることをうかがわせるけど、今は夜中。扉は堅く閉ざされており、たくさんある窓も鎧戸が下ろされている。


 ……入れそうかな?

「鍵は開いているかもしれませんが……この手の扉は、防犯とカッコつけのために、わざと軋むようにしていますからね」

(下手には触れられんのであるな)


 思案するように、視線が上を向く。

 一階は扉も窓も全滅だったけど、二階はと見れば一ヶ所、右端の窓が開かれていた。明かりが点いていて部屋の中までよく見えるけど、都合のいいことに人がいないみたいだ。


「……ア、ハァ」


 門番たちを振り返り、敷地内には意識が向いていないのを確かめてから、外壁に取り付いた。

 鎧戸を足掛かりにして、猿みたいに素早くよじ登ると、空いた窓へとすべり込む。

 どうやら、執務室らしい。仕事机だったり本棚だったり、父様のとはまた違うけど通じるところのある内装だ。

 紙とインクの匂いが染みつき。夜風が吹き込むたびにタバコや男物の香水の余韻をかき乱した。


「……少し席を外しているだけみたいですね。……戻ってこないうちに、移動しましょう」


 机に広げられていた帳面――『卵・5・盗』とか、『ヒヨコ・2・死』とか、『餌』の注文数を修正とか、ここ十日分のことが色々と書いてある――を覗きつつ、クイントさんは判断した。

 ドアを軋ませないよう慎重に開く。

 廊下は夜光石すらなくて真っ暗だったけど、クイントさんは壁に置いた手の感触だけを頼りに進んでいく。

 途中、角を曲がった先から執務室の主らしい男がロウソクを携えて歩いてきたのは、天井に張り付くことでやり過ごし、階段があったので下りていくと、一階も同様に暗かったものの、ドアの隙間から明かりが漏れている部屋を見つけることができた。


 ……気配はない。また、無人の部屋かな。


 ぼくはそう思ったんだけど、怪盗の勘は何かを察したみたい。クイントさんはドアノブを握る寸前で止まると、眉をひそめた。

 精神を研ぎ澄まし、今度はゆっくりと手の平を近付けていく。

 すると、じんわりと伝わってくるものがあった。熱や音とは違う、魂そのものを震わせる波動は……霊力だ。


(霊術の結界であるか。微弱すぎて気付かなかったのである)

(こんだけ弱いとなると、大した効果はないはずッス。たぶん継続時間に極ぶり……ドアが動いたら結界が壊れて術者が感知する、とかじゃないッスかね)

「……この部屋だけ、特別扱い。つまり、ですね」


 ニタリ、高揚してきたようにクイントさんは口の端を歪めると、続けざまに呪文を詠唱する。


 ――補助魔法、【魔力固定化マナ・アンチェンジ

 ――補助魔法、【魔力柔軟化マナ・フレキシブル


 二種類の魔法が結界に浸透。魔力ではないけど、同じ魂のエネルギーである霊力は問題なく効果を受け付けた。

『結界』として構築された形状から変化しづらくなる。と同時に、形状変化を受け入れる力も付与した上でドアを開けると、結界はシャボン膜のように柔軟に変形して、壊れることなく入室を許してくれた。


「……霊術とは実質、空間魔法……その系統の結界なら、前世で何度も経験してきましたからね」


 と、入ったこの部屋は、会議室かな?

 床にはシックに織られたカーペット。大きな机がある他には目立った調度品が置かれていない。入って前方の壁には戦国時代初頭の画家とおぼしき風景画が飾られており、右手の暖炉には夏だからか灰が溜まっていなかった。

 人がいない。物品もほとんどない。使用感がないのに、照明だけが使われている。

 怪しいと思って見れば怪しいけれど、結界まで張って警戒しなきゃいけないようなものは見当たらない。ところが、クイントさんは暖炉へとまっすぐ向かうと、一瞬の迷いもなく頭から突っ込んだ。


「机の配置とカーペットの擦れ具合からして……小生の見立てが正しければ……。……ア、ハァ!」


 カコ、と思いのほか軽い音がして、暖炉の底石が動いた。重厚そうな見た目をしているのに、片手だけで持ち上げることができて、その下からは暗闇へと続く石造りの階段が現れた。


(軽石による隠し扉。……テノドス遺跡の地下室と同じであるな)

(石段の造り方も、似たような特徴があるッスよ)

 ……関係があるってこと?

「それは、この目で確かめてからのお楽しみ、ってことで」


 普段は陰気な声をワクワクと弾ませて、結界がないことを確認してから、階段へと突入する。


『――ィ!』

『――ッ!』


 犬笛の音が、これまでになく大きく聞こえる。

 鼻をひくつかせると、漂ってくるのは煙の獣の匂い。

 嫌な予感は増すばかりだ。

 一段ごとに会議室の明かりが遠ざかり、地獄の底まで下りていくような錯覚に陥りながら十五段目を数えたところで、階段は廊下に代わる。

 しばらく直進し、突き当りを左に折れると、行く手に新たな明かりが見えてきた。


「……っ!?」


 廊下を抜けたクイントさんは、思わず口を押えた。

 広い!

 どうやってこんな規模を、と目を見張るほどの、四角い石材を組み上げた大部屋だった。

 テノドス遺跡の地下室に勝るとも劣らない、代官屋敷くらいなら丸々納まってしまうんじゃないか。いくつもの篝火が赤々と燃え上がり、天井を煤で染めている。

 だけど、驚くべきは広さじゃなくて、その内容だ。

 ずらりと、檻が並んでいた。太い鉄棒で作られた堅牢な檻の中には、毛むくじゃらのバケモノが閉じ込められている。

 大まかなシルエットは犬に似てるけれど、手足の長さと胴体とのバランスはむしろ人間に近い。血走った目。口は耳まで裂けて、鋭い牙の隙間から滝のようにヨダレが垂れる。


 ――人狼、だ。


 全部で二十くらいかな。

 檻につき人狼が一体。その外側には一人ずつ、長槍とバケツを携えた人間が看守然として控えている。


『――ッ!』


 少し離れた台の上から全体を監督している男が、呪紋の刻まれた象牙色のラッパを吹く。

 ずっと耳を刺していたあの音が響き渡った途端、人狼たちは一斉に動きを止めた。体を丸め、頭を抱えて微動だにしないのを、監督はざっと見渡してから、逆の手に持っていた旗を振る。

 すると、それを合図に看守たちはバケツの中に入っていた生肉を槍先に引っかけ、牢内に放り込んだ。


『――ィ!』


 ラッパを吹く。

 生肉に飛びつき、貪り喰らう人狼。

 間を置いて、『――ッ!』。

 丸まって制止する人狼。

 再度、生肉が放り込まれる。

『――ィ!』

 肉を喰う。

 今度はラッパが鳴る前に食べようとした人狼がいたけれど、すかさず看守が槍で突き倒して肉を回収してしまった。


(がう……)

(『待て』の躾けをしているようですな)


 リー老師いわく、「恐怖映画の1シーンみたいな」光景に、ぼくらがしばし目を奪われていると、何やら動きがあった。

 大部屋はこことは別の通路もいくつか繋がってたんだけど、その一つから誰かがやって来たんだ。

 黒ローブをまとった三人組。真ん中のフードで顔を隠した人は、病気なのか杖に身を預けており、ふらつくたびに左右の人から気遣われていた。

 新顔に対して、気付いた監督は慌てて壇上から下りようとしたけど、病人が手で制したのでラッパと旗振りに専念する。


「どうです、本日の『ヒヨコ』は優秀でしょう」


 付き人の右側が誇らしげに言った。

 遠すぎるのと笛の音が大きすぎて声は聞こえないけれど、クイントさんは前世の記憶から唇を読む術を身に着けている。


「調教を始めてから、まだ一匹として『規格外』が出ておりません。『成鳥』レベルには時間がかかりますが、『ヒヨコ』としてなら十分に運用可能かと」

「毎回こうであれば良いのだがな」


 皮肉っぽい顔で、左側が言う。


「調教はともかく、噂の新薬についてはどうなっている?」

「ははっ。そちらにつきましては、いまだ調査中でして……」

「『卵』を五つも盗まれ、仕入れ先まで潰れたのだぞ? おまけに、けったいな薬まで作られて……。本来なら極刑になるところ、猶予を与えられていることを忘れるなよ」

「もちろんでございます。必ずや、新薬とやらの情報をいち早く入手し、名誉挽回のチャンスをいただいたご恩に報いてみせましょう。――――すべては、我らが『ロマカミの勇者』の御為に」

(……ッ!!?)


 デュオ陛下が、極端な反応を示した。

 誰よりも大人びて落ち着き払っている陛下が、こんなに動揺するなんて初めてのことじゃないか。

 右側が口にした聞きなれない単語。ぼくも、他の人格たちも覚えのないそれが、いったいどうしたというのか……。

 だけど、問いただしているヒマはなかった。


「……っと、これはマズい」


 クイントさんが、頬を引きつらせた。

 病人が急に顔を上げたかと思うと、まっすぐにこちらを睨みつけたんだ。

 フードの奥で、ゾッとするほど濁った眼が冷ややかに光るのを感じる。死人じみた色の手で指差して、何かを言うと左右の付き人たちもこっちを向く。


(バレたの!?)

「あれは、ただ者じゃないですね。……退きましょう」

(三十六計逃げるにしかず、ですな)


 マントを翻して一目散。

 逃走用の魔法を呪文詠唱しながら、クイントさんは脇目も振らず逃げ出したのだった。

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