第18話 怪盗式夜歩き

 ――怪盗。

 それは普通の盗賊とは違うのだと、別人格の一人であるクイントさんは力説する。

 ただ盗むんじゃない。高い高い美学と技術の粋をもって、相応しい得物を相応しい舞台で相応しい敵から盗み出す。

 前もって予告状を送り付け、正々堂々と。

 闇夜に生きる犯罪者にして、太陽のように煌めくエンターテイナー。

 そうやって、前世では数多の悪徳権力者や金満家から宝物を奪っては世間を騒がせてきたんだ、って。


(人呼んで『奇々怪盗ストレンジファントム』。……まさか転生した先で同一人物になるなんて。運命ってのはわかんないもんッスね)


 普段は陰気でボソボソしゃべりなクイントさんからは想像できない、華美でキザったらしい二つ名を、同じ魔法世界出身らしいナナ姉さんは聞いたことがあるらしく、感慨深くしていたものだ。

 と、いったことはさておき。


「……夏用の布団は薄いんで……難易度が少しばかり高くなるんです」


 ぼくと人格交代したクイントさんは、客室のドアとの位置関係に気を配りながら、ベッドに細工を施していた。

 一度、実際に布団を被ると、廊下から覗き込んでも顔が見えない体勢を確認。膨らみを崩さないよう器用に抜け出すと、蛇の脱け殻よろしく人が寝ているかのような形だけが残る。


「最後は仕上げに……【汝、我が残り香を忘るる勿れ。我の去りし後々も我は汝が片割れにあらん】」


 呪文詠唱。

 本来ならこの世界には存在しない魂のエネルギー、魔力が染み込むと、布団がひとりでに動き始めた。小さく上下に、人間の寝息みたいな風音まで聞こえてくる。


 幻創げんそう魔法、【存在証明レゾンデートル】。


 異世界の業でカモフラージュしたクイントさんは、その出来映えに満足したように頷くと、コッソリ持参していたマントを寝間着の上から羽織った。

 藍一色の粗末なフード付きマントで、大人用サイズだから顔だけでなく全身をすっぽり隠すことができる、隠密活動には持ってこいのアイテムだ。


「ア、ハァ。……怪盗の装いとしては地味ですけど……まぁ、こういうのも悪くありませんね」


 客室に置いてあった鏡に姿を映してみてから、クイントさんは窓を音なく開くと外に飛び降りた。

 東の山際から顔を出した月明かりの下、フードを目深に被って庭を横切る。少し離れたところで鴨狩り犬が眠っているのを横目に、塀をよじ登る――大人が馬に乗っても届かない高さだけど、人狼の脚力なら余裕だった。


「……。……人が多いですね」


 激しく狼耳が動いて、周囲の気配を探る。

 代官屋敷の周りだけでも、両手で収まらない人数が感じ取れた。同じ種類の靴音と金属の擦れる音。夜警を増やすと言ってたのは、決して誇張じゃなかったらしい。


 ……大丈夫そう?

「愚問、と言いましたよ」


 クイントさんはいつも通り気だるそうに答えた。

 塀の上に伏せて様子をうかがい、ランプを手にした夜警が通り過ぎたのを見送ったら飛び下りる。すぐ後ろに着地したのに、夜警は「おや?」とも言わないで歩いていき、こちらは広い道路を悠々と横断することができた。


「……魔法を、使うまでもないですね」


 鼻で笑う。

 代官屋敷は町の中心部にあって、大きな建物ばかりだからか、夜警の他にも個々別々に雇っているらしい警備が多数見受けられた。

 建物同士は敷地を塀の一枚で区切る形で、隙間を通り抜けることはできず、歩けるのは見通しのよい道路だけ。

 いつ、どこで見つかってもおかしくない環境なのに、クイントさんは無人の野を行くように余裕綽々で、幽霊のように静かだった。

 夜警の巡回経路を正確に予測し、警備が立っている場所と数を余すことなく見抜き、教会の窓辺でたそがれてる修道士が室内を振り返るタイミングまで把握して、すべての視線をかいくぐっていく。


(うしろから、灯りを持った人が来てるの)

「……この距離なら、小生のことは闇に溶けて見えませんよ」


 視界にランプの光が入っても欠片の緊張もなく、クイントさんは一度フードを取ると、這いつくばって地面に耳を当てた。


『――ッ!』

『――ィ!』


 犬笛は変わらず、微妙に違う音階を交互に奏でている。


「……聞こえ方の感じだと……地下ですね。そこまで離れてるとは、思わないんですけど……」


 フードを被り直し、後方の夜警を気にして再び歩き出す。

 音の源が地下にあるんだとしたら、がむしゃらに音のする方へと向かうのではなく、的確に入り口を見つけないといけない。もしも嫌な予感が正しければ、入り口は隠されてるだろうから、探すのは骨が折れそうだ。

 魔法や霊術で探査することもできるけど、ソラとか夜警とか術者に探知されでもしたら、別の意味で面倒なことになる。


 ……どうしよう?

「手ぶらで帰るのは……怪盗として、情けないですけどね……。……おや?」


 当てもなく町の中心部を歩き回っていた、クイントさんの足が不意に止まった。

 視線の先にあるのは、どこかの商会かな。

 ずっと昔から町に根差してきたんだろうと思わせる、古めかしくも立派な建物だ。アヤメの紋章を掲げた門は閉ざされており、その内には不寝番らしい筋骨隆々とした二人の若者が立っている……んだけど、なんだか違和感?

 門番くらい他でも立ててるのに、なぜかここだけ違う気がする。その理由を、ぼくは上手く説明できないのだけど、別人格たちは一目でわかったみたいだ。


(妙に緊張しておりますな)

(ただの緊張とは違うようである。伯爵家が滞在しているから、どこも多少なりと気張っているが、あ奴らのそれは異質だ)

「……経験上、こういう違和感は、無視しない方がいいですね」


 クイントさんは門番に見咎められないよう商会の塀に寄ると、ピッタリ張り付いた。

 呼吸を止め、石と同化したつもりで心頭滅却しているところへ、後ろから夜警が歩いてくる。

 ランプの光が足音に乗って近付いてきて、すぐ真ん前を――止まることなく通り過ぎた。


 ――門番が、夜警をチラ見。

 ――夜警の側も、視線に反応して。

 ――お互い、興味もなさげに目を逸らす。

 ――わずかに高まった緊張が、何事もなく弛んだその瞬間。


「……疾っ!」


 クイントさんは跳んだ。

 助走もなしに、腕を振るった遠心力と最低限の脚力だけで塀の上まで手を届かせると、引っかけた指の力で体を持ち上げる。

 軽妙なアクロバットで、なのに無音。長いマントをわずかにバタつかせることもなく飛び越えた。肉体は同じだから、体捌きや風の流れを読むことで巧みにコントロールしてることがわかるけど、同じ肉体のはずなのに真似できる気がしない。


 果たして。

 気取られることなく侵入を果たしたクイントさんは、悠然と建物へ歩いていく。



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