第17話 旅路と異音

 ディルフィーネ殿下との面会へと旅立つメンバーは、父様と執事、ぼくとソラ、その他使用人と護衛の騎士が若干名といった顔ぶれだった。母様やイトは城に残って、留守を守っていてくれる。

 移動手段は家紋付きの豪奢な馬車で、予定では片道五日の行程になっている。これは徒歩と大して変わらない速さで、乗り物を使ってるにしてはかなり悠長なスケジュールだ。


「急ぐナラ霊術デ飛べばいいネ。貴族ノ旅は、移動ヨリも道草の方が大事なのヨ」


 とは、イトの授業で習ったこと。

 その教えの通り、父様は旅の間、町を通過するごとに道草を食った。

 手前では馬車を止めて汚れを落とし。速度を緩めて、見物に来る町民たちに手を振り。代官と会談して。買い物などしてお金を落とす。

 ぼくが皇族と接点を持ってこなかったように、城から少しでも離れると、領主と領民の関係性は薄くなりがちだ。

 だから、旅のついでに自分の耳目で見聞きして、相手からも直に見てもらう。上に立つ者として、そういうところは疎かにしちゃダメなんだって。


(……ただの見栄っ張りでしょう。ア、ハァ?)

(まあ、権力や財力をアピールするためなのは、否定できんのであろうな)

 ……俗物みたいに言われると悲しいからやめようか。


 目的はどうあれ、規模の大小に関わらず道中の町はすべて同じように訪問した。境界を超えて隣の領地に入ると、少しだけ性質が変わるものの、やることはほとんど同じだった。


「シエルは無理してまで表に出ることもないよ」


 事前に、父様はそう言ってくれたけど、ぼくは構わず公の場での同席を希望した。

 今さら人の目を怖がるつもりはなかったし、貴族の義務というなら避けるのは嫌だった。それに、人狼をどう思っていようと、伯爵家の家紋を背負ってる子どもに対してめったなことをする相手はそうそういないからね。


 実際、ぼくがいても伯爵家一行は行く先々で歓待を――少なくとも表面上は――受けた。

 特段に不快な思いをするでもなく、旅は順調に続く。


 町の外ではスピードを上げ、移動するにつれて変わっていく景色を楽しんだり、ソラを教師に日課の勉強をしたり、人目を忍んでリー老師と代わり武術鍛練をしたり。時間は流れるように、つつがなく過ぎ去って、もう四日目。

 シルヴェスティア領に入り、皇女殿下が滞在するミスミはもう目前というところ。一つ手前の町で、ぼくらは晩餐にお呼ばれしていた。


「シエル様がお使いになられた食器は、他の物に触れないようご注意ください。普通の皿洗いと同じく水で清めれば感染は防げるはずですが、どうしても気になるのであれば燃やしてしまっても構わないと旦那様はおっしゃっております」

「い、いえいえ。伯爵様でなくても、ゲストの方にそんなご無礼はできません」


 裏で双方の執事が話してるのを狼耳で拾いつつ。

 今晩泊めてくれるという別宅がどんなに素晴らしいか、町を治める代官が言葉を尽くして自慢してるけど、相槌は父様に任せて適当に聞き流す。

 話を振られた時だけ返事をして、牛肉と季節野菜のスープを堪能していた時……異変は唐突に起こった。


『――ィ!』


 耳を刺す針のような、細く鋭い音。

 ビクッと体を震わせたぼくに、しかし父様は怪訝そうな目を向けた。


「どうかしたかい? シエル」

「何か、変な音が……」

「音?」


 首を傾げたのは、父様だけじゃなかった。ホストの代官夫妻も、給仕の人たちも、誰一人として反応していない。決して大きな音ではないけど、まるっきり無視できるものでもないはずなのに、だ。


 ……みんな、聞こえてないのか。

(耳鳴りや幻聴の類いとも思えねェがなァ)


 謎の音はある程度の間を開けて『――ィ!』『――ッ!』と鳴り続けている。晩餐会が終わっても、別宅の客室へと案内してもらっている間も、ずっとだ。なのに大人たちは、まったく気付く様子がなかった。


(はてさて、奇っ怪ですな~。たとえば蚊の音など、若いうちしか聞こえない音もあるといいますがな)

(んー。……ここの代官って犬飼ってたッスよね)

(わん?)


 そういえば屋敷に入る時、外庭に鴨狩り犬ダックスハントを見かけたっけ。

 客室に向かって歩きながら、窓の外に目を向ける。すでにとっぷり日が暮れていたけど、廊下の方も灯りとなるのは案内役のランプと足元を飾る蛍光石くらいだったので、どうにか目を闇に慣らすことができた。

 人狼の視力で見渡すと……いた。

 小型の猟犬が二頭、立派な犬小屋で寝そべっている。リラックスしきっているように見えるけれど、よくよく観察していると、謎の音が鳴るのに合わせて平たい耳がピクッ、ピクッと動いているのがわかった。


(わんちゃんにも、聞こえてるみたいなの)

 ……ぼく以外の人間には聞こえなくて、犬には聞こえる音、か。

(なーんか、引っかかるくないッスか?)


 ナナ姉さんが言っているのは、テノドス遺跡の地下での事件だ。

 あの時は、レットが笛みたいなのを吹くと、途端に人狼が正体を現して襲いかかってきた。

 つまり、人狼を操るのに犬笛を使ってるんじゃないかってこと。

 さっきから聞こえてるのが犬笛の一種なら、父様たちにわからないのも頷けるけど、それだとこんな夜中に誰が何をしているのかっていう疑問が出てくる。


 ……というわけで、ソラに聞き込みを頼んだのだけど。


 別所で夕食を済ませたソラと客室で合流して、事情を話して送り出したものの、しばらくして帰ってきたのは浮かない顔だった。


「すみません。色々と訊いて回ったんですが、誰も心当たりがないみたいです」

「近所で犬の訓練をしてる、とかじゃないのか……」

「……まだ、聞こえてますか?」

「うん。似たような音が二種類。リズムが一定じゃないから、人の手で鳴ってると思うんだけどね」


 地元の人間に訊いてもわからないとなると、いよいよ音の正体が何なのだろうか……と考え込んでいたら、ソラが心配そうにしているのが目に入ったので、ぼくは相好を崩して取り繕った。


「ちょっと気になっただけだから。わからないなら、それはそれで構わないや」

「……。……あの、無理はなさらないでくださいね。護衛の人たちには気にかけるよう伝えてますし、ここの代官様も今晩の夜警はもとから増やすつもりだったっておっしゃってますし」

「はは、ありがと。心配はしてないよ。もうそろそろ休むから、この話はおしまいにしようか」

「なら、いいんですけど」


 ソラはなおも気遣わしげな様子だったけど、ぼくは会話を打ち切った。

 寝間着に着替えるのを手伝ってもらってから、使用人用の客室へと下がるソラに別れを告げ、部屋の灯りを消してベッドに腰を下ろす。


『――ィ!』

『――ッ!』


 スプリングの軋みに混ざって、例の音が耳を突っついてくる。

 決して大きな音ではない。けれど、どうにも耳障りで無視のできない音だ。


(こりゃァどのみち、放っといて寝るなんて無理な話だァ)

(ソラに、無理したらダメだって言われたの)

(バレなきゃセーフ、って考え方はあるッスよ)


 目をつむり、別人格の意見を聞いた後。

 ぼくは少し考えてから、決断した。


 ……ちょっとだけ、外に出て確かめてこようか。

(ア、ハァ。……ということは、小生の出番ですか)

 ……お願い、クイントさん。誰にも気付かれないようにできる?

(愚問、ですね。この程度の仕事、一角馬ユニコーンの角を数えるみたいなものですよ。……にとっては、ね)

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