皇女の招待状と謎の笛の音
第14話 変貌した日常
悪い子は人狼に咬まれる。
大人が子どもを叱る際に使われる常套句だけど、今回の事件を境にそれが禁句となった。城内だけじゃなく、城下町まで、だ。正式なお触れを出したわけじゃなくても、領主の嫡男が人狼化してしまったんだから、まあ致し方ないのかな。
他にも、日常の変化は細々した場面で見受けられた。
わかりやすいのは、食事の場面。人狼の変異因子は唾液に含まれるから、ぼくが使った食器には慎重な取り扱いが求められるんだ。
(直に傷口に入るとかしない限りは大丈夫だと思うッスけどね)
と、ナナ姉さんは言うものの、理屈で怖がるのを止められるものでもないから、過剰な対応になっても責めづらい。別人格とも話したけど、いまだに嫡子としての地位でいられるだけでも幸運な方なんだろう。
「…………やっぱり、シエルさまは……」
ヒク、と狼耳が声を拾った。
どこかで若いメイドたちが噂話をひているみたいだ。話題はぼくのことらしく、無作法ながらついつい聞き耳を立ててしまう。
「正直なところ、どうなのよ? その……人狼になっちゃってから、お側でお仕えするのって」
「どうって、何も変わらないですよ」
質問されているのはソラだ。興味津々といった様子の先輩たちに対して、ぼくのフォローをしてくれている。
「専属の仕事はまだ始めたばかりで大変ですけど、シエル様は相変わらず賢くていい子だから手がかからないし……あ、でも」
ハキハキと応じていたソラだったけど、ふと言葉を濁した。
何か言いづらいことでもあるのだろうか、先輩のメイドたちは続きを待つように黙り込み、ぼくも耳を澄ませる。
「実はこの前、シエル様のお召し物を仕立て直すことになりまして……」
「うんうん」
「狼の尻尾に合わせて、ズボンに穴を空けるというものなんですけど」
「……ほう」
「採寸のためにって、尻尾を触らせていただいて!」
「きゃー!」
……うん?
「どうだった? どうだった!?」
「それがもう、フワフワのモフモフでフニッとしてて! シエル様も、触られてくすぐったいのに、強がって平気なフリをしていらしたのが、とっても可愛らしかったです」
「なんと……!」
「それは……見たかったわね」
「髪のお手入れなんかさせていただくときも、あの可愛いお耳がヒョコヒョコなさってて、思わず食べちゃいたくなります」
「あらヤダ」
「さすがにハレンチだわよ」
キャーキャー黄色一色に染まるガールズトーク。
陰口を心配していたのが馬鹿らしくなって、ぼくは盗み聞きを打ち切るとその場を離れた。
……最近、ソラのスキンシップが増えた気がしてたけど、あんなこと考えてたのか。
(ア、ハァ。……使用人らがチラチラ見てくるようになったのも……恐怖とは別の理由かも、しれませんね)
(おそらく、ソラなりに気を使っているのであるな)
(バケモノって言われるよりは、ずっとマシなの)
……マシだけども、さ。
悪くはないかもだけど居たたまれないものを感じつつ、ぼくはメイドのたまり場を返り見る。
ソラたちが談笑しているのは、一階の北端にある使用人用のスペース。ぼくのいる二階の廊下とは、硬い石材を隙間なく組んだ厚い床を隔てていて、会話の内容を聞き取るなんてどんなに静かな環境でも可能だとは思えないだろう。
(わふわふ)
(この聴覚にも、すっかり慣れましたな~)
人狼と化して変わったのは、周囲の環境だけじゃない。むしろ当然のことなのだけど、一番の変化はぼく自身の肉体だ。
耳と尻尾、そして毛皮に覆われた背中と外見はもちろんのこと、見えない部分にも変化は起こっていたんだ。
まずは五感。特に耳と鼻は格段に鋭くなった。
最初は何でもかんでも敏感に反応して苦労させられたものだ。今ではだいぶ勝手がわかってきて、何でもない匂いは無視したり、遠くの会話みたいな意味のある音だけを拾うこともできるようになってきた。
そして、強化されたと言えば――窓の外。
「……よっ、と!」
人の目がないことを確かめてから、宙に身を投げる。
服がはためき、内臓が浮遊する感覚を経て、着地。――ズン! と足裏から脳天へと衝撃が走るのを、全身のバネを使って受け流す。
……だいぶ、頑丈になってるな。
ショックによる痺れから呼吸一つで脱却し、ブレーキなしで飛び降りた窓と自分の体とを見比べる。
人狼になったことで、骨や筋肉の質も変化したみたいだ。強くなったぶんには大歓迎だけど、今後の育成計画をゼロベースから立て直さなければなりませんな~、とリー老師なんかはすごく楽しそうにしていたっけ。
ともあれ。
ぼくや周りの者たちが、戸惑いながらも人狼化に適応しようとしていたところに、ある人が訪ねてきた。
「シエル様にお会いしたいという方がいらしてますよ」
ソラを経由して伝えられ応接間に出向くと、待っていたのは森の関所にいた常駐医だった。
禿頭に眉毛の老医師は、挨拶もそこそこに前のめりになると、間に挟んだ無垢木のテーブルに登る勢いで詰め寄ってきた。
「坊ちゃま! ワシは……ワシは医者失格でございますぅぅぅぅぅ!!」
ガチ泣きだった。
「うぐっ、えぐっ……わ、ワシはぁ……坊ちゃまの容態を見ただけで諦めてしもうて……。助かるなど考えもせず、安楽死をと……ぉぉおおおいおいおい!!」
「えぇ……。……えっと、人狼の知識があるなら当然だから、気にしないで」
一回りどころか五、六周は年を寄ってる大人が外聞もなく泣きついてくるのは、けっこうキツイので、さっさと冷静になるよう宥める。
こないだのソラとのやり取りと微妙に絵面が重なって……何て言うか、ちょっと嫌だ。
(ケヒヒッ。テメェも言うようになったじゃねェか)
……口には出さないからね。
ほどなく、常駐医を落ち着かせて席へと戻すと、今度はぼくから訊ねる。
「それで、謝罪ならいらないけど、用件はそれだけ?」
「ははっ。実を申しますと、もう一つございましてな。……例の薬についてです」
「薬?」
首を傾げると、常駐医はブンブンと頭が落ちる勢いで頷いた。
「あの場で坊ちゃま自らお作りになられた薬品。ワシも長らく医者をやって参りましたが、初めて見る調合でした。いったい、どうやってあれをお知りになったのか、恥を忍んでお訊ねしたく、こうして参上したのでございます」
「あー、なるほど……」
曖昧な笑みを浮かべて、意識を心の内へと向ける。
ナナ姉さんが作った人狼化適合薬と、変異抑制剤のアレンジ。あれって、何て説明したらいいんだろうか。
……姉さん、あの薬の作り方って。
(前世の知識と直観で思い付いたッス)
……ふざけてるって思われない?
転生に関しては徹底的に隠してきたのに、今さら告白するのもなぁ。
人狼のことはみんな受け入れてくれてるから、魂がたくさんあることだって大丈夫かもしれないけれど、やっぱり気は進まない。
「なにとぞ、なにとぞ教えていただきたく! これまでならば助けられなかった人々の命を、救えるようになるかもしれんのです!」
「う……んと……」
そういう言い方をされると、「忘れちゃった」でごまかせないよな。良心が痛むから。
(ご本で読んだ、とかじゃダメなの? 禁書庫とか)
……家捜しされたらバレるじゃん。
(口から出まかせは、ウチの専門分野じゃないから任せるッス)
(これも経験と思って、自分で考えるのである)
……押し付けてるだけだよね?
こういう事態に限って、別人格は頼りにならない。
さて、どうしようか。
本当のことは言いたくないけど、嘘をついても裏取りされたら余計に面倒くさいことになる。言い訳するなら、真偽の確かめようがない嘘にしないといけないけど……。
…………あ。
一つだけ、思い付いた。
「記憶が曖昧なんだけど、実はあの時……」
自分勝手な都合で振り回してしまうことを胸の中で謝りつつ、ぼくは常駐医に嘘を教えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます