第11話 異世界の秘薬と魔法
「フフ、ヘヘヘ……人狼への変異に際して、一番の懸念は拒絶反応ッス」
不気味にニヤつきながら、ナナ姉さんは呟く。
(きょぜつはんのお……)
「例えば、他人の内臓を埋め込まれたら、普通は死んじゃうッス。これは、『自分自身』じゃないものは攻撃するっていうシステムを、生物が持ってるからなんス」
(結果として命を落とそうとも、異物の排除を優先するのであるか)
「そ。人狼化の死因第一はそれッス」
難しい話だけど、要はこういうことかな。
変異途中のぼくは、体の中が「人間のままな部分」と「人狼に変わった部分」が混ざった状態だ。どちらも自分自身なんだけど、「人間の部分」と「人狼の部分」は他人同士と勘違いして、殺し合いを始めてしまう、と。
「ナイス言語化。……もし生き延びられたら、ちゃんとした知識も教えてあげるッスからね」
……逆に死にそうだからやめて。
苦痛の波が一旦引いたのとテンションの昂りから、冗談を言う余裕も見せつつ、姉さんは次なるクラフトに向けて素材を厳選していく。
(……それで……どういう薬にするんです?)
「さっきも言った通り、変異を止めるフェーズは過ぎてる。だから発想を逆転して、拒絶反応の方を抑制するッス。『人間の部分』と『人狼の部分』が殺し合わなきゃ、最後まで安全に変異できるはずッスから」
変異を止めるんじゃなくて、受け入れるための薬。
発想の柔軟さよりも、驚くのはむしろ早さだ。人狼化は避けられないと知ってみんながショックを受けていた時に、もうそこまで考えを巡らせていたのか。
「……思い出すッス……はぁ、はぁ……知り合いが、変身魔法の副作用でぶっ倒れて、大慌てで作ったポーション……フヘヘ、あれもたいがいギリギリだったッス」
……そっか。新しい薬っていっても、前世で作ったことあるなら確実だね。
「や。前世の作り方は無理なんスけどね」
(……おィ)
このくだり、さっきもやっただろ、と白けた空気になるのを、何がおかしいのか姉さんはケタケタ笑う。
「だって、仕方ないじゃないッスか。こっちの世界だと、材料のマンドラゴラが手に入らないんだもん」
マンドラゴラ……っていうのは知らないけど、何でもこの世界には存在しない薬草らしい。異世界召喚の難易度は前に語った通りだから、今この場に取り寄せる手段は皆無ということになる。
さんざん期待させといて、作れませんというのはヒドい話だけど、姉さんはむしろ愉しそうに胸を弾ませた。
「材料がないなら、他の物で代用するしかないッス。だいたい当たりはつけてるけど、地道に正解を探してる時間なんてないから……ちょっと裏技を使うッスかね」
息を吸う。
吐かずに、気を練る。
魂の奥底から、力がせり上がってくる感覚。
水門の戸が開かれたのにも似た解放感とともに放出される魂の力。霊力とは似て非なるエネルギー――魔力に形を与えるのは、呪紋ではなく、特殊な発声法から紡がれる力ある言の葉『呪文』だ。
【汝、髪の一筋爪の一片に至るまで、主の御手による被造物なれば。其の賜わりし身の上を、我が御詞の前に開き示せ】
――魔法、〈
魔力が呪文に乗り、術者の意思をもって顕現する。
対象は目の前の素材たち。十数種類の薬草・薬石・薬液を、この世ならざる力が捉え、浸透し、解析して、返ってくる。
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流れ込んできたのは、情報の洪水だ。
薬草を形作る細胞を構成する小器官に含まれる成分のもとを辿れば超極小の粒子の集合で。
薬石は単一成分であるのと同時に異なる粒子が結合したもので。
薬液は何種類の粒子がどんな状態で混ざっていて。
一と思っていたものが兆の兆倍もの単位に細分化されて、そのすべてが一度に押し付けられた。天文学的な情報量に脳細胞は灼熱し、頭蓋骨のなかでブクブク沸騰しているかのような錯覚を覚える。
知恵熱、と呼ぶものなんだろうけれど、人狼化の苦しみが消し飛ぶほどのそれは、まるで天罰の業火だ。ぼくも、デュオ陛下たち別人格も言葉すら出ない中で、肉体を主導するナナ姉さんは――
「フ…………フヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャッッ!!」
けたたましい笑い声を上げていた。
「せ、先生。坊っちゃんが!?」
「いかん! 人狼の狂気に冒されたのやもしれん!」
全身を痙攣させて哄笑する姉さんに、ここまで遠巻きに様子を眺めていた常駐医たちが掴みかかってくる。医師だけあって錯乱した患者を抑えるのは慣れてるものの、武人の技術ではないから力の入れ方が馬鹿正直で、ナナ姉さんがちょっと受け流しただけで総崩れになってしまった。
(空心流柔術、
(言っている場合ではないのであるがな)
傍目にはおかしな光景に映るんだろうな。こちらはほとんど動いていないのに、医師たちが自分から転げ回ってるんだから。
数人がかりの妨害をものともせずに、姉さんは素材の加工に取りかかる。
――ズタズタにした鬼婆人参を亜鉛等の溶液に浸す。
――
――溶液の染み込んだ鬼婆人参を、順に五種の薬品に通すことで必要な成分だけを抽出。
――タダレ蟲の毒で溶かした薬用真珠を三粒。
同じ肉体、同じ頭脳であるはずのぼくにすら、理解が及ばない。
莫大な情報の中から、どれが求める効能に影響していて、どうすれば必要な形に仕上げることができるのか、ナナ姉さんは前世の知識と独自のセンスにより瞬時に解明し、手作業で組み立てていく。
そうして、頃合いになった烏兜の根汁を火から下ろしたところで、満を持して子ども部屋のドアが乱暴に開かれた。
「お待たせした……って、どういう状況ですか?」
息を切らして帰ってきたソラが死屍累々の医師たちに目を丸くするのは、さておくとして。
彼女は人狼の解体を無事に行い、唾液腺を取ってきてくれていた。唾液腺とは名前の通り、唾液を作るための器官なんだけど、三種類もあるらしい。
注文通りに冷凍して持ち込まれたそれらを、ナナ姉さんは一つずつ乳鉢ですり潰しては、生理食塩水に混ぜていく。
「フッヒャヒャ……感染の条件が『咬まれる』ことで、人狼の返り血を浴びたはずのソラが感染していないことからも、変異因子は唾液にのみ含まれていると推測できるッス。だから唾液腺を……すれば……」
「し、シエル様……?」
笑ったりブツブツ言ったりでソラが戸惑っているみたいだけど、表人格の視野が狭まっているので気にすることはできない。
異名のごとく熱狂している姉さんの眼中にあるのは、水中でゆっくりと解凍されていく唾液腺の粉末だけだ。
透明だった塩水は赤黒く濁り、ビーカーの底にはくず肉みたいな塊が沈殿して、上澄みには黄色っぽい油みたいな層ができあがる。
(成分が分離されましたな)
……見た目は、三種類とも同じ感じだね。
「だから、見た目以外でどこが違うのかを【量子解析】ッス」
もう一度、姉さんは魔法を使って、脳みそが蒸発するかのような発熱と引き換えに分離した成分の内訳を分子レベルで把握。悩むことなく三番目のビーカーから上澄みだけを取り出すと、先に作っておいたものに一滴垂らした。
額を拭う。
前のめりになっていた背筋を伸ばす。
「完成、ッス。これで、理論上は――――ぅぐ!?」
気が緩んだ瞬間、これまでにない激痛が襲ってきた。
全身の筋肉が千切れ、骨という骨が引き裂かれる。体内に腕を突っ込まれ弄りまわされているかのような痛みと不快感だ。姉さんの熱狂も【量子解析】の高熱も止んだ今では気を紛らわす術もない。
「こ、この感覚……ヤバ……もうステージ3まで…………」
胃の中身どころか内蔵全部を嘔吐しそうな苦痛に苛まれながら、ナナ姉さんは最後の力を振り絞る。
急速にぼやけていく目を必死に凝らし、完成した薬を計量。震える指に鞭打って、自ら口に運ぶ。
――死ぬほど、不味かった。
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