第10話 変異抑制剤

 ソラが出ていった後、常駐医にもメモを渡して送り出すと、ぼくの体はベッドに倒れ込んだ。

 苦しい。高熱と激痛が体中を苛んでいて、今にも眠りの世界に逆戻りしてしまいそうだ。どうにかこうにか動くことができているのは、肉体の支配権を得たナナ姉さんの気力と、リー老師の鍛錬のおかげだろうか。


(この状態で、調薬などできるのであるか? ましてや、未だかつて誰も作ったことのない新しい薬を、何の手がかりもなしに)

「……ヒントなら……あるッスよ」


 デュオ陛下の問いに、ナナ姉さんは気だるそうに答えた。


「ウチのいた世界じゃ……こっちの霊術なんかより、ずっと多彩な魔法があった……。ハァ、ハァ……動物に、変身する魔法も。……それ関係で、何種類かポーションを作ったことがあったッスから……それを応用すれば、なんとか……」


熱狂の錬金術師ファナティック・アルケミスト』、ナナ。

 享年こそ十九才だけど、その短い半生で483の新薬と321の魔法道具と81の新素材を発明し、千を超える魔法術式を改良し、13の古代遺物を発掘して修復した、世紀の天才少女。この世界に存在しないものを即興で作りだす、なんて大風呂敷も、可能なんじゃないかと思えるくらい偉大な功績の持ち主だ。


「必要な薬は……二種類。まずは特効薬――変異抑制剤の改造が、先ッスかね」


 そう言ってドアに目を向けると、助手を引き連れた常駐医が戻ってきたところだった。各々が、試験管やビーカーや薬草毒草、薬瓶の数々を抱えている。この時代の八州帝国にはまだまだ珍しいガラス製の道具がこんなに揃っているのは、伯爵家の財力が優れているのと、森から豊富な素材が手に入るという環境によるところが大きいんだとか。


「ただいま戻りました。指示された物は、これで全部です」

「……ども、ッス」


 言葉少なく礼を言って、もうひと踏ん張り。

 再び起き上がると、ベッド脇に設置された作業台から黒っぽい小瓶を取った。ラベルには「人狼変異抑制剤」と書かれている。


「……こいつの効果は、変異因子の不活性化。ステージ2になると、もう活性化した変異因子が増殖を始めてて、薬の効く段階を過ぎちゃってるんス。だけど……だから……ブツブツブツブツブツブツブツブツ」


 誰に聞かせるわけでもない、回転する思考を小声に漏らしながら、姉さんは瓶の中身を試験管に移すと、別の素材をすばやく加工し始めた。


「せ、先生。坊ちゃんは何をしようと……?」

「……ワシにもわからん。だが、恐ろしいほどに手際がいい」


 常駐医と助手が何か囁き合ってるけど、ナナ姉さんが手元の作業に集中するあまり、別人格であるぼくらでさえ聞き取ることができない。


 ――猫泣き草の根っこを水の中でほぐすと、水が白っぽくなって粘り気を帯びてくる。

 ――これは毒なので、適切な比率の蟻酸を加えて中和(加えすぎると粘り気がなくなるから注意する)。

 ――その後、アルコールで薄めて、鉄の匙でかき混ぜながら火にかける。

 ――酒気が飛んだところで火から離し、恋白糖を少量溶かしたら、鍋ごと冷水で急冷。


 一心不乱の境地で完成させたものを、姉さんは試験管の特効薬に一滴二滴と垂らして混ぜると、おもむろに自身の鼻へとあてがった。

 息を止める。

 グイとあおる。

 トロリと白濁した液体が、鼻腔に流れ込んでくる。


「……ふぐ!?」


 針で刺すような、麻痺した嗅覚をも貫通する生臭さにむせ返った。

 反射的に吹き出したくなるのを我慢して鼻を摘まみ、ギュッと目をつむって涙をこらえ、薬液が奥の方まで浸透するのを待つ。


「……。……。……………………ぶふぁっ!!」


 十秒ほども耐えた辺りで、限界がきた。

 すかさず助手の一人がハンカチをくれたので鼻水を拭いて、深呼吸……クサい。たまらず香草を鼻につめるけど、内部が薬の悪臭でいっぱいだから、どうにもならない。


(ギャイン、ギャイン、ギャイン!?)

(くちゃいの――っ!!)

「ぶっ……ふー、ふー…………ほ、ほれは、必要ひふよう犠牲ひへいッフ」


 しばし七転八倒していると、鼻が慣れて少し楽になってきた。

 オロオロと取り囲む医師らを追い払って、持ち直した姉さんは弱々しく笑みを浮かべる。


「と、とりあえず……これで、理論上は……」

 ……死ななくて済む?

「それはまだわからないッス」

(おィ)


 しれっと肩を透かして、姉さんは水で喉をうるおした。


「人狼化による問題は二つッスよ。今のは後者、理性の喪失を防ぐための処置っす」

(ホホウ、どういうことですかな?)

「気が狂う理由は、ウチの予想だと脳に……ゴホッ」


 悪臭の余韻でしゃべるのが辛いので、姉さんは思考だけで説明してくれた。


 おそらく、肉体が人狼へと変異する時に、脳みそも形を変えてしまうんだ。そのため、死ななかったとしても人間として頭を使うことができなくなるんじゃないかって。

 他にも精神的な理由、人でなくなった自分自身を受け入れられずに心が壊れてしまう、なんて可能性も考えられるけど……その点では、ぼくらに限っては大丈夫かもしれない。


 ……犬の人格を抱えてても、平気なくらいだからね。

(わふ?)


 さておき。

 猫泣き草の成分を混ぜた変異抑制剤を、脳と密接している鼻腔から摂取した。ナナ姉さんの見立てでは、これで理性を失うことは避けられるみたいだ。

 だけど、これだけでは、もう一つの大きな問題を解決することはできない。


 ――被害者の七割は、人狼化に耐えられず命を落とす。


 テータの正確性はともかく、健康な大人も含めた七割だ。九歳の子どもなら、確率はもっと高いだろう。


「こっから先は……抑制剤をイジるだけじゃ、無理ッス。……これまでにない発想。一から新しい薬を作らなきゃ……」


 変異の苦痛はいや増す一方で、どこまで体が動いてくれるかもわかない。

 残された課題は最大の難関。

 絶望的な状況だ。

 なのに、ナナ姉さんは口の端を大きくゆがめて、赤い三日月を作る。


「えへ……ヘヘヘヘヘ。……いいッスねぇ。こんだけギリッギリなクラフトは、死ぬ直前ぶりッスか?」

(……わ、笑ってるの)

(ア、ハァ。……わからないでも、ないですけどね)

(強敵と会いまみえるのは、大なり小なり胸躍るものですからな)

(ケヒヒッ。物作りでこうなるヤツは初めて見たけどなァ)


 危機に瀕して昂ぶり始める姉さん。見たことのないハイテンションに、各々ドン引きないし共感を覚えるぼくら別人格だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る