人狼感染と錬金術師
第6話 深き森の遺跡
今日は控えめとはいえ夏の日差しはサンサンとしており、湿り気の残っていた竜馬の体はすぐに乾かされて、水草の匂いが混じった湯気を涼しい風が吹き払っていった。
アルクアン伯爵家の居城をいただく小高い丘から西へ、曲がりくねった坂道を下っていくと城下町が見えてくる。警備中の衛兵や一休みしている労働者がこちらに気付いて会釈するので、手を振って応えるんだけど、以前なら遊び回る子どもや喜捨を求める路上生活者を見かけたのがほとんどいない。
イトの言っていた人攫いのせいだろうかと案じつつ、手綱を右手にきって道なりに進むと、領森の入り口を守る関所に行き着いた。
アンブス樹海。
アルクアン伯爵家直轄の、領地北方のかなりの面積を占める大きな森だ。
季節ごとに、食べ物や薬や木材などさまざまな恵みを得ることができる森は大切な財産であり、勝手な狩猟採集はできないようになっていた。人里との境界は堅く鋭い刃葉樹の生け垣で仕切られ、唯一の出入り口は頑丈な石造りの関所によって、人の立ち入りを厳しく管理している。
それは一人息子のぼくですら例外ではなくて、毎回父様に許可を願って関所に連絡してもらわないと通してもらえない。
「お待ちしておりました、シエル坊っちゃま。暑いところを大変だったでしょう。冷たい飲み物をお出ししますよ。そうだ先日、船州の行商から渡来品のお菓子を仕入れまして。坊っちゃまのお口に合うかはわかりませんが、どうぞよければ……」
「いや、そんなことよりも森の遺跡に入りたいんだけど」
関所を訪ねると、森代官のシュシュタイさん――ポッチャリと低身長な、リー老師いわく「鏡餅みたいな」おじさんだ――が揉み手をしながら出迎えてくれるけれど、相手をしていたらキリがないのですげなく断る。
会話を打ち切って許可証を提示し、物足りなさそうなシュシュタイさんを振り切って森の中へ。
(……霊術による転移には、かなりの霊力がかかるのである)
夏に入って草木の勢いが増した樹海に分け入りながら、デュオ陛下が思考を整理するように呟くのが聞こえた。
(対象の大きさ、重さ、転移させる距離や霊的障害に応じるのであるが、霊術でも最もコストを食うのが転移方だ)
(魂の重さは、大人でおおよそ体重の1/3500。軽いもんッスけど、存在が捉えどころないから対象指定が難しいし、何より異なる世界を渡すのがヤバいッスね)
(うむ。よほどの才覚に恵まれた術者か、大規模な儀式のいずれかを用いた上で、大量の霊力を注ぎ込んでようやく、分の悪い賭けができるレベルである)
そこまでの才能がある霊術士は、現代の八州帝国にはいない。別人格たちが母様のお腹に宿った十年前にも、いた痕跡はなかった。少なくとも、表向きには。
だったら、才能を補うだけの儀式装置が用意されたと考えた方が自然だ。もちろん、こっちも表向きには見つかっていないけれど、まだ隠すのが簡単だから、なんだって。
ザクッ!
先頭を行くレットが、剣を振るって枝垂れた若木を斬り払うと、深緑に埋め尽くされていた視界が一気に開けた。
うっそうとした森の中に、突如として現れたのは『テノドス遺跡』と名付けられた遺跡群だ。森から伸びるツタや雑草になかば飲み込まれた石造りの建物が、五つばかり並んでいる。
テノドス遺跡が発見されたのは意外と最近で、先代当主であるじい様の代。石の組み方が城や関所とは違って、かなり古いことがうかがえるけど、詳細はわかっていない。じい様が知り合いで考古学に詳しい貴族に見てもらったけど、異教徒の遺跡で価値はないって言われたんだって。国教のテス教関連なら発掘調査しないとだし、邪教関連なら破壊しないといけないけど、どっちでもないなら教会からやかましく言われることもない。お金を使いたくないじい様は放置を選択し、そのまま現在に至っていた。
「森の奥に、こんな遺跡があったんですね」
馬から下りて、ソラが驚いた風に言った。
長年見向きもされてこなかったから、ぼくが遺跡の存在を知ったのもつい去年のことだ。彼女が訪れるのは、初めてのことである。
ただ、放置されているわりには草木が少なく、獣が住み着いている気配もない。猟師や木こりなど、森で働く人たちが奥まで来た時、拠点として使っているからだ。ぼくが遺跡に興味を持って通うようになってからは、シュシュタイさんが森番に巡回させているとも聞いている。
「お貴族さまの考えるこたぁよくわかりませんや。こんなとこまで来て、何になるんだか」
「こういうところ、ってだけで十分に面白いよ」
遺跡探索に来たのは、これで四回目。
本当の目的は教えられないので、無邪気な子どもの探検ごっこを装っている。
――異世界召喚の儀式を行うのに必要なのは、霊術の効果を高めるための設備と、参加する大勢の術者。
それらを内包できる広い空間。出入りの制限された、人目を忍ぶにはもってこいなアンブス樹海の奥地。儀式場とするのに、テノドス遺跡は最適だ。もしも儀式を行った場所を特定できれば、多重人格の原因を探るための大きな手がかりになると、ぼくらは見立てていた。
「おれぁ何でも結構ですがね。んじゃ、さっさと始めましょうや」
適当な場所に竜馬を繋いで、ぶらぶらと歩き出す。
辟易しているのを隠しもしない不遜なレットに苦笑しつつ、ソラはむっと眉を吊り上げて、後に続いた。
先頭はレットが警戒し、ぼくを挟んでソラがしんがりという並び。過去の四回で遺跡の建物を一つずつ調べてきているので、今回の目当ては最後の一つ。すみっこの方にある小さな――――……あれ?
……なんだろう?
違和感が、意識を掠めた。
正体はわからない。気のせいと言ってしまえばそこまでの、ほんのわずかな引っかかり。
(グルルル)
(ア、ハァ……無視しない方が、良さそうですよ)
感知した何かを、一部の別人格は理解することができたみたいだ。
こういうのは、従っておくに限る。
「今日は、あそこを調べてみたいな」
おもむろに、ぼくは足を止めると左手にある建物を指した。水車小屋サイズで、半分ほどが倒壊してしまっている。
「あれは、もう調べたとこじゃねぇですかい。何にも見つからなかったでしょう?」
「そうなんだけど……なんとなく、さ」
「どうせなら、まだ手ぇ付けてねぇとこを先に見ときやせんか?」
「……何でもいいんじゃなかったんですか?」
食い下がろうとするレットを、ソラが半眼で睨む。
斜に構えていたくせに、その実は探検ごっこを楽しみにしてたのかな?
ともあれ、決定権はぼくにあるので、押し通させてもらう。
方向転換したら、まずはレットが一人で内部の安全確認。その後は入れ違いに外で警備に立ってもらって、ぼくとソラが中へと入る。
「何もない、というのは確かにその通りですね」
窓のない壁に囲まれた暗い屋内を見渡して、ソラが呟いた。
建物の中にはがらんどうの部屋が一つだけ。元は他にも部屋があったのかもしれないけど、崩落していて跡形もない。夏の日差しを遮ってくれるからヒヤリと涼しいけれど、風通しが悪いので今以上に暑くなると逆に蒸し風呂状態になるのでは、と予想される。
――入ってはみたものの、一通り調べ尽くした後で何を探したらいいものか。
思案するぼくの横で、ソラが取り出したランプに火を点けると、暗かった部屋がオレンジ色に照らされた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます