多重人格者の4ルール
第3話 『賢王』デュオ
魂たちによる肉体の争奪戦は、苛烈の一言に尽きた。
互いが互いに相手を滅ぼそうとし、追い出そうとし、またそれに反撃する。母様のお腹に宿ってから一秒たりとも絶えることなく争い続け、だけど結局は一人も脱落しないまま十月十日の時が流れて出産を迎えるまでに至って、みんなはついに戦いを終わらせる決意をした。
同じ肉体に、他の魂たちと共存することを受け入れたんだ。
和平交渉においては非暴力による全員参加の話し合いが設けられ、四つのルールが制定された。
ルール① 『無垢なる者』を主人格とする。
真っ先に作られたルールがこれ。
誰が肉体の支配権を持つとしても合意は得られない。だったら全員そろって権利を手放し、誰でもない『無垢なる者』――つまり、ぼくを代表にするのが一番平等な落としどころだったわけだ。
原則として、体をどう使って何を為すのかは主人格に一任され、他はサブの人格として内面に引っ込んでいてくれる。おかげで、まっさらだった魂は自分なりの色に染まることができ、ちゃんと『ぼく』という独立した自我が確立された。
そうして、年相応に成長してから夏を迎えること九度目にして、今日に至るわけだ。
「シエル様、午前のお勉強の時間ですよ」
子ども部屋のドアがノックされて、ソラが顔を見せた。
帝立学院を卒業して帰ってきたソラは、アルクアン伯爵家と正式に雇用契約を結んだ。職務内容は、ぼくの専属メイド。歳の近い使用人では一番付き合いが長くて、長期休暇の際には帰省するたびに遊び相手をしてくれていたから、それの延長だ。着任してまだ数日だけど、支給された
「イトは来ないの?」
「今日はわたしが代わりです。もしかして、母の方がよかったですか?」
「や、別にそんなことはないけど……」
「ふふふ。ならよかったです」
ソラは冗談っぽく笑って、持ってきた参考書を勉強机に置いた。
「母からは、古典文学の『
「八州統合暦532年に、皇帝デュオ六世の命を受けたチアラ伯爵家の下で作られた、初代デュオ帝の英雄譚を下敷きにした物語の一つ。帝国の求心力が落ち込んでたのを取り戻そうとする目的があったんじゃないかって。この辺りからバトルシーンの多い話が増えてきてて、戦国時代へと移っていく象徴でもあるよね」
「や、やりますね」
スラスラと答えたら、ソラは冷や汗をかきつつも負けることなく参考書を開く。
「――冒頭の、人狼の群れが現れる場面なんですけど」
「聖典にも似たような言い回しがあったよね」
「はい。明らかに意識してはいるんですけど、実はここの表現について去年、歴史家でもあるアーチャ公爵が論文を書いていまして……」
物語を追いかけながら、どんな背景が読み取れるかソラと意見を交わす。さすがに帝立学院を主席卒業しただけあって物知りだし説明も上手いんだけど、ソラの方も舌を巻いたみたいだ。
「すごいですね、シエル様。理解が早いくて深いし、質問も鋭い。教えるつもりで来たのに、むしろわたしが教えてもらってる気がしてきました」
「そ、それは大げさじゃないかな……」
手放しで褒められると面映ゆいけれど、こういった歴史――特に初代皇帝に関わる内容に詳しいのには、タネがあったりする。
……なんたって、当の本人がいるんだもの。ね、デュオ陛下。
(まあ……いかにも。その通りであるな)
心の内に語りかけると、肩を竦めるような気配が返ってきた。
『賢王』デュオ。
ぼくの中にいる人格の一人で、どっしりと大岩のように落ち着きのある“声”をした、教師であり父親のような存在だ。
前世は千年前。海の向こうから流れ着き、『建国の八部族』をまとめ上げて八州帝国の礎を築いた初代皇帝その人。享年43才。若くして病に倒れたその魂が、現代に転生したのが彼なのだという。
様々な偉業を成し遂げ、バラバラの無法地帯だった八州に平和をもたらした英雄として、歴代でもトップクラスに名高い皇帝だ。
(そこまで立派ものでもないがな。人狼の件にしても、物語に書かれているような華々しいことはなかったのである)
……そうなんだ?
(うむ。たとえばクライマックスの、人狼の大群を全滅させた場面であるが、実際にはかなりの数を取り逃がしていてな。後々にまで被害を広げてしまったのだ)
デュオ陛下はいつもこんな感じで、前世の思い出を色々と話してくれた。
歴史には伝わっていない真実というのは、いつだって好奇心をくすぐられる。ただ、陛下の話はいつも授業の補足をする程度で、具体的な内容を訊こうとすると途端に言葉を濁すんだよね。
人狼との戦い、家臣とのやり取り、何を考え何を感じたのか、英雄譚の主人公が体験した本人視点の記憶なんて絶対に面白いと思うんだけど……。
(知っても楽しいことではないし、何の役にも立たぬからな)
そう言われてしまったら、無理に聞き出すわけにもいかない。
ルール② 各人格の独立を尊重し、互いに侵害しない。
殺し合いにまで発展した者同士が共存するための不可侵条約。
肉体を同じくし、多くを譲り合わなければならない中で、前世の記憶というのは数少ないプライバシーだ。それを踏み越えるのは主人格のぼくであっても許されない。……というのは理解してるものの、釈然としないところもある。今生での経験はみんな共有だから、前世のないぼくだけ不公平なんじゃないかって。
(文句言うんじゃねェや。代わりに主人格として好き勝手動けてるんだからよォ)
(心の中で考えるのは、秘密にしてもいいの)
不満を述べても、誰も取り合ってはくれない。それどころか、これはぼくのためでもあるから、ってたしなめられる始末だ。
(我らが主人格くんは、成長途中ッスからね。あんまり他人の記憶に触れてると、自我の形成に悪影響があるッス。大人になるまでは、前世なんかより今の人生に集中するべきッスよ)
……物心つく前ならわかるけど、もう『ぼく』っていう自我が出来上がってるんだからいいんじゃないの?
(いえ。……まだまだ多感な年頃ですから……小生の前世は、いささか刺激が強すぎます)
……むう。
意地悪で言ってるわけじゃないのは伝わるから、結局はぼくが引き下がることになるんだけど、キレイさっぱり納得できるものでもない。
子どもっぽいことは承知でヘソを曲げていたら、つい表に出してしまったのかソラが反応してしまった。
「どこか、気になるところがありましたか?」
と、顔を寄せてきて、ぼくが睨んでいた本のページを覗き込む。
フワリ
揺れた髪が頬を撫でて、花の香りが鼻先を掠めた。
不意の接近に甘い電流が走り、耳が熱くなるのを感じる。
(うむ)
(フフッ)
(ホッホッホッ)
(ケッ)
(なの?)
(くぅん)
……なんだよ。
心の中のことは秘密にできるはずなのに、見透かしたような生暖かい気配が向けられる――わかってなさそうな人格もいるけど――のは、はなはだ不本意なことだった。
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