第2話 転生オーバーブッキング

 ――デュオが意識を取り戻したのは、母の胎内だった。


 暗くて何も見えない。

 ひたすらに温かく心地よく、まどろみに満たされて浮かんでいる。

 聞こえてくるのは、心臓の鼓動だけ。自分のものではない、優しくも力強い太鼓が一定のリズムで体を揺さぶる。

 飢えも乾きもなく、繋がったヘソの緒を通じて生命が交流するのを感じることができた。


(吾輩は死んだものと思っていたのであるが……なるほど、これが『転生』というものか。思想だけは知っていたが、よもや我が身に起こるとはな)


 死んだはずの自分自身が胎児になっているという稀有な状況に、しばしデュオは感慨深くひたっていたのだが、どれほど時間が経っただろうか、奇妙なことが起こった。


(ホホウ。これが生まれ変わりですかな)

(む?)


 身の内に、別人の“声”が生じたのである。

 デュオよりもずっと老いた男だ。

 老爺もまたデュオに気付いたようで、不審がるような気配を向けてくる。


(どちら様ですかな?)

(それは吾輩の台詞であるが……)

(ふゆ? ここ、どこなの?)


 またも別人の、今度は幼い少女の“声”。

 聞こえてくるのは、あくまでも自身の内側から。精神世界だけに聞こえる心の声だ。


 ――もしや、輪廻転生なんかに驚いているヒマもないくらいの、異常事態が起こっているのではないか。


 デュオと老爺はともに黙り込み、そうしているうちにも次々と新たなる“声”は生まれてきて、静かだった胎内はたちまち騒然となった。


(どうなってんだァ。オレァ死んだんじゃなかったのかァ?)

(……。……死後の世界、にしては……華やかさに欠けますね)

(メッチャ興味深いッス!)

(わんわん!)


 老若男女どころか犬までいる。

 誰一人として事態を完璧に把握できている者はいなかった。ただ話を聞いていてわかった唯一の共通点は、全員が命を落として気付いたら胎内に宿っていた転生者であるということだ。


(あー、諸君。まずは自己紹介でも……)

(赤ん坊に戻って人生やり直し、ってかァ? オカルトにも程があるぜ。人間、死んだら肉になって終わりだろォがよ)

(……いや。魂が残ってれば……生まれ変わることくらい、あり得ますよ)

(魂などと当然のように言われると、異世界の人間とでも話している気分になりますな~)

(魂って、あたりまえじゃないの?)


 ……これは、良くないな。


 デュオは眉をひそめたが――今のデュオに眉があるのかは定かでないが――他の“声”たちは気にした風もなく好き勝手に言いたいことを言い合っている。

 先ほどから何度も口を挟もうとはしているものの、なかなか我の強い連中らしく興味のないことには耳を貸さないため、話題を誘導することもできない。

 そうこうしているうちに、“声”の一人が決定的な論点に触れてしまった。


(んなことよりも、いいッスか? 最大の問題は、この子宮の中には胎児が一人しかいないってことッスよ)

(どういうこった?)

(ア、ハァ。……、ということですね)


 知的な“声”の指摘を、陰気な“声”が噛み砕く。


(……魂は、一つの肉体に一つだけ宿るもの、です。なのに……ここには、小生を含めて、何人もの魂がいるのに、赤ん坊の体は、一つしかない)

(え……みんなで分けっこしたらダメなの?)

(今のとこ、胎児が死んでないから不可能ではなさそッスね。ウチは嫌ッスけど)

(同じ体に別々の人間が宿るのが難しい、というのはワタクシにもわかりますぞ。船頭多くして船山に上る、とも言いますからな~。視線をどこに向けるかだけでも、喧嘩が起こりかねない)


 他の魂たちにも、理解が浸透していった。

 母の中から産まれ出て、成長し、どこへ行って何をするのか。一つの肉体で選ぶことのできる人生は一種類しかない。では、その『一種類』を選ぶ権利を持つのは誰なのか? 権利を得られなかった者はどうなるのか?


(やれやれ、もうそこまで至るとは。皆、思考が早いのである)


 デュオは嘆息した。

 彼は先んじて問題に気付いた上で、あえて触れずにいるつもりだった。コミュニケーションを取り合って『不可思議な状況に放り込まれた同士』という関係性を築きたかったのだが、『一つしかないポジションを争う敵』になってしまったのは最悪の展開である。


(根回しもなしに制御できるような相手ではなかったな。さて、吾輩自身は二周目の人生など大して執着もないが、いかに立ち回ったものか……む?)


 ここから何をどうするのがベストなのか、他の“声”を聞きながら思案を巡らせていると、ふとあるものが意識に留まった。


 ――魂である。


 無色透明な、一切の添加もなくそこに存在しているだけの魂だ。

 名付けるなら、『無垢なる者』とでも呼ぼうか。

 一言も“声”を発することなく、何らかの意図はおろか知性の欠片すらも見当たらない。ただ、彼らの中でもっとも幼そうな少女よりもなお純粋で、犬ですら敵わないくらい素直なまなざしで、じっとデュオたちのことを観察しているのを感じた。


(……話ァだいたいわかった)


 気が逸れているうちに、粗暴な“声”が低く唸った。


(要はァ、テメェらが邪魔だってこったろォ)


 湧き上がる殺気が、急激に冷たく鋭くなっていく。

 触れただけで八つ裂きにされてしまいそうな、刀剣にも似たそれは、否応なく場の緊張感を極限まで高めた。


(ケヒヒッ! 魂だか何だか知らねェが、斬り裂いてやりァ殺せるよなァ?)

(ぴぇ! 怖いのヤなの)

(暴力的……美しくありません)

(悪いッスけど、ウチはやり残したことがあるんで、消えられないッス)

(結局こうなるのは、いつどこの世でも同じなのですな~)

(ガルルルル)


 若い男に呼応して、他の“声”たちも闘志を高めていく。

 もはや、全面戦争は避けられそうになかった。


   *


「……あっ」


 陽当たりの良いテラス。

 ゆったりとしたドレスを着た女性が、大きく膨らんだ腹に手を当てた。


「どうかしたか!?」


 夫が血相を変えて駆け寄ってくるので、女性は呆れ半分安心させるようにほほ笑み返す。


「ちょっとびっくりしただけですよ。今、お腹を蹴ったんです」

「っ……! そうか、そうか」


 大事ないとわかると、夫は相好を崩して同じように女性の腹に手を当てる。

 愛おしそうに撫でていると――ドッ! と内側からの打撃が伝わった。まるで命懸けの死闘でも繰り広げているかのような、全力の蹴りである。


「おおっ! なんて力強い」

「きっと、元気な子が生まれてきてくれますね」


 若い夫妻は嬉しそうに笑い合い、キスを交わす。

 どこまでも幸福に満ち溢れた、平和な光景がそこにはあった。

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