少年貴族に九魂あり!

黒姫小旅

誕生、九魂の勇者

第1話 ぼくと乳母と乳姉弟

 魂は一人に一つと相場が決まっている。

 一つの肉体につき、心臓が一つであるように。脳は一つしかないように。魂もまた一つきり。

 無くてはならないけど、逆に数が多くても生命が持たないし、他人の者を埋め込まれでもすればそれこそ死んでしまうだろう。


「目に見えないカラわかりづらいケド、魂というノを考える際には大事なゲンソクなのネ」


 机に向かうぼくの傍らに立って、イトが旧州訛りのある八州やしま帝国公用語で講義する。

 沈香木のように深く上品に薫る、八州原住の極東民族に特有な艶めく黒髪を編んでまとめた女性だ。線の細いわりに大きな胸と腰から脚にかけての曲線が見事なバランスを保っており、飾り気のないドレスを着こなしている。スタイルの良さと極東風の平たい顔立ちのために若く見られがちだけど、これでもぼくより七つも年上の娘を持つ一児の母親だった。

 ぼくにとっては乳母であり、お乳を必要としなくなってからは教育係として学問や礼儀作法を教えてくれている、世話されっぱなしな存在である。


(ケヒヒッ。乳母ってのはつまり、赤ん坊のころは毎日あのおっぱいにだなァ……)

(空腹のあまり、恥も外聞もなかったのである)

(泣く・飲む・眠るでキャパオーバーだったッスよね)


 …………。

 頭の中の“声”が何か言ってるけど、さておくとして。


 いつも通り勉強に勤しんでいると、遠くでベルの音が聞こえた。門番が鳴らす合図で、数パターンあるうちのこれは「予定にある来訪者」を意味する音だ。

 今日の予定で門番がベルを鳴らすような相手というと、一人しかいない。


「おや、娘が帰ってきたみたいダネ」


 ベルに気付いたイトが、教本から顔を上げた。

 ちょっと考えるように首を傾げてから、手元の本と、ぼくが書き込んでいた紙と、ぼくの物欲しそうな表情を見比べて、苦笑気味に嘆息する。


「ちょっと早いケド、休憩にしようカ」

「いいの!」

「そんな顔をされタラ、ダメとは言えないネ。ワタシも後から行くカラ、先に行っておいで」

「うん!」


 許可をもらったので、ぼくはペンを置いて自室を飛び出していった。

 古めかしい石造りの廊下を走りながら、城の間取りを思い浮かべる。三階の子ども部屋から階段で下まで行こうとしたら、だいぶ遠回りになってしまうので面倒なんだ。


(ア、ハァ。……小生が、ショートカットしますか)

「うん、お願い」


 “声”に頷き返して、ぼくは別人へと交代した。

 別に姿形が変わったわけじゃない。色素の薄い肌もブロンドの髪も、未成熟な九才児の肉体はそのままだ。けれど、唇の描く角度や瞳の輝き、まとう雰囲気はガラリと豹変している。


「ア……ハァ」


 ぼくの口から、ぼくの声で、ぼくじゃない人の言葉が漏れた。

 足が止まって、指を鳴らす。

 熟練の目つきで窓の外をうかがい、探知した人の気配は、警備中の衛兵が二人と庭師の師弟が一組。

 彼らの視線がよそを向いた瞬間、三階の窓から身を投げた。


 バサバサッ!


 薄手の白いシャツが風を受けてたなびく。

 内臓が浮く感覚とともに落ちていく体を、二階の窓枠に指を引っ掛けてブレーキ。

 その後に再落下。

 一階の窓枠に爪先で着地したら、猫よろしく捻りジャンプで地面へと飛び下りる。


 ざっと身長の五倍は下らない高さから無傷で落ちきった。直後、城壁の上から外を見張っていた衛兵がこちらを向いたので手を振ってやったら、狐につままれたような顔をしていた。

 なんでこんなところにいるのか、なんて追及されると面倒なので、さっさと移動する。

 再び交代してぼくに戻り、ゆっくり閉じようとしていた玄関扉からすべり込むと、そこにはぼくが待ち望んでいた少女の後ろ姿があった。


 まっすぐ背中に流した極東風の美しい黒髪。ゴツい旅行カバンに、黒を基調としたロングスカート。帝立学院の制服はよく見るとだいぶ着古されていたけれど、丁寧に手入れされており持ち主の几帳面な性格が読み取れる。

 彼女の名はソラ。イトの一人娘で、歳の離れたぼくの乳姉弟だ。


「ソラ、おかえり」

「っ! シエル様!」


 振り返った笑顔は、母親によく似ていた。特に差異を挙げるとしたら、公用語が流暢なのと、体格が一回り小さいのと、大きな瞳があどけない印象を与えるところだろうか。

 広げられた腕の中へ勢いよく飛び込むと、梔子花のような甘い香りと幸福な柔らかさに包まれる。


「卒業試験、一番だったんでしょ。おめでとう」

「はい、ありがとうございます」


 制服の左胸に刺繍された校章が頬に食い込んで痛いけど、構うことなく力いっぱい抱きしめ合って再会を温めていると、背後から歩いてきた人が覆いかぶさってきた。

 むぎゅ

 と、ソラより少し高い位置から、柔らかな重みが後頭部にのしかかる。


「ソラ……」

「お母さん……」


 イトが旧州の言葉で何かを言うと、ソラは感極まったように声を詰まらせた。

 それはそれとして、前後から挟み込まれるとさすがに色々苦しくなってきたんだけれど。


(ホッホッホ。役得ですな~)

(くるしいのに、うれしいなの?)

(わふ?)

「そ、そんなこと考えてないよ!」


 人聞きの悪いことを言われて、つい声に出して反発したら、聞かれてしまったみたいだ。


「シエル坊ちゃん、何か言ったカ?」


 頭上からの怪訝な視線を感じて、ぼくはごまかすようにハグのサンドイッチから離脱する。胸中では残念がるような“声”も聞こえた気がするけれど、気にしない。


 辺境貴族アルクアン伯爵家の嫡男シエル・I・アルクアンには、秘密があった。ソラにもイトにも、両親にだって明かしていない大きな秘密。


 ――別人格として、複数の魂を持っているということ。


 普通、魂は一人に一つのはずなのに、どうしてぼくだけがこんな風に生まれついたのか、当時はさっぱりわからなかった。

 やがては思わぬ形で理由が明らかになるんだけど……そうだね。今回は、その物語を話していくことにしようか。

 まずは、昔の回想から始めさせてもらう。

 ぼくが誕生する以前のことだ。

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