本当の気持ち

「おーい、葉月!」


 遠くから自分を呼ぶ声がして、凜ははっとして振り返った。鷹が校舎を抜け、息せき切った様子でこちらに走ってくる。凜達の前まで来たところで鷹は立ち止まり、膝に手を突いてはぁはぁと息を切らした。


「ちょっと鷹、大丈夫? 別にそんなに急がなくたってよかったのに……」


 凜が慌てて声をかけたが、鷹は片手を上げて言葉を遮った。息を切らしながら凜の方を見て続ける。


「違うんだよ……。さっきクラブの奴からあいつのこと聞いて……。急いで、知らせないとって思って……」


「あいつって、まさか!?」


 凜が思わず身を乗り出す。鷹はようやく呼吸を整えると、身体を起こして頷いた。


「そうだよ、片瀬が見つかったんだ。クラブの友達に中学生の弟がいる奴がいるんだけど、そいつがたまたま見かけたらしくて……」


「どこで!?」


 そう叫んだのは侑李だった。そこで初めて侑李の存在に気づいたのか、鷹が驚いた顔で侑李を見る。侑李は鷹に詰め寄ると、彼の両肩に手をかけて揺さぶった。


「どこ!? 久美はどこにいるの!? ねぇ教えて。教えてよ! 鷹!」


「ちょっと侑李、落ち着いて……!」


 執拗に質問を浴びせかける侑李を、凜は慌てて鷹から引き剝がした。侑李は鷹から手を離して引き下がったが、なおも鷹から視線を外さなかった。

 凜は意外な思いで侑李を見つめた。普段はクールな侑李が、こんな風に感情的になるのを見たのは初めてだったからだ。


 侑李の剣幕に気圧されたのか、鷹はしばし呆気に取られていたが、すぐに真面目な顔になって再び口を開いた。


「駅の方だよ。ちょっと外れたとこに個室のカフェがあるらしいんだ。テーブル同士が仕切られてて隣の席が全く見えないから、密会にはもってこいの場所らしい。さっき聞いたばっかだからまだいると思うし、今から行けば会えるかも……」


「鷹!」


 勢いよく叫んだのはやはり侑李だった。鷹の腕を両手で摑むと、すがるような目で彼を見上げて言った。


「教えて、その店の場所! そこに久美がいるんでしょ!? 早く行かないと……!」


 切羽詰まったその様子は、やはり普段の侑李が見せないものだ だけど凜には、侑李がここまで必死になる理由が、何となくわかるような気がした。


 本当は、侑李もずっと久美のことが心配だったのだろう。久美を放っておけばいいなんて言ったのは本心ではなくて、実際はずっと気がかりだった。だけど、久美を疎ましく思う気持ちも一方であって、だからこそ一人では行動を起こせずにいた。それでも本当は、久美が何事もなく帰ってくることを望んでいたのだ。久美は侑李の幼なじみで、たった一人の、親友だから。


 針で心臓を刺されたような感覚があり、凜は片手を胸に当てた。久美の居場所がわかったというのに、なぜか心が重く沈んでいく。そんな自分の心境に気づかない振りをして、凜は鷹を見上げて言った。


「鷹、そのカフェに行こう。あたし達だけじゃ無理かとしれないけど、侑李が一緒なら、きっと片瀬さんも話を聞いてくれるよ!」


 凜の言葉に侑李は何度も頷いている。いつになく真剣なその顔を見て、凜はますます心が疼くような感覚を抱いた。


 鷹は困惑した顔で侑李と凜を交互に見つめていたが、やがて表情を引き締めると、意を決したように頷いた。






 そのカフェは、凜がいつも通学に利用している駅の裏、本当に奥まったところにあった。店の入り口になっている階段の傍に簡単な看板が立てかけられているだけで、何も知らなければ完全に素通りしてしまうような場所だった。そんな場所にあるからこそ、誰かに見られるリスクも少ないのだろう。


 カフェへと続く階段を見上げながら、凜はごくりと唾を飲み込んだ。この先に久美とあの男がいる。いざその現場に突入するのだと思うと、変に緊張してしまったのだ。隣を見上ると、侑李が険しい顔でじっと階段の方を睨みつけている。きっと、久美に言いたいことが山ほどあるのだろう。

 そして鷹はといえば、どこか落ち着かない様子で二人の後ろをうろうろしている。考えて見れば、鷹はこの件に何の関係もないのだ。成り行きとはいえ、こんな事態に巻き込んでしまったことに凜は申し訳なさを感じた。


 その時、カランカランという扉の開く音がしたかと思うと、次いで誰かが階段を降りてくる音がした。コツコツというヒールの音に交じって会話が聞こえてくる。そこに聞き覚えのある声が含まれていることに凜はすぐに気がついた。鷹と行った喫茶店で聞いたのと同じ、甘ったるいあの声は間違いなく久美のものだ。凜はとっさに身を隠そうとしたが、足が動かなかった。


 やがてその二人組は凜達の前に姿を現した。くたびれたスーツを着た『あっくん』と、ファッショナブルな私服に身を包んだ久美。自分達を待ち構えるかのように階段の前にいる三人を見て、最初にぎょっとした顔をしたのは久美の方だった。


「ゆ、侑李……!? それに葉月さんと柏木まで……。何これ、どういうこと?」


「それはこっちのセリフ!」


 口火を切ったのは侑李だった。久美に向かってつかつかと詰め寄ると、癇癪玉が破裂したような勢いで言った。


「久美、あんたどういうつもり!? 学校にも来ないでこんなオッサンと遊び歩いてるなんて、何考えてんの!?」


「な、何って……。別にあたしは……」


「凜が言ってたよ。あんたがこのオッサンにブランド物のバッグ貰ったとこ見たって。それって要はこのオッサンに貢がせてるってことだよね? あんたはこのオッサンのこと金づるぐらいにしか思ってないのかもしれないけど、向こうはそれだけで終わるつもりないよ!? いつホテル連れ込まれるかもわかんないし、そうなったらあんた、一生取り返しのつかないことになるんだよ!?」


「それは……」


 言葉に詰まった久美が渋面を作り、ネイルを塗った親指を噛む。侑李はさらに何か言おうとしたが、その時ようやく、侑李の迫力にビビっていた『あっくん』が息を吹き返して口を開いた。


「……君さぁ、誰だか知らないけど、初対面の大人に対して、いくら何でも失礼なんじゃない? 僕が久美ちゃんに貢いでるとか、ホテルに連れ込むとか、人聞きの悪いことばっかり言ってくれちゃってさぁ……」


 ねっとりとした声で『あっくん』が言う。聞くだけで不快になる声だ。どうしてこんな声を聞き続けて久美が平気でいられるのか、凜にはまるでわからなかった。


「……事実じゃないんですか。そうじゃなかったら、普通あなたみたいなサラリーマンが、女子高生とデートなんかしませんよね?」


 凜が負けじと口を挟む。『あっくん』は凜の方に向き直ると、眼鏡の奥でじろじろと凜を眺め、それから嘲るように目元を歪めた。口元も歪め、さもバカにしたような口調で言う。


「……ホント、これだから子どもは困るよね。ちょっと年が離れてるってだけで、まともな関係じゃないって決めつけて……。

 いいかい、僕と久美ちゃんはね、本気で付き合ってるんだよ。知り合ったのは確かに出会い系サイトだけど、下心があったわけじゃない。僕が彼女に高価なものをプレゼントしたのは、それが僕の愛情の表れだからだ。彼女を金で繋ぎ留めるためじゃない。それは久美ちゃんだってわかってくれてるさ」


 すっかり調子づいて話し続ける『あっくん』だったが、当の久美は宇宙人を眺めるような目で『あっくん』を見ていた。彼と同意見でないことは明らかだ。

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