別の生き方
そういう経緯があって凜はホテルに戻り、朝を迎えた今、ホテルから出て昴を待っているのだった。事前に連絡があるのか、それともいきなり来るのかはわからないけれど、どっちにしても昴はまだ現れそうにない。凜は両手の指先を組み合わせて大きく伸びをした。昨日は本当に疲れていたが、一晩寝たことで随分楽になったようだ。
凜は昴の姿を探して周囲に視線をやったが、そこでふと、広場の端にあるベンチが目に留まった。昨日の夜、史也と話をしたベンチだ。史也と自分の差を思い知らされてショックを受けたとはいえ、随分とひどいことを言ってしまった気がする。史也はきっと怒っているだろう。もう彼の店には行けないな、と凜は寂しく考えた。
「よう! お待たせ!」
凜が後悔の念に捕らわれていたその時、聞き覚えのある声が背後から飛び込んできた。振り返ると、昴がにこやかに片手を振りながらこちらに歩いてくるのが見えた。髪は元の茶髪に戻っている。
「……遅い。朝一番で迎えに来てって言ったのに」
仏頂面を作って凜が顔で言った。実際には大して待っていないのだが、この男に素直にそれを伝えるのは癪だった。
「まぁそうカリカリすんなよ。相手を待つのもデートのうちだろ?」
「別にカリカリなんかしてないし。っていうかこれデートじゃないし! あたし、あんたに訊きたいことがあって、それさえ教えてくれれば済む話だから」
「俺が何でこの世界に来たかって話だろ? うん、それはちゃんと話すよ。でもさ、せっかくこうして《朝》から待ち合わせて会ってるんだから、他に何かあってもいいと思わないか?」
「……何が言いたいの?」
警戒心を露わに凜は昴から距離を取る。レインボーランドの時のように、この男のペースに巻き込まれることだけはごめんだった。
だが、昴は意外にも真面目な顔になると、両手を身体の横に添えて背筋を伸ばした。そのまま深々と凜に頭を下げてくる。面食らった凜が彼を凝視していると、昴は頭を下げた格好のままで言った。
「遊園地では悪かった。君の気持ちも考えないで、デリカシーのないこと言って……。俺、君を傷つけるつもりは全然なかったんだけどさ。よくよく考えて見れば、いきなり知らない世界に連れてこられて、ここにいてほしいなんて言われても困るだけだよな……」
身体を起こし、頬を搔きながら昴が呟く。彼の口から口説き文句以外の言葉が出てきたことが意外で、凜は何と返事をすればよいかわからなかった。
「でもさ、俺、わかってほしいんだよ。君がこの世界をどう思うかは自由だけど、中にはどうしてもこの世界を必要としてる奴がいる。君からしたら、この世界にいる奴らは現実から逃げてるだけに見えるかもしれないけど、中にはそういう生き方しかできない奴もいるんだよ」
史也のことがちらりと凜の頭を掠めたが、口には出さなかった。昴は続けた。
「俺、今から君に会わせたい奴がいるんだ。会うと言っても堅苦しい場じゃない。そいつがこの世界で生きてる姿を君に見てほしいんだ。俺が何か言うより、その方が君にこの世のことをわかってもらえると思ってさ。俺の話は、その後でさせてほしいんだ」
「あたしは別に、そんな人に会いたくなんか……」
「この世界にどんな人間がいるか、興味ないか? 俺や君以外の奴らがどうやってこの世界で生きてるのか、見てみたいと思わないか?」
「それは……」
興味がない、とは言えなかった。この世界に来た他の人間のこと。それはまさに、凜が知りたいと思っていたことであった。
凜が口ごもったのを見ると、昴はにっこりとして凜の肩に手を置いた。
「そういうことだ。それにたぶん、君はあいつのこと知ってるんじゃないかな」
「あたしが?」
凜は目を丸くして昴の顔を見返した。だが、自分のように意識不明になった知り合いなど、まるで心当たりがなかった。
「まぁ会えばわかるよ。とにかく行こうか。今回はちゃんと『昴』としてのデートだからな。遊園地での失態を挽回できるように頑張らないとな」
平素の軽口を取り戻して昴が言う。凜は大げさにため息をついた。今からこの調子では、今日も疲れる一日になりそうだ。
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