第六話 スターの裏側
彼の理由
史也と別れ、凜は行く当てもなくふらふらと歩き続けていた。辺りはすっかり暗くなっていたが、ホテルに帰る気にはなれなかった。現実の世界なら、深夜に女子高生が一人でうろついているなんて物騒極まりない話だろう。
だけど、どうせここは夢だ。たとえ暴漢が現れたところで、自分がそんな夢を見たくないと思えば、テレビのリモコンでチャンネルを変えるようにぱっと場面を切り替えることができる。だったらいつまでも、この暗闇の中を亡霊のように彷徨っていればいい。凜は今やそんな捨て鉢な気持ちになっていた。
自分は何のためにこの世界に来たのだろう――。当て所もなく歩きながら、凜は胸の内で考えた。史也のように叶えたい願いがあっても、それを実現できそうもない人間にとっては、夢遊界は天国のような場所なのかもしれない。だけど、自分のように何もない人間がこの世界にいたところで、結局やりたいことなど見つからずに虚しくなるだけだ。
その時ふと、昴の顔が頭に浮かんで凜は足を止めた。見るからに軽薄で、悩みなど何もなさそうなあの男。だけど昴は言っていた。夢遊界に来る人間は、みんな現実で何らかの生きづらさを感じているのだと。そうだとすればあの男も、現実では自分と同じように、渇きを感じていたということか。
(あいつが悩んでる姿なんて、想像もつかないけど……)
そんなことを思いながら、凜は無意識のうちに携帯電話を取り出していた。昴から渡された銀色の携帯電話。しばらくそれを見つめた後に、凜はおもむろに内蔵された電話帳を開くと、一つしか登録されていない電話番号を呼び出した。電話を耳に当て、無機質なコール音に耳を澄ませる。そうやって待っている間にも心臓の鼓動がどんどん早くなっていく。
でも、今さらあいつに連絡してどうしようというのだろう。ついさっき怒って別れたばかりなのに、わざわざ自分から連絡するなんてバカみたいじゃないか。そう考えながらも、凜は電話を切る気にはなれなかった。
翌日(便宜的にそう呼ぶことにする)、いつもの豪華なホテルから出ると、初日に見た円形の広場や箱型の建物がそのままの形で残されていた。相変わらず周囲に人影はなく閑散としていたが、既視感のある光景が広がっているのを見て、凜は少しほっとした。
不意に陽光が視界に差し込み、凜は目を細めて空を見上げた。頭上には晴天が広がり、
昨日(?)の夜、昴に電話をかけると二回コールが鳴っただけですぐに繋がった。かけてきたのが凜だとわかると、電話の先の昴は驚いたような、それでいて嬉しそうな声で言った。
『まさか君からかけて来てくれるとは思わなかったよ。で、どうした? やっぱり俺が恋しくなって、今すぐにでも会いたいとか?』
凜は大げさにため息をついた。少しは落ち込んでいるかと思ったのに相変わらずこの軽口。こんな男に真面目な話をしようとする自分がバカみたいに思えてきて、凜は電話を切ってやろうとしたが、すぐに思い直してさっさと用件を訊くことにした。
『……あんたに訊きたいことがあるの。あんたはさ、何で夢遊界に来たの?』
凜がそれを尋ねた瞬間、電話の奥の音がぴたりと止んだ気がした。凜は続けた。
『あんた、言ったよね? この世界には誰でも来れるわけじゃない。生きづらさを感じてる人だけが来れるんだって。あんたにもそういう生きづらさがあったの?』
昴はすぐには答えなかった。衣擦れのような音が電話口から聞こえ、昴が体勢を立て直している光景が脳裏に浮かぶ。凜は焦れったい思いで昴の返事を待った。
『えーと、それはあれか? 俺という人間に興味があるから訊いてるってことか?』
やっと返ってきた答えがそんな調子だったので、凜は呆れを通り越してだんだん苛立ってきた。携帯電話を投げつけたくなるのを堪え、怒気を孕んだ声で叫ぶ。
『ふざけないでよ! あんたのことなんかどうだっていい。あたしはただ……』
一気にまくし立てようとしたところで凜の言葉が不意に止まる。ただ、何だと言うのだろう。昴の話を聞いて、彼が自分と同じ境遇にあったと知って、空っぽな者同士傷を舐め合いたいのだろうか。
凜が言葉を返せないでいると、昴が何かを察したようにふっと息を漏らした。
『オーケー。自分でもよくわからないけど、訊かずにはいられないってやつだな? いいぜ。君がそんなに知りたいんなら、俺も喜んで話してやるよ』
『本当!?』
思わず食いついて声を上げたが、すぐに気を取り直して凜は咳払いをした。電話の向こうで昴が得意げに笑った顔が見えるようで、気恥ずかしさにまた腹が立つ。
『ああ。でも外はもう真っ暗だ。女の子を夜遅くに連れ回すのは俺の主義に反するからな。また明るくなったら迎えに行くから、それまではホテルでゆっくりしてな』
『でも……』
『大丈夫だって。俺、こう見えて約束は守る男だから。君もいろいろあって疲れてるんだろ? いくらここが夢だからって無理はよくないぜ。今はひとまず休んで、コンディションばっちりな状態で会いに来てくれよ』
凜は再びため息をついた。どこまで言っても尽きないこの軽口。だけど昴の言う通り、凜がとても疲れていることも事実だった。
『……わかった。じゃあ明日の朝一番に迎えに来て。ちょっとでも遅れたら許さないから』
『それは難しい注文だな。何せ夢遊界じゃ、いつからが《明日》で、いつからが《朝》なのかはっきりしないからな。まぁ、女の子を待たせるのも俺の主義に反するから、なるべく努力はするけど……』
『じゃあ明日』
皆まで言わせないうちに凜はさっさと電話を切った。
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