家族の記憶

 賑やかな音楽が鳴り響く園内で、あちこちから歓声だか悲鳴だかわからない声が聞こえてくる。アトラクションに乗っている客のものだ。ここもやはり人がいないのかと思いきや、意外にも多くの家族連れや友達グループ、それにカップルの姿があった。夢の世界の限界なのか、人々の姿はおぼろげではあったが、それでも今までのような閑散とした雰囲気はまるでなかった。


 園内にはカラフルな風船を配っているスタッフの姿や、客と写真を撮っているマスコットキャラクターの姿もあり、まるで本物のレインボーランドにいるかのような錯覚を凜に抱かせた。さらにインパクトがあったのはアトラクションで、ジェットコースターで急降下する時のスリルとか、フリーフォールで落ちる直前の微妙に浮く感覚とかが異様にリアルで、凜はこれが夢であることを忘れて熱狂してしまったのだった。


「あー怖かったー! どうせ夢なんだから平気だって思ってたら何このリアルさ!? 夢でこんなに怖いってありなの!?」


 興奮気味に言いながら凜は振り返ったが、そこに昴の姿はなかった。あれ、と凜が思った時、人混みの中から昴がよろめきながら歩いてくるのが見えた。おぼつかない足取りで、何度も人にぶつかりながら(実際にはすり抜けているだけだが)こちらに近づいてくる。


 ようやく凜の前まで辿り着いたところで、昴は力が抜けたように膝に手を突いて深々と息を吐き出した。そんな昴の体たらくを見て、凜は呆れたように腰に手を当てた。


「何? あんたもしかして酔ったの? 夢なのに酔うとかあるの?」


 問いかけるも昴はすぐには答えない。見るからにぐったりとした様子で、得意の軽口を発揮できずにいるようだった。


「……こんだけ絶叫系ばっか乗ってたら夢とか関係なくこうなるよ。さっきので何回目だったかわかってんのか?」


「えーっと、フリーフォールでしょ、バイキングでしょ、後ジェットコースター三つ乗ったから……五回?」


「……六回。レインボーコースターは二回乗ったからな」


「あ、そうだっけ? やーやっぱレインボーコースターは目玉だから乗りたくって! あの宙返りする感じとかめちゃくちゃスリルあったよね!」


「……スリル求めるのはいいけど、たまには休もうとか思わないのか? こんだけ連続で乗ってたらちょっとは酔うだろ……?」


「全然? 鷹だってこれくらいなら余裕って言うと思うけど?」


「マジかよ。お前らどんな三半規管してんだよ……」


「さぁね。鍛え方が違うんじゃない?」


 凜はそう言ってくすりと笑った。気分が悪そうに顔をしかめていた昴だったが、凜が笑ったのを見て自分もふっと表情を緩めた。


「……まぁ、君が夢遊界の楽しさを知ってくれたのなら何よりだよ。俺としても、今みたいな君の笑顔が見られるなら、鷹って奴になりきった甲斐があるってもんだ」


 微笑みながらそんな言葉をかけられ、凜ははっとして息を呑んだ。自分は今楽しんでいたのか。確かに遊園地が想像以上にリアルだったので興奮してしまったが、それでも所詮は夢であることに変わりはない。危うく昴のペースに乗せられそうになっていたことに気づき、凜は急いで憮然とした表情を作った。


「……別に楽しんでなんかないし。っていうか、鷹はそんなキザなセリフ言わないから」


「おっと、それは失礼。じゃ、次は何に乗ろうか、葉月?」


 手早く呼称を変えて昴が尋ねてくる。その変わり身の早さに凜は思わず苦笑した。本当に、どこまでも調子のいい男だ。


 だが、次に乗るものといっても何があるだろう。メインのアトラクションはほとんど乗ったし、実際のところ、凜もそろそろ絶叫系以外のものに乗って休憩したいと思っていた。何かないだろうかと辺りを見回すと、ランドのシンボルである観覧車が目に飛び込んできた。赤、橙、黄色、黄緑、水色、青、紫。虹の色が順番に付けられたゴンドラがゆっくりと地上と空を往復している。


「観覧車か。休憩にはちょうどいいな。それにデート気分を盛り上げるのにも持ってこいだ」


 昴はそう軽口を叩いたが、凜は観覧車に視線を釘付けにしたまま答えなかった。


「……凜? どうした?」


 昴が怪訝そうに凜の顔を覗き込んでくる。凜はようやく我に返った。


「……あ、ごめん。ちょっと小さい時のこと思い出して……」


「観覧車で?」


「うん。昔、親と一緒に遊園地に来た時、よく乗せてってせがんでたなって……」


 あれは母が父と離婚する前のことだった。凜が高いところを怖がるだろうからと言って渋っていた両親に対し、凜は絶対に怖がらないからと言い張り、梃でも観覧車の乗り場から動こうとしなかった。それで両親が根負けして乗せたのだが、頂上まで来たところで結局怖くなり、凜は泣き出してしまったのだ。あの時はかなり両親に手を焼かせたが、それでもとても楽しかったことを覚えている。


 凜がそんな追憶に浸っていると、不意に昴に手を握られて意識を引き戻された。


「よし、じゃあその観覧車の思い出に、俺との思い出を加えようか!」


 昴はそう言うと、凜の手を引いて勢いよく歩き出した。え、と凜が声を上げる間もなくどんどん前方へと進む。向かう先は観覧車の乗り場。予想外の展開に凜は動揺を隠せず、つんのめりながらも急いで叫んだ。


「え……ちょっと待ってよ! あたし別に観覧車に乗りたいなんて言ってないし!」


「言わなくても顔に書いてあるよ。大丈夫! 俺、チャラく見えるかもしれないけどそこまで手早くないから。ゴンドラの中でいきなり襲ったりしないって!」


「いや、そういうことじゃなくて……!」


 歩を進めるごとに凜の焦りは増長していく。昴と二人で観覧車に乗るというシチュエーションもさることながら、それ以上に昔のことを思い出してしまうことを怖れていた。両親と一緒に過ごしていた時の記憶。一度当時のことを思い出してしまえば、どうしてもあの時に戻りたいと思ってしまう。やっと今の生活に慣れたところだったのに、また過去に捕らわれるようなことを凜はしたくなかったのだ。


 だが、そんな凜の思いもむなしく、凜は昴に連れられるまま、観覧車の乗り場へと向かって行ったのだった。

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