第三話 夢の世界へ

似て非なるもの

 誰かが自分を呼んでいる気がする。誰だろう。母は朝いつも寝ているから関係ないし、授業中に居眠りでもしてしまったのだろうか。


 だけど、それにしてはうるさい教師の声がしないし、机に突っ伏した時のノートのざらりとした感触もない。それに、さっきからずっと頭がずきずきしている。ひょっとして体育の授業で怪我をして、保健室に運ばれて寝かされていたのかもしれない。凜はそんなことを考えながら、重い瞼をこじ開けるようにして目を開いた。


 だが、凜の視界に映ったのは、教室でも保健室でもなかった。細かく敷き詰められた白と赤茶色のタイル、それが最初に凜の目に飛び込んできた光景だった。

 凜はぼんやりとそのタイルを見つめていたが、しばらくして自分がそのタイルの上に寝ていることに気づくと、慌てて身体を起こして辺りを見回した。


 そこは凜の全く知らない場所だった。青々とした空を背景として、傍に円型の大きな噴水が見える。最初はどこかの公園にでもいるのかと思ったが、辺りに遊具やベンチはなく、遊んでいる子ども達やうたたねをしている老人の姿もない。木々の一本さえも辺りにはなく、白と赤茶色のタイルを敷き詰めた地面の上に、間違って設計されたみたいに噴水があるだけだ。あまりにも殺風景なその広場は、いったい何の目的があって作られたのかさっぱりわからなかった。


「……何、ここ」


 凜は目を細めてその光景を見つめた。さっきまで侑李とシゲルのライブを観ていたはずなのに、どうしてこんな何もない場所に一人でいるんだろう。


「……そういえば、帰る時に久美になんか言われたような……」


 そこでやっと思い出した。侑李が自販機にジュースを買いに行っている間、久美からかけられた心ない言葉の数々。自分はそれにショックを受けて一人で帰ろうとしていたのだった。

 だけど、その後の記憶が判然としない。地面を見ながらふらふらと歩いていた時、横からすごい勢いで何かがぶつかってきて、身体が宙に浮いたような感覚があったのだが、そこで何が起こったのかはさっぱり思い出せなかった。


「……それにしたって、ここどこよ」


 だだっ広い空間に噴水だけがぽつんとあるその光景は、見れば見るほど奇妙に思えた。時間を確かめようと時計を探してみたが、辺りには時計もない。鞄にしまったスマホを見ようとしたが、肩にかけていたはずの鞄はどこかに消えてしまっていた。


 凜はため息をつくと、タイルに手をついて立ち上がろうとしたが、そこで奇妙な感覚があった。いやむしろ、と言ったほうがいい。タイルに手を突いたにもかかわらず、そこには硬さも冷たさもなかった。もちろん綿布団のような柔らかさも、冬の夜に浸かる湯船のような暖かさもない。


 凜は首を捻りながらも立ち上がると、そろそろと噴水の方に近づいてみた。さあさあと吹き上がる水飛沫が何滴か凜の顔にかかる。ただ、それは水飛沫が自分の方に向かって飛んでくるのを見たから、あくまで視覚的に「顔にかかった」と思っただけで、頬に伝わるひんやりとした感覚があったわけではなかった。


 凜は眉をひそめた。さっきから何だか様子がおかしい。


「よう、だいぶ混乱してるみたいだな。そろそろ俺の出番ってわけか」


 不意に後ろからそんな声がして、凜は思わず飛び上がりそうになった。さっきまで周りに誰もいなかったはずなのに。

 凜は警戒しながらさっと振り返ったが、そこに知った顔があったので表情を緩めた。


「あれ……鷹? 何でこんなとこにいるの? っていうかあれ? 髪染めた?」


 そこにいたのは鷹だった。カジュアルな茶色のジャケットに黒のTシャツ、カーキのズボンという服装はいいとして、凜の目を引いたのはその髪の色だった。いつもは黒い鷹の髪は、今や校則に引っかかりそうなほど明るい茶色になっていた。鷹は校則を破るようなタイプではなかったのに、いきなりどうしてしまったのだろう。


 凜がまじまじと鷹の顔、というか髪を見つめていると、鷹は気まずそうに頭を搔いて言った。


「あー……それな、たぶん人違いだわ。俺、その鷹って奴じゃねぇの」


「嘘!? そんな似てるのに?」


 凜は目を見張ってその男を見つめた。髪の色が違うといっても、その顔はどこからどう見ても鷹にしか見えなかった。


「まぁまぁ、世の中には自分とおんなじ顔をした奴が三人はいるって言うだろ? その鷹って奴も、俺に似てる奴の一人なんだろうよ。俺はすばる。夜空に浮かぶ星の昴だ。なかなかイカした名前だろ? 次からはちゃんとこっちの名前で呼んでくれよ」


 男はそう言うと歯を見せて凜に笑いかけてきたが、その笑顔が妙に胡散臭いものに感じられて、凜は怪訝そうに昴と名乗る男を見つめた。


 前言撤回。確かに顔はそっくりだが、この軽口はどう考えても鷹のものではない。

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