共鳴する心

「そっかー。侑李もシゲルのこと好きだって言ってたもんねー。でも今日ライブ行くなんて知らなかったー。言ってくれたらよかったのにー!」


 久美が拗ねるように言った。赤い花柄のキャミソールに、白いシャツの裾を胸の下で結び、それに緑のショートパンツという格好をした久美は正直すごく可愛かったが、足元に合わせたヒールの高いミュールは明らかにライブ向きではなかった。あんな靴を履いていたら、ちょっと歩いただけですぐに足が痛くなってしまうだろう。そんなどうでもいい心配が凜の頭に浮かんだが、すぐにそれよりも大事なことがあるのに気づいた。そもそもどうして久美がここにいるのだ。


「……久美、何でここにいるの。今日レインボーランド行くんじゃなかった?」


 凜と同じことを考えたのか、侑李が渇いた声で尋ねた。端から聞いている凜からしてもその声は冷ややかなものだったが、久美は気にした様子もなく首を左右に傾げた。


「うーん、そのつもりだったんだけどー、たまたま親戚のおじさんがライブのチケットくれてー、ライブは今日だけだし、せっかくだしこっち行こうと思って!」


 全く悪びれた様子もなく言ってのけ、久美がにっこりと侑李に笑いかけた。何となく、レインボーランドの方はドタキャンだったのではないかと凜は思った。今日のために予定を空けておいたであろう久美の友達は、今どんな気持ちでいるのだろう。


「……そ。でもあたし、今日は凜と約束してるから。行こ、凜」


 侑李はあくまでつれない調子で言うと、凜を連れてさっさと久美から離れて行こうとした。が、そこで久美がすかさず二人の間に割り込んできて侑李の腕に両手を絡ませた。


「えー、せっかく会ったんだから一緒に観ようよー! 一人でライブなんか観たってつまんないしー! ……葉月さんも、そう思うよね?」


 声をかけられたのが自分だとは気づかず、凜はすぐには反応ができなかった。ようやく自分が呼ばれたことに気づき、凜がはっとして顔を上げると、久美が侑李の腕に手を絡めたまはま、上目遣いにじっとこちらを見つめているのが見えた。くるんとカールした睫毛の裏で、その目は凜に無言の圧力をかけてきていた。


「……うん」


 気がつくと凜はそう答えていた。侑李が裏切られたような顔をして自分の方を見たが、それより早く久美が甲高い声を上げた。


「やったー! 嬉しい! じゃ、さっそくグッズ見に行こっか?」


 久美はそう言うと、侑李を連れてさっさとショップの方へ歩いて行ってしまった。腕に絡みつかれたままの侑李は制止することもできずに久美に引っ張られていく。瞬く間に距離ができた二人の後を凜はのろのろと追いながら、楽しい時間が早くも終わりを迎えたことを悟っていた。




 それからの時間は予想通りに過ぎた。久美はずっと侑李を独占していて、侑李が凜に話しかけようとしてもそれより早く喋り出し、侑李が凜と話す隙をまるで与えないのだった。もちろん久美が凜に話しかけてくることは一度もなく、むしろ最初から侑李と二人でライブに来たように振る舞っていた。


 そんな二人の様子を横目に見ながら、凜は自分が思いのほか淡々と事態を受け止めていることに気づいた。


 きっと欲張り過ぎたのだ。休みの日に侑李と二人だけでシゲルのライブに行くなんて、そんな夢みたいな話があるわけがなかった。たとえ久美が侑李を独占していて、まるで自分などいないように扱われていたとしても、侑李とこうしてライブ会場に来られただけでも十分なのだ。凜はそう思おうとした。




 やがてライブが始まる時間となり、三人は客席に移動した。客席が暗くなり、やがてスポットライトを浴びたシゲルがステージに姿を現した瞬間、客席から一斉に黄色い歓声が湧き上がった。目と目の間に垂らした長い黒の前髪、白いシャツに黒のスタッズ付きのベスト、ダボっとしたシルエットの黒いボンテージパンツに、白い厚底スニーカー。そのパンクロックなファッションは紛れもなくシゲルのもので、テレビや雑誌でしか見たことのないその姿を目の前にして、凜もたちまち心が高揚していくのを感じた。


 シゲルは簡単に挨拶を済ませると、トレードマークでもある白のギターを構えて早速曲を奏で始めた。沸騰していた客席が一瞬で静まり返り、誰もが呼吸すらも止め、シゲルの声を、歌を、全身全霊で感じ取とうとしている様子が伝わってくる。


 やがてシゲルが静かに歌い始め、甘く、切ない歌声が会場をしっとりと包み込んでいった。ペンライトのゆったりとした動きに合わせてシゲルはバラードを歌い上げる。その繊細な歌声に聞き惚れているうちに、凜も自分が置かれた状況を次第に忘れていった。


 やがて一曲目が終わり、シゲルが満足そうな笑みを浮かべて深々とお辞儀をした。会場は大きな拍手に包まれ、それを受けてシゲルがまた何度もお辞儀をした。


 そんなシゲルの姿を見つめながら、凜は自分がいつの間にか泣きそうになっていることに気づいた。


 メジャーデビューしてから初めて聴いたシゲルの生演奏。こんなに大きな会場で、こんなに大きな歓声に包まれて、一人のミュージシャンとしてシゲルは多くのファンに愛されている。アマチュア時代からずっと応援してきた人が、今や一流のアーティストとしてみんなに認められている。その事実が、何だかとても嬉しかったのだ。


「……今日、凜と一緒に来れてよかった」


 不意に隣からそう呟いた声がした。凜が見上げると、侑李が拍手をしながらシゲルをじっと見つめているのが見えた。涙が滲んだその目を見て、凜は侑李も自分と同じことを考えているのだとわかった。


「……あたしも」


 凜がそう呟いたのが聞こえたのか、侑李がちらりと凜の方を見た。侑李は凜に向かって照れたように笑って見せると、再びステージのシゲルの方に視線を戻した。


 凜はそんな侑李の姿を見つめながら、自分の心が侑李と繋がっているような感覚を覚えていた。侑李の隣にいる久美のことも、今の凜の頭からは消えていた。今、この瞬間だけは、二人を隔てるものは何もなかった。

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