第二話 ひび割れた友情

変化する日常

 放課後、凜はいつものように一人で校門に向かっていた。今日も野球部員はランニングに精を出し、一、二と声を上げながら凜の脇を駆け抜けて行く。体育館からはバレー部の威勢のいい声が聞こえ、音楽室からは吹奏楽部の合奏が聞こえてくる。


 普段と何ら変わらない光景。だけど凜の周りでは、着実に変化が起こっていた。


 あの後の休み時間、久美は何事もなかったかのように親しげに侑李に話しかけ、侑李もいつもと同じようにそれに応じていた。侑李は再び久美のグループに戻り、表面上はこれまでと同じように仲良くしているように見えた。


 しかし、それはどこかぎこちない関係だった。久美のグループの子達は久美のご機嫌を取りながらも、いつ久美の怒りが爆発しないかとビクビクしているように見えた。そしてそれは、侑李が久美の誘いを断ったことだけが理由ではなかった。


 あの日を境に、侑李は久美に遠慮するのを止めたようで、久美のいる前でも堂々と凜に話しかけてくるようになった。これまでは久美に悟られないようこっそりと話すだけだったのに、今の侑李は久美の目など全く気にしていないように見えた。それはまるで、自分が凜と仲の良いことを周囲に宣言しているかのようだった。


 凜はそんな侑李の変化に戸惑いながらも、侑李といる時間が増えたことに嬉しさを覚えていた。これまで単調でつまらないものと思っていた日常が、次第に楽しいものになりつつあった。


 その一方で、凜は侑李のことが心配でもあった。今のところ何も言ってこないが、侑李が自分から離れていったことに久美は怒っているはずだ。久美が自分を嫌う分には構わなかったが、その矛先が侑李に向けられないかが凜は心配だった。侑李が自分と同じような目に遭うくらいなら、自分が一人のままでいいとさえ思っていた。


「なに難しい顔してんだよ、葉月?」


 凜がそんなことを考えていた時、不意に誰かに肩を叩かれた。顔を上げると、制服姿の鷹が、鞄を肩に下げた格好で自分を見下ろしているのが見えた。


「あれ、鷹じゃない。今日練習は?」


「今日バイトだから休みなんだ」


「あ、そうなんだ。鷹ってバイトしてたっけ?」


「うん。ほら、俺らの中学の近くにコンビニあっただろ? あそこで二、三か月前から」


「へぇ、あそこで! じゃ、今度行ってみよっかな」


 凜が冗談めかして言って笑う。鷹も軽く笑い返してきたが、そこでふと思い出したように笑みを引っ込めると、まじまじと凜の顔を見つめてきた。いきなり視線を向けられてどう反応すればよいかわからず、凛は気恥ずかしくなって目を逸らした。人気のない校舎の方を見つめ、小声でそっと口を開く。


「……何、どうしたの?」


「いや、何て言うか……こないだ会った時よりお前、明るいなって思ってさ。」


 こないだと言うのは、凜がクラスで除け者にされていることを鷹に訊かれた時のことだ。あの時は自分を取り繕うのに必死で、鷹に素っ気ない態度を取ってしまった。せっかく鷹が心配してくれたというのに、凜は今さらながら申し訳なくなってきた。


「あぁ……あの時はごめんね。あたし、すごい愛想悪かったよね。何だコイツってムカついたんじゃない?」


「いや、そんなことないよ。ただ、俺も気になってたからさ。お前友達作るの苦手なタイプでもないのに、何でだろうって思って。でもクラブの奴らが言ってたけど、最近芳賀と仲いいんだって? よかったじゃん。喋る奴ができて」


 うん、と言って凜は笑って見せた。鷹は優しい。中学の時に仲良くしていたとはいえ、今はクラスも違うので凜と関わる機会はない。それでもなお、こうして自分を気にかけてくれることが凜は嬉しかった。


「そういえば、葉月は今から帰り?」


「うん。帰宅部だし、用事もないから帰るよ」


「そっか。なら同じ方向だし、一緒に帰らねぇ?」


 思いがけない誘いに、凜はびっくりして鷹を見つめた。鷹は特に緊張したような素振りも見せず、普段と変わらない様子で凜の返事を待っている。その様子からしても、他意がないことは明らかだ。別に凜のことが気になっているとかではなく、ただ地元が同じだから一緒に帰る、それだけのことだ。


 それでも相手はあの鷹だ。先輩からも後輩からも、もちろん同級生からも人気のある男。そんな男と一緒に帰るところをクラスの誰かに見られでもしたら、変な噂が立ってまた居心地が悪くなってしまうかもしれない。そう考えると、安易にその誘いに乗るべきではないと思った。


 だけど、実際に凜の口から出てきたのは真逆の言葉だった。


「……うん、いいよ。どうせ同じ方向だもんね」


 独りでに出た言葉の内容を理解したのは、それが全て口に出されてからだった。気づいた凜ははっと息を呑み、撤回しようと慌てて口を開いたものの、鷹が軽く笑ったのを見て今度は自然と言葉が引っ込んでしまった。


「そっか。ならよかったよ。俺、高校入ってからあんまり葉月と話してなかったけど、クラスのこととか友達のこととか、いろいろ気になってたからさ。こういう機会じゃないとなかなか喋れないしな」


 な、と同意を求めてきた鷹を前にして、凜はそれ以上何も言えなくなってしまった。単に引っ込みがつかなくなったからではない。鷹が自分を気にかけてくれているとわかり、驚きと共に高揚を覚えていたからだ。

 もちろん、大した意味があるわけではないだろう。中学の時に仲良くしていたから、今も気にしてくれているだけ。そう自分に言い聞かせてはいても、凜は込み上げる喜びを押し隠すことができなかった。


 そう、他の多くの女子と同様、凜もまた、異性としての鷹に惹かれていたのだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る